TopNovel>その微笑みに囚われて・15

 

「おい、起きろ」
  耳元で、誰かの声がする。これって、たまらなくロマンティックな目覚め。こんなシーンを私はずっと夢見ていた。そして、いよいよ現実に――
「……うわっ、わわわっ!」
  次の瞬間、いきなり現状把握。慌てて起き上がったら、目の前に信じられないほど綺麗な顔があった。次の瞬間、その表情がとてもわかりやすく歪む。
「ひでー、寝相。いったいどこまで転がってんだ」
  晶くんは、もうすっかり出かける支度を終えていた。そして、勝手にミルクティをいれて飲んでたりする。
  一方の私といえば、昨日とんでもない出来事が次から次へと起こったために、大変なお疲れモードだったらしい。どんな格好で寝たらいいかもわからず、とりあえずスウェットの上下。ちなみにグレイにピンクの水玉模様だ。
  ……ってことはどうでもよく。どうして、私は床に寝ているのでしょう?
  昨日の夜は、晶くんの指示通り、リビングのソファーで寝た。そのはずなのに……今はそこからずいぶんと離れた床の上にいる。
  夜中に転がり落ちた? だとしたら、普通は気づいて起きるはずだよ。うう、どこまでも乙女らしからぬ行動。晶くんが呆れるのも無理ないなあ……。
「まあいい、早くしないと時間なくなるぞ。途中でなにか、朝食も調達しなければならないだろう」
  うーっ、これじゃ、どっちがマネージャーなのかわからない。朝から、情けなさマックスだ。
「はっ、はい! では急ぎます!」
  そう言って、バスルームに駆け込む私。
  ええと、ええと……まずはシャワーを浴びて、それから身支度を調えて。それから、……メイクとか。そういうのもここで済ませちゃった方がいいんだろうな。それほど念入りに塗りたくるわけでもないけど、「化ける」過程を国民的若手俳優に見られるのは絶対に嫌!
  というか、私って、どうしてこんな信じられない状況で、ぐっすり寝入っていられたんだろう。これって、絶対にあり得ないよ。
  すでに夢は覚めたとはいえ、相手はかつての憧れの君。寝顔を見せることすら恥ずかしすぎるのに。よだれとか出てなかったかな、……自信がない。
「おい、急げよ。今日はスタジオ入りの前に、事務所に寄っていくんだからな」
  乱暴にドアが叩かれ、さらなる罵声を浴びせかけられる。
  そんなこと、わざわざ言われなくたってわかってますって。あんな醜態晒してしまった今となっては、支度なんて超適当になってしまいそう。

