和歌と俳句

齋藤茂吉

10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

たたかひの をはりたる後 五年にて 強羅の山の 入りがたの月

かの夜に 電燈のうへ 蔽ひたる 黒き紙いまだも 残り居りにき

東京の あつき日ざかり のがれ来て 強羅の山に 老い呆けむとす

山家なる 庭に穴ほり 玉葱の 皮など棄てて われ住みはじむ

雨どよに 積りし松葉 のぞきけり あつき日に山に のぼり来りて

わが次男に 飯を焚かしめ やうやくに 心さだまるを 待ちつつぞ居る

トマト賣りに 来し媼あり 今朝あけがた 村を出でぬと 笑みかたまけて

今ゆのち いくばく吾は 生くらむと 思ひつつ三島の 納豆買ひつ

をさな等の 蝉とりに来る 行ひも 今日の日にして あなうるさうるさ

人の世の うごきのさまを かへりみむ 暇も無みと 山ごもりけり

よもすがら 音せし風の さびしさを 思ひながらに 朝寐をぞする

青き山 ふりさけ見つつ その山の 薄なみよる さま遠きかも

平凡に 日は暮れゆきて 山なかの いほりの壁に 馬追鳴くも

のぼり来て 十日を経たる 山の庵に 道ゆく女の こゑの聞こゆる

鳴りひびく 正午のサイレン 氣にとめむ 機としもなく 新聞を讀む

わがよはひ やうやくふけて 箱根なる 強羅の山の 道をこほしむ

オトシブミ といふ昆蟲の 翅の色 その紅色は いかなるものぞ

のがれ来て わがゐる山の むかうには 一種のイデオロギーが おどるおどる

朝の蝉 むらがり鳴くを 聴くときに さきがけらしく 鳴くこゑのあり

日に三たび 或は五たび 鳴くこゑの そのもろごゑの 蝉を愛する