TopNovel>その微笑みに囚われて・3

 

「こんにちは、東朝テレビ・番組製作部の松井です。本日はよろしくお願いします」
  わあ〜っ、打ち合わせってこういう部屋でやるんだ。さすが全国ネットのテレビ局、どこもかしこもピカピカ磨き上げられていて、何だか落ち着かない気分。
  案内されたこの部屋も、狭いながらすっきりと片付いていて隅々まで掃除が行き届いている感じ。しかも打ち合わせようのテーブルの上にはさりげなく一輪挿しなんて置かれちゃって、心憎いったらない。
「は、初めまして! 榊田の代理で参りました、岡野と申します」
  きちんとした名刺は間に合うはずもないから、慌ててパソコンでプリントアウトした。何だか安っぽく見えるなあ、相手はいちいちそんなことを気にしないと思ってもやっぱり落ち込んじゃう。
「へえ、岡野さんですか。……また、ずいぶんと素朴な方だなあ。いや、これは褒めているんですからね、誤解しないでくださいよ!」
「は、はあ……」
  それは絶対違うな、だって目が笑っているもの。何もこっちだって、好きでこんな格好をしているんじゃないわ。だけど、社長命令だから仕方ないの!
  ほら、見てよっ。私の隣に座ってる晶くんも笑いをこらえるのに必死。本当にどういう訳なのか、私の方が知りたいくらいよ!
  二昔くらい前の女子中学生のように二本の三つ編みを垂らし、しかも黒ぶち眼鏡。さらに開衿シャツにチェックのスカートと来れば、白昼堂々公衆の面前でコスプレをしていると思われても仕方ない。ここ、テレビ局なんだよ? ドラマのエキストラと間違えられて、撮影中のスタジオに連れて行かれたらどうするのっ、……って、それは年齢制限に引っかかってさすがに無理か。
  全く、社長も何を考えているんだか。
  これだけのアイテムをあっという間に揃えてきて、打ち合わせまでに着替えていくようにと言い渡される。
「晶のマネージャーに若い女のコなんて付けると、どんな噂を立てられるか分からないからなあ」
  ――なんて言ってたけど、そんなの絶対に嘘でしょっ。これって、社長の個人的趣味に間違いないと思う。
「それにしても榊田さんは大変でしたね。私もニュースや週刊誌で見ましたよ、その後の経過はいかがですか?」
  ……やっぱり、最初はこの話からか。
  絶対に出ると思ってたんだよな。しかも口では「大変でしたね」なんて言うものの、興味本位で詳細を知りたがっているのがミエミエ。そっかー、人の良さそうな感じだからって、簡単に心を許してはいけないんだ。頭にぎゅう詰めしたマネージャー処世術、いきなり実践なんだもの。うわーっ、緊張する!
「色々とご心配をおかけいたします。ただいまは大事を取っておりますが、そう遠くなく復帰できると思われます。マスコミに騒がれているような事実は全くありませんので、どうぞご安心くださいませ」
  ほら、台詞だってきちんと考えてきたんだから。
  こういうときに腹の内を全てさらけ出すなんて、とんでもない。この手の付き合いはタヌキとキツネの化かし合い、さらっと切り抜けるのが正解なのよ。
  ……って、これも社長やカオル先輩からの受け売りだけど。
  すると、目の前の松井さんは「参ったな」という感じで自分の膝をぴしゃっと叩いた。
「あはは、それは良かった! いやぁ、安心しましたよ。それでは、早速仕事の話に移りましょうか――」
  なんか調子のいい人だなあ、いちいちリアクションが大きすぎて疲れちゃう。でもま、これも仕事だからね。ちゃんと頑張らなくちゃ。
  そして松井さんは急に仕事モードの落ち着いた口調になって話し始める。
「さて、今回のドラマなんですけどーっ、こちらは全編を通して晶くんらしさを前面に押し出したシナリオになっています。女性視聴者の全てがヒロインに自分を投影して、疑似恋愛をしている気分になってもらえれば大成功ですね。とにかく成功の鍵は全て晶くんが握っていると言っても過言ではありませんから、よろしくお願いしますよ!」
  へええ、そうなんだ。
  ……疑似恋愛なんてすごいなあ。でも、なんだかわかる気がする。
  現実の世界ではどんなに頑張って探したって、晶くんみたいな素敵な人は見つからない。でも彼の出演しているドラマを観れば、画面いっぱいの笑顔で微笑みかけられれば、その瞬間だけは恋のお相手になれたきがしちゃうんだ。
『ボクの全てが恋をする』っていうフレーズも、耳元で囁かれたらぞくぞくしちゃうかも〜なんて考えていたら、ただの変態になっちゃうかな。
  いったい、こんなのって誰が考えるんだろ? ……まさか、ここにいる松井さんじゃないよね。
  とりあえず、ペンと手帳を手にスタンバイ。放映開始に合わせて張り出されることになっているポスターのゲラ刷りを呆然と眺めていたら、となりに座る晶くんがさっと話に入ってきた。
「いいえ、東朝テレビさんとはいつも素晴らしい仕事をさせていただいてますから、このたびもスタッフの皆さんのお力を借りてよりよい作品に仕上げることができればと願っています」
  おおーっ、なんて隙のない受け答え! 本当に、イマドキの若い子には珍しい子だわ。さすが晶くん、ファンとしてもマネージャー代理としても、鼻高々になっちゃうわ。
