和歌と俳句

齋藤茂吉

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布野

よろこびの莚に坐りこもごもに湧きくる思ひ涙となりつ

うつくしく若き夫婦よこよひ寝ば人のこの世のよしと思はむ

今のうつつに君しいまさば手をとりて互に踊り痴れたるならむ

この家に安らにいねて明日越えむ赤名の山をまぼろしに見つ

わがねむる床の下より清しくも水のながるる音ぞきこゆる

湯抱

年まねくわれの恋ひにし鴨山を夢かとぞ思ふあひ対ひつる

我身みづから今の現にこの山に触りつつ居るは何の幸ぞも

鴨山は古りたる山か麓ゆく川の流のいにしへおもほゆ

「湯抱」は「湯が峡」ならむ諸びとのユガカイと呼ぶ発音聞けば

人麿がつひにのちををはりたる鴨山をしもここと定めむ

唐鐘畳ヶ浦

はるかなる石見の国と思へども唐鐘浦を恋ひつつぞ来し

唐鐘の浜の翁と媼とにあふたび毎に地名聴きありく

唐鐘の埼をめぐりて浪にぬれ「辛乃埼考」の仮設をおもふ

ひろびろし畳が浦の巌のへに腰をおろして疲れつつ居り

下府にわれの心は驚きたり伊甘の泉さま変りゐて

砂弥島

浪の上に平たく見ゆる砂弥島はそのいにしへに人は愛しみき

砂弥島は小さく愛しき島なりと思ひつつぞゆく曇れる海を

砂弥島の荒磯の石に漕ぎ寄せて吾ひとりなる心やすらふ

藤原の代のいにしへこの島に聖きみず湧きいでたりけむか

塩田の傍とほり西浜といふひろき砂原に吾はかへり来

松山道後

城山に高くのぼりて日にきらふ古ぐに伊予はわれのまにまに

この国にあふちの花の咲くときに心は和ぎぬ君とあひ見て

「旅人の昼寝してゐる暑さかな」黙禅はわれをかく写生せり

正宗寺の墓にもうでて色あせし布団地も見つ君生けるがに

年古りし道後に一夜ねしことも朦朧にならむわれ帰りなば

琴平より高砂加古

金毘羅の荒ぶる神をみちのくの穉き吾に聞かせし母よ

金毘羅の神います山晴れたるにあへぎて登り忽ちくだる

高砂に夜おそく著き部屋にとほれば既にてきぱきと床をとる

加古川の川口にある松原を漕ぎさかる海の浪のうへ見ゆ

印南野は加古のながれを中にして月あかかりし野としぞおもふ