あひともに もろごゑに鳴く ひぐらしを 本年も吾は 聞きゐたりける
このこゑが 九月に入らば 稀になる その運命も われはよく知る
ひぐらしが もろごゑに鳴く その間に 油蝉のこゑ まじりてぞゐる
ふかぶかと 苔の蒸したる 靑き石 われは踏みにき 強羅の山に
強羅いでて 沈黙の谷に われ隠る 誰もゐぬ日よ くもりたる日よ
大石田 おもひおこせば 幽かなる 木天蓼の花 すぎにつらむか
吹きいづる 大湧谷の 衰へて ながれのすゑに 石のあつまる
けふ一日 老いたるわれの 渡り来し 強羅の山の 黒き石あかき石
あぶら蝉 こゑのあつまる 時ありて 間もなく「立秋」に ならむとぞする
茄子うりに 来し媼より 茄子を買ひ 心和ぎつと たまたまおもふ
夜な夜なに 胸のあたりが いきぐるし この世の果に わが来しごとく
あぶら蝉 杉の木膚を いだくとき そのたまゆらを 目守らむとする
八月二日 ゆふまぐれ みんみん鳴く ただひとつ鳴く 入日にむきて
竹行李 くふ昆蟲の ひそめるを つひに捕へて 保護しつつあり
桃郷の 桃といひつつ 君たびぬ 紅のとほりて きはまりけるを
野いちごを 摘みつつ食ひぬ 七十に 近き齢に われはなれども
黒どりの 羽のおちゐるを ひろひたる 東京の友の にこにことして
少年の 時せしごとく かがまりて 路傍のいちご つみ取りて居る
山の家に 朝の光の さしくれば 塵こそをどれ 數いく億萬
ひとつ雷 山を過ぎたる 夜あけて 吹く風すずし わがころもでに