「いやいや〜、またご謙遜を! そういう風に言われちゃうと、関係者一同が舞い上がっちゃいますよ……! 今回の企画は晶くんありきでしたからねーっ、お受けいただいて本当に嬉しく思いますよ。いやっ、マジで!」
  がっはっは、と大声で笑うポーズも多少芝居がかってる。
  そこで松井さんは、わざと前屈みになって内緒話をするようなポーズを取った。
「それはそうと、ヒロインの麗奈ちゃんとは前回に続いての共演ですね。彼女とは午前中に打ち合わせをしたんですけどね、あちらさんも相当に乗り気ですよ? また、噂になっちゃったりしてね〜! ……あ、面倒ごとはほどほどで頼みますよ、今はネットとかですぐに炎上しますから」
  多少は番宣になっていいんですけど〜、なんて付け加えるあたり、誠に商魂たくましい。いやむしろ、コイツが率先して裏から手を回しそうな気もするわ。いかにもそーいうことをやりそうな雰囲気だ。
「ええ、麗奈さんやスタッフの皆さんにご迷惑にならないように気をつけます」
  これって、晶くんの方が、ぜーったい人間的に大人してるよね?
  ――晶のマネージャーなんて、実はそんなに難しいことはないんだよ。
  そんな風に社長は言ってたけど、……もしかして、その言葉も案外当たっているかも知れない。
  仕事なんて営業をかけるまでもなく、向こうからどんどんやってくる感じ。晶くんは一度引き受けた仕事にはひたむきに取り組むし、周囲に上手く合わせる協調性十分すぎるほど持ち合わせている。
  これじゃ、私の仕事なんて何もないじゃない。ただ座ってればいいってこと? それとも熱狂的なファンが押し寄せてきたときにバリケードになれっていうのかな。
  今一番の不安は、そんな風に出会う中に顔見知りがいたらどうしようってことなんだけど、まあここまでコスプレしていれば大丈夫かな。
「――あ、そうそう。松井さん、初回のシナリオで不明な点があるんです。ちょっとチェックをお願いできますか?」
「はいっ、どこの箇所でしょう? ……あれ、あれれ?」
  どれどれ、と松井さんは持参してきたファイルを広げて見せたけど、どうも挟んであったはずの初回分だけが見つからないみたい。慌ててあちこち確かめているうちに、見るからにメタボ予備軍なこの方は額にじんわり汗をかいている。
「ち、ちょっと、探してきます! も、申し訳ございませんが、少々お待ちください」
  ドアをすり抜けたサンダル履きの音がバタバタ遠ざかっていくのを見送りつつ、だーっと脱力。ああ、慣れないことをするのって気がつかえて仕方ないわ。
  そりゃ、私だってこの業界に関わって丸三年、それなりに仕事はこなしてきた。でもこんな風に「現場」に出てきたのは初めて。
  芸能事務所の仕事のほとんどは、縁の下の力持ち的なもの。様々な業者とやりとりしたり、書類を作成したり整理したり。今まで私が手がけてきたのはそんな地味な作業ばかりだった。
  でもでも、やっぱねー。テレビの画面越しにしか見たことのなかった風景を目の当たりにすると、ちょっと感激かも。朝じゃなくても「おはようございます」って挨拶するとか、本当だったんだな。しばらくの間だけのことだもの、思いっきり楽しまなくちゃ。
「……相変わらず、間抜けな奴」
  ――え、今なんて言いました?
  そのときまではボーッと物思いにふけっていた私。いきなりのひとことにハッと我に返る。
「あいつ、いつもあんな風なんだよね。よくもまあ、番組の責任者なんて引き受けられるもんだと感心するよ。もちろん、任せる方も同じくらい間抜けだと思うけど」
  でも、すぐにはその言葉がどこから聞こえてくるものなのか、判断できなかった。
  だって、今この部屋にいるのは、私と晶くんだけ。だけどこの台詞はとても彼の発したものとは――
「ふふ、何をそんなに驚いているの?」
  恐る恐る振り向いたその場所には、消えたはずの初回分シナリオを手にして小悪魔のように微笑む国民的アイドルの姿があった。
「……え……」
  にやーって笑ったわよ、にやーって。うん、確かにそんな感じに……!
  こっちはもう、はわわわっ、って開いた口がふさがらない状態。思いもよらない光景に、次の言葉も思いつかない。何なの、これ。もしかして、白昼夢……!?
「いやーっ、スミマセン! 誠に申し訳ありませんでしたっ!」
  そこに再度、けたたましいサンダルの音が響いてきて、松井さん再登場。ふうふうと大汗をかきながら、その手にしっかり抱えていた冊子を差し出す。
「――え?」
  目の前にもう一冊同じものがあることに気づいた彼は、当然ながら驚きの声を上げる。
  しかし、対する晶くんは無邪気な表情で応えた。
「テーブルの下に落ちているのを見つけたんです。慌てて追いかけたんですけど、もう松井さんの姿が見えなくて」
  ――何時、あんたがそこから立ち上がったのよ! そんなの、私、絶対に見てないからね……!
  そうやって大声で突っ込むことが出来たらどんなに幸せだっただろう。
  でも実際は、目の前で繰り広げられる名演技に圧倒されて、言葉もなく呆然と過ごすのみだった。

   

つづく♪ (110603・1003改稿)

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