和歌と俳句

齋藤茂吉

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をさなごが 朝はやくより 弟と 何を爭ふ こゑあげながら

人の世は こちたきことも ありながら おのづから過ぎて 行かむとぞする

みづからの 世すぎのさまも おもほえず まぼろしのごと 過ぎて行きける

をさなごが 水道の水 弄ぶ 習慣つきて 年くれむとす

小田原の 蜜柑をわれに たまはりぬ たまはりし人 われと同じとし

春かぜの 吹きのまにまに おのづから われのいのちは よみがへりたる

梅の花 咲きみだりたる この園に いで立つわれの おもかげぞこれ

わがいのち さひはひにして 春雨の ふりいづるなべに 満ち足らひけれ

國民の なげき限りも あらなくに 皇太后陛下 神かくります

すめらぎの 大きなげきの 天地に 皇太后宮 神かくり給ふ

青柳の みどりのうごき うれしみて われは御苑に 行くを樂しむ

もろこしの 國の山かは あなさやけ 柳のみどり うごきそめたる

月かげが まどかに照りて かがやくを 窓ごしにして 見らく樂しく

おぼろなる われの意識を 悲しみぬ あかつきがたの 地震ふるふころ

人の世の かなしみごとと おもほえず あさまだきなる 鴉のこゑす

酒田なる 藤井康夫が ときをりに 古代しのべと しほびしほ賜ぶ

あけがらす こゑたてて鳴く そのこゑは われの枕の ひだりがはにて

梅の實の 小さきつぶら 朝々の 眼に入り来る 東京の夏

仙臺の 宗吉よりハガキの たよりあり 彼は松島を 好まぬらしも

かすかなる 命をもちて 籠る時 人来たりつぐ 今日の佳き日を

魂の おくがに沁みて よろこばむ 今日の一日も 部屋ごもりをり