 朝ご飯はコンビニで買うことに。もちろん、出勤登校前のお客で大混雑の店内に晶くんが入れるはずもなく、私がひとりで頑張った。しかも、例のコスプレファッションでしょ。人混みの中でも目立ちすぎ。たくさんの視線が突き刺さり、かなり痛かった。
  そんなこんなでどーにか調達したそれを、事務所の応接室で広げる。
「なんだこれ、サンドイッチが潰れてるぞ」
  そうは言っても、殺人的な混み具合だったんだから仕方ないじゃない。……なんてことが言えるはずもなく、私は神妙に頭を下げる。
「すみません、以後気をつけます」
  それにしても。
  朝食がコンビニのサンドイッチとサラダ、昼と夜は撮影の合間に仕出し弁当。こんな食生活を続けていたら、あっという間に病気になりそうだ。
  すごいなあ、この業界の人たちって。ちょっとやそっとのことじゃへこたれないように出来ているんだね。それとも超高級なサプリとか愛用しているのかな。
「あ、私、飲み物をいれてきますね。先に食べていてください」
  部屋を出ると、すぐにカオル先輩が私に飛びついてきた。
「ねえねえ、千里ちゃん。ちゃんとやってる? あなたのことだから、とんでもない失敗とかしているんじゃないかって、私ずっと心配してたの〜!」
  そんなこと言いつつ、興味津々で目が輝いているし。先輩って、本当に不思議な人だ。
「も〜う、そこまで言うなら、さっさと先輩が代わってくださいよ。私だって、好きで引き受けた訳じゃないんですから」
「またまた〜そんなこと言って! 実は結構楽しんでいたりするんでしょう」
  いやいや、全然そんなじゃないんだけどな。
  楽しむどころか、困ったり悩んだりで、忙しいったらありゃしない。
「あ、そうそう。これ、社長から預かっている、晃のスケジュール。それから、ふたり宛の郵便物ね」
  A4コピー数枚分の書類を受け取り、私はびっくり。
「うわーっ! なんですか、これ」
  いったい、どーなってるの。
  社長、いくら気まぐれで仕事をやってるって言ったって、ものには限度というものがあると思う。この先しばらくは連日ドラマの撮影でぎっちぎちなのに、その合間にこれだけの量をこなせって? インタビューにグラビア撮影、秋以降に出演が決まっているドラマや映画の打ち合わせ。気も早く、お正月特番のあれこれも入ってきている。
「社長、えらく張り切ってたわよ。断っても断っても次々と依頼が来るから、一番しつこいところと仕事をしてやろうか、とか。今日だって、朝の十時から打ち合わせ! そう、朝の十時よ。そんなのって、信じられないでしょう。私も詳しいことはわからないけど、その話がまとまれば、さらに忙しくなりそうよ」
  えええーっ、嘘ぉっ!
「も、もうっ! 冗談は休み休みでお願いしますよ〜!」
  いいんだけどね、私は。だって、榊田さんが復帰すれば、それでお役ご免だもの。あとのことは、事務所一の敏腕マネージャーがどうにかしてくれる。でも、晶くんは……今だって、十分に忙しいのに。
「な〜んて顔をしてるの、千里ちゃん!」
  殺人的なスケジュールを手に自分のことのように落ち込んでしまった私に、カオル先輩が渇を入れてくる。
「晶はね、今働かせなくていつ働かせるってくらいのかき入れ時なの。だから、千里ちゃんは彼が気持ちよくスケジュールをこなしていけるように、彼のメンテナンスをばっちりやらなくちゃ。タレントなんて、マネージャー次第でどうにでもなるわ。だから、頑張って!」
「は、はあ……」
「それがわかったら、ガソリン満タンにして、いざ出陣! はいっ、ふたりのコーヒーは特別に私がいれてあげたわよっ」
  そして差し出される、取っ手つきの紙コップ。
  晶くんのために特製のミルクティをいれてあげるつもりだったんだけどなあ……なんて言えるはずもなく、私はお礼を言うとそれを受け取った。一応、リーフは買ってある。腹の立つ相手ではあるけれど、命の恩人でもあるし、ご主人様だし。ようするに私、どこまでも立場が弱いのだ。
「……ずいぶんと、騒がしかったな」
  応接室に戻ると、彼は早くも台本を広げていた。サンドイッチは一口かじっただけ、本当に仕事熱心な人だ。昨夜はいろいろあったから、スケジュールが崩れたのかも知れない。
「また来たのか、定期便。……で、内容は?」
  私が紙コップをテーブルに置くより早く、晶くんは郵便物に目をやっていた。
「あ、……ええと、今、チェックします!」
  そう言って、カバンからペーパーナイフを取り出す私。
  この手の封書は、手で開封するのは危険。最近では「中にカミソリを忍ばせて」なんて原始的な技が使われる例はあまりないようだけど、念には念を入れ、なのだ。
  中身はいつものように、折りたたまれたコピー用紙が一枚。その文面をざっと目で追ってから、テーブルに広げる。
「昨日までとほぼ同じ内容ですね、マネージャーを辞めろって」
  こう言っちゃ不謹慎かもだけど、なんか拍子抜けかも。昨日あんなことがあったんだから、新展開を期待してたりしたのに。
「やっぱり、すべてのことをひとくくりにして考えるのは無理があるんじゃないですか? 自宅マンションを荒らされたことだけでも社長にお話した方が……」
「千里」
  晶くんはものすごく厳しい顔で、私の言葉を遮った。
「お前は、黙って俺の言うことを聞いていればいいの。余計な口出しは無用だ。それともなに? わざわざ騒ぎを大きくして、俺の仕事を妨害したいのか?」
「え、……決してそんなわけじゃ」
「なら、大人しくしてろ。そして、間違っても勝手に行動するんじゃないぞ」
  はあああっ、どうしてここまで上から目線なのかなあ……。
  そりゃ、私は晶くんのマネージャーで、しかも代理。彼が気持ちよく仕事を続けることができるために、ありとあらゆるサポートをするのが任務。でも、このままなにもしないで手をこまねいているだけで本当にいいのだろうか。
「ほら、早く飯を食え。時間がなくなるぞ」
  実は食欲なんて全然ないんだけど。今日一日を乗り切るためには、なにか胃に入れておかないと。自分の意思とは関係なく食事をしなくちゃならないって、結構辛い。
 
  本日は屋外ロケ。そんなわけで、タクシーに揺られる時間がいつもよりも長くなる。
「げっ、なんだよ。ここの半端な空き時間でグラビア撮影? ちょっとさあ、そこは台本読みをしようと思ってたのに」
  晶くんは例のスケジュール表をめくって渋い顔。そりゃそうだ、確かにキツキツだもんね。でも仕方ないよ、社長命令だし。
「スタッフの方はすべて、現地で待機してくれるそうです。衣装も撮影中のままでいいとか。テレビ情報誌の特集ですから、その辺の打ち合わせもオッケーとのことですし」
  そうかあ、ロケ地でそのまま撮影か。ドラマの雰囲気が出ていいかも。雑誌の発売は、ちょうどドラマの放映開始と重なるし、宣伝効果も絶大だ。
「ま、いいや。いつもどおり、適当にやるから」
  晶くんはそう言うと、帽子のつばを下げて、いつもの充電タイムに入った。

   

つづく♪ (111006)

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