TopNovel>その微笑みに囚われて・4

 

 その日の打ち合わせは一時間足らずで終了。
  すでにこちらに伝えられているスケジュールの確認と変更事項、それからクランクイン当日の詳細な日程を繰り返された。
  真面目な表情で頷く晶くんの隣で、手帳を開いて必死にメモを取りまくる私。
  松井さんはすごく早口で、しかも話があちこちに飛びまくり。こっちはもう、話の要点を把握するのが大変で大変であわあわしてしまった。
  ギョーカイ用語とかいうのかな? 聞いたことのない単語が乱舞して、目が回りそう。これ、実際に現場に行ったら、もっとすごいんだろうな。

「ねえ、病院に回ってもらってもいいかな?」
  受付に頼んで呼んでもらったタクシーに乗り込んで、ホッと一息。私が行き先を告げようと口を開き掛けたとき、晶くんがそこに割って入ってきた。
「病院?」
「うん、榊田さんのところ。今ならまだ、面会時間に間に合うと思うんだ」
  ちらと腕時計を確認すると、四時を少し回ったところ。今日はこれで仕事は終わりだし、少しくらい遠回りしても平気だろう。
「ええと、……じゃあ運転手さん、区民病院までお願いします」
  私がそう言い終える前に、もう隣の席から静かな寝息が聞こえてくる。
  うわっ、驚いた。多忙な芸能人って、どんな場所でも眠れるって聞いたことあるけど、本当だったんだな。……だけど。
  駄目だよ、盗み見なんて。必死に自分に言い聞かせたけど、やっぱり無理。だって、興味あるじゃない、演技でも何でもない笹倉晶の寝顔。い、いいよね? 減るもんじゃないし……
  にわかに高鳴る胸の鼓動。それを必死に抑えつつ、そぉっと振り返る。
「……」
  思わず、息をのんだ。
  すごい、……すごすぎっ! 何でこんなに綺麗な顔がこの世に存在するんだろう。
  明るい色に染まった髪はナチュラルなウェーブを描いて、額にふわっと落ちている。完璧なカーブを描く眉の下には固く閉じられたまぶた。で……何て長いまつげなのっ!? これって天然だよね? うわーっ、マジで信じられない……!
  ど、どうしよう。もうやめよう、ここまでにしようと思うのに、どうしても彼の寝顔から目を逸らすことができない。
だってだって、何年も憧れていた晶くん。ドラマのお気に入りシーンを何度もDVD再生してうっとりしちゃったり、雑誌の切り抜きにぼんやり魅入ってしまったり。そんなのが日常だった私に、降って湧いた幸運。とりあえず、眠っていてくれれば緊張感は半減するし……。
  …… とはいえ、やっぱ、胸の鼓動がマックスまで高鳴ってるーっ!
  渋滞に捕まりつつ、病院までの所要時間は約三十分。その間、ゆっくりと休息を取っていた晶くんとは裏腹に、あり得ないほど体力と精神力を消費し尽くした私がいた。

「待って、売店に寄っていくから」
  晶くんは、今までにも何度かこの病院を訪れているみたい。初めての場所に勝手がわからずにうろたえてる私を尻目に、すたすたと入院棟の方へ進んでいく。
「榊田さん、プリンが好きなんだ。差し入れてあげたくて」
  売店の奥にある小型冷蔵庫を自分で開けて、カップに入ったプリンを取り出す笹倉晶。それを三つ積み重ねてレジに運ぶと、自分でお財布を取り出してる。
  ――すごーい、アイドルが自ら買い物……っ!
  これって、店員さん気づいてる? 気づいてたら、正気でられないよねっ。あーっ、ここからだとレジの中が見えなくて残念。うおっ、満面の笑みで「ありがとう」って言ってる……!
  自分でも情けなくなるくらい、いちいち感激している私。何なんだろ、こんなでこの先やっていけるのかな? かなり不安になってくる。
「お待たせ、さあ行こうか」
  そう言ってこちらに近づいてくる笑顔が、自分に向けられているものだとはどうしても思えない。何もかもが、すごく不思議。自分までがドラマの登場人物になってしまった気がする。
  やっぱり、さっきのは錯覚だったんだよね? ほら、一瞬だけ、晶くんが黒い人間になった気がしたアレ。きっと緊張の極みにいた私が、ありもしない妄想を抱いたに違いないわ。
「どうしたの、岡野さん?」
  きょとんと目を丸くした表情も、半端なく可愛い。彼は自分でエレベータのボタンを押すと、私にどうぞと促した。
「うわっ、す、すみません……!」
  これじゃあ、立場が逆じゃない。もうもう気が利かないったら、情けなさ過ぎ。
「――百面相」
  だけど……
  晶くんが押したのは八階のボタン。ドアが閉まった途端に、それみよがしな溜息。
  そして、ゆっくり上がっていく四角い密室の中、どこかで聞き覚えのある声色が再び耳に届いた。
「お前、確か千里とか言ったよな? どーでもいいけど、感情が顔に出すぎ。そんな風にしていると、すぐに足下すくわれるぞ」
  ……え、今のって……?
  ぎょっとして振り向いたわよ、だってやっぱり全然信じられないし! さっきのテレビ局での出来事もどうにかして忘却の彼方に葬り去ろうとしていたのに。
「あはは、スゲー顔っ! マジ、笑える……!」
  わっ、笑ってる! おなか抱えて、苦しくて苦しくて仕方ないって感じに。えーっ、これって本当に笹倉晶っ!? 外見はどう考えてもそうなんだけど、でも……。 
  目の前で繰り広げられている光景が、未だに現実のものとは思えない。
  誰よりも愛らしく微笑み、邪心なんてひとしずくも感じられない永遠の少年。それこそが笹倉晶その人なんだ。そんなこと、誰でも知っている。私だって、それこそが彼だと信じて、心から憧れてた。うん、マジで他の男なんてひとりも視界に入らないくらいの勢いで。
  ――だから違う、今ここで見ているのは立ったまま見ている夢なんだ。
「ほら、着いたぞ」
  軽い目眩を覚えたら、またぽつりと声がした。
  今度は私が開閉ボタンを押したから、彼の方が先にエレベータを下りる。夕焼け色に染まった廊下で振り向いた彼は、元通り柔らかい笑顔に戻っていた。

