和歌と俳句

齋藤茂吉

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ねむの木の 枝にすがりて 光りたる 山の蛍は あなめづらしも

夜ごとに 部屋の燈火に 飛びてくる 昆蟲あまた 畳の上ありく

明星が嶽のいただきに 火を焚きて 青年こぞる その炎のいろ

明星の山に燃えたつ いはひ火を 庵をいでて ひとり見に来し

熊蝉の 一つ聞こゆる 山の木の 下かげとほる われは老いつつ

ひぐらしの こゑのむらがる ゆふまぐれ この山の家に 身は老いてをり

たたかひの はげしきあひだ 飼はれゐて 生きのこりたる 猿蠅を食ふ

時により ひとりさびしく 聞きにける 箱根強羅の こほろぎのこゑ

焜爐の上に 薬缶ぽつねんと かかりたる わが住む家は あはれ小さし

あぶら蝉 杉の膚に 鳴きそめて をはりの聲に いよよ近づく

晴れに向ふ 雲のゆくへを 樂しまむ 秋のはじめに 家ごもりをり

透明に 鳴くこほろぎの しき鳴くに 強羅の月は 照りわたるなり

宮城野の 村に夜な夜な 鳴く犬の 長鳴くこゑは こよひ聞こえず

夏山に ひたぶる沁むる 雨のおと ゆふまぐれとぞ なりにけるかも

山の空に あかがね色の 雲のこり いまだ定まらぬ 世のかなしみか

こほろぎの そばに馬追 鳴きしきり このありさまも 戀しきものを

年老いて われの心を しづかにす 石のひまに居る 月夜こほろぎ

くろつぐみ 朝々おなじ 木立より 鳴くを聞けば 心さびしゑ

四十日 ここにこもれば あは果な カバンの明けかたも 時々わする

苔むして 青くなりたる 大石の そばに来りて こころいたはる