和歌と俳句

與謝野晶子

頂を今日は網代の奥に見る天城の渓の雪消えぬらん

おぼつかな夢を見よとも醒めよとも暁に鳴る春の海かな

店店に島の油の並びたる熱海の街の山ざくら花

うぐひすは皐月に聞くがなまめかし身もうす色の衣など着て

白藤はまばらなるこそ嬉しけれ星座を近く見るここちして

散る時も開く初めのときめきを失はぬなり雛罌粟の花

春の月その眉刷毛に額をばはかせましとて家いでてきぬ

三月や歌舞伎芝居の茶屋場など思ひて啼けるうぐひすの声

いと小き橋より下に万木の若葉こもれる渓の朝かな

洞門と隣れる家に僧の来て鐘打ち鳴らす多比の夕ぐれ

近けれど下の半を海の靄巻きて天城のほのかなるかな

越しがたきくろがねの輪のここちすれ沼津に続く長き松原

伊豆の方天城の山

の半をば雲もち去りぬ曇ると無しに

葉の茂り楓の枝があさましき簔の形をするにいたりぬ

青きものゆふ月こころ海のうへ藤の下かげ消息の紙

柏木も楓の枝も人を呼ぶ怪しき森となりにけるかな

少年の矢車草がわが方をまともに見たるたそがれの部屋

柏の葉皐月の肌をやはらかに押すとし見えてなつかしきかな

白金の糸のやうにも森の木をしかと繋げる夏の月光

われの名に太陽を三つ重ねたる親ありしかど淋し末の日

また見ん日ありあらずやと云ひつるも命の末にまだ遠き頃

翅無き人にありては難けれど遠き路無し我等別れて