 いろんなことが一度に起こって、気持ちが完全に乗り遅れている。たった半日足らずの臨時マネージャー、細切れの記憶がそこら中に散らばってひとつながりに戻ってくれない。
「榊田さん! 具合はどう……!?」
  病室に飛び込んだ笹倉晶、その姿はまるで子犬そのものだった。
  エレベータの中では、毒舌三昧だったのに。何なのっ、この変わりよう……!
「やあ、晶。お前は相変わらず元気そうだな!」
  榊田さんはベッドの背中の部分を上げて、雑誌を読んでいた。
  サイドテーブルには各種芸能誌がうずたかく積まれている。もちろん、彼の場合は興味本位にそれらに目を通している訳ではなく、これもれっきとした仕事のひとつ。
  晶くんはベッドまで一直線、そして彼に抱きついた。 か、可愛いっ! どうしよう、半端なく可愛いんですけどっ……!
「そんなことないよ、榊田さんがいなくて本当に寂しくてさ」
  一度も染めたことがない天然のままの黒髪をさらりと流した髪型で、細面の顔にフレームなしの眼鏡。榊田さんはいかにも切れ者、と言った印象なの。あまりにも完璧すぎて、私としてはちょっと近寄りがたいかな。
  感動の再会シーンにすっかり置き去りにされていた私。しばらくはドアの前に呆然と立ちつくしていた。そのうちに榊田さんがこちらに振り向く。
「やあ、岡野さん。話は社長から聞いているよ。ガキ相手で世話が焼けると思うけど、しばらくの間よろしく頼むね」
  ようやく気づいてもらえて、ホッとする。ずーっとこのままだったら、どうしようかと思ったもの。
「えーっ、何それ! ひどいな、僕は迷惑なんて掛けてないよっ。ね、岡野さん、そうだよね!?」
  ……えええっ、何なのっ。この猫かぶりすぎな態度は……!
  またも、違う「顔」を見せつけられて途方に暮れる私に、待ったなしの言葉が投げかけられる。
  えーと、えーとっ、何か答えなくちゃ。
「え、ええ、もちろん。私の方こそ何もわからなくて、教えていただいている感じです」
  そういえば、晶くんって確か、榊田さんが路上スカウトしたんだっけ。切り抜いて保存してあるインタビュー記事にそんな内容が書かれていたような。
  スケボー片手にちょっと悪ぶっていた少年を一流スターまでのし上げたのは、他でもない榊田敦という敏腕マネージャーその人だ。
  それにしても……懐かれているなあ。今の晶くん、社長やその他の社員さんに対する態度と全然違うよ。
「榊田さんこそ、お加減はいかがですか?」
  事故に遭ったという右足は、今もその全体がしっかり固定されている。
  話には聞いていたけど、実際にその姿を目の当たりにするとぞっとしちゃう。反射神経とかも良さそうな彼がここまでのダメージを受けるなんて、本当にただの事故なんだろうか。
「うーん、一般的には痛めたり筋が伸びたりするよりはパッキリ折れてしまった方が治りが早いと言うけどね、元通りに動けるようになるには残念ながらまだだいぶ掛かりそうなんだ」
  その言葉に不安げな眼差しを向けたのは私だけじゃない。むしろ榊田さんにぴったりと寄り添っている晶くんの方が泣き出しそうな顔をしていた。
「でも、怪我をしたのが俺で本当に良かったよ。晶に何かあったら、それこそ取り返しがつかないからね」
  小さく落とした吐息、さりげないその言葉が何故か私の心に冷たいものを運んできた。
「怪我をしたのが……って、それってまるで――」
  不慮の事故じゃないって言ってるみたいじゃないですか、と続けるつもりだった。だけど、途中で榊田さん自身に遮られてしまう。
「晶じゃなくて良かったって、ただそれだけのことだよ」

 面会時間ギリギリまで病室で過ごしてから、看護師さんに急き立てられるように外に出た。待たせておいたタクシーに乗り込むと会社に向かう。
「ねえ、千里」
  運転手さんには絶対に聞こえない小声で、晶くんは呟いた。
「お前、俺に何か隠しているだろう? さっきの態度、絶対におかしかったぞ」
  彼の言葉や表情が病室で榊田さんと向かい合っていたときとは全然違うとか、いきなり自分の名前が呼び捨てにされているとか、そういうことも気にしている場合じゃない。
「どうして……」
  晶くんの手にある白い封筒。それは今日私宛に届いた、差出人不明の謎の手紙だった。

   

つづく♪ (110610・1003改稿)

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