四萬の奥月夜につづく東雲をめづる里人戸ざさずて寝る
わづかなる菱形をおく空なれどあてに明け行く四万の奥かな
花売の媼が前の広庭をゆききするまで消えぬ明星
わが部屋へ山の蔭より寄せてきぬ赤きあきつの疎らなる群
わが心あはれいのちの末日に浴みて安し四万の湯の渓
羊歯しげる渓きはまりて華やかに空より落つる滝を見るかな
夜明くればいつしか蝉にけおさるる日向見川の水の音かな
城の垣うつるここちに真白けれ四万の流の水底の石
大空に新湯の町の灯かげをば覗く星あり旅人のごと
石垣のおいらん草の花ごしに瓜を見分くる湯の街の朝
蒸風呂の廃れし床を這ひて出づ山の妖婆の初秋の風
人通ふ路岸河原三段にわかれて鳴けるこほろぎの声
絵に書ける寝釈迦と云へる形より痩せて清らにおはす御仏
何ごとを思ふともなき自らを見出でし暗き殯屋の隅
秋の水麻の綱をば赤土に掛けたる山の下道を行く
秋寒し不老の山の頂をみづうみのごと白くしたる日
梟は武蔵越をばこえわびて帰らんと啼く月の明りに
大垂水山を二つに割くこともはかなき霧の一瞬のわざ
霧の夜の哀れなりける月に似て青く曇れるいたどりの花
甲斐の山相模の山をあかつきの霧ぞつつめる蜘蛛のいのごと
わが指とダリヤの影と寝てありぬいみじく白き秋の夜の卓
ダリヤ咲く疑多くかげ多き心と云へるものの形に
風の日はいと浅はかに泣く人の面影となる原の穂すすき
東京を少しくもれる夕月のあかりに覗くあまつかりがね
天国をもとめず安く船形の棺に眠る女王の木乃伊