ぴちゃん、ぴちゃんと水音。その等間隔に落ちる音色が、私の意識を呼び覚ました。
「……う……」
ゆっくりとまぶたを開く。
どこだろう、ここ。あまり広くない場所、窓は手に届かないくらい上の方にしかない。……地下、なのかな。なんか、必要以上にひんやりしてる。
「あっ、いたたたたっ……」
転がっていた身体を起き上がらせようとしたら、反対の向きに転がってしまった。それもそのはず、両手両脚を縛られてて、私はだるま状態。これじゃ、思うようにバランスも取れない。
「ええと、私は……」
記憶が前後しているみたいで、すぐには今の状況が把握できない。無理に思い出そうとすると、頭にキーンと変な音が走る。しばらくそれに耐えていたら、ふっと元に戻った。
……ああ、そうだった。ホテルの外に出たら、車に連れ込まれたんだっけ。それで、そのまま気を失って――
「やばっ、今って何時!?」
窓が上にありすぎて、外の様子はわからない。でも、磨りガラスの向こうは白っぽいから、夜は明けている。……ってことは、まずい。まずすぎるって……!
「えっ、えーっ! やだやだっ、どーなってるのよ――」
慌てて周囲を見渡してみたものの、あまりにも薄暗いために小さな窓からの光が届かない場所はぼんやりとしてよく見えない。学校の教室ひとつ分くらいの広さかな、ただ真四角というわけじゃなくて、入り組んだ配置になっている。倉庫かなにかに使われていたのか、そこここにがらくたらしき山があるし。
こんなに騒いでも物音ひとつしないってのは、見張りとかはいないってこと? でもそれはそれで、良いような悪いような……だって、知らない場所にひとりで置き去りってかなり危険。
「どこかに出入り口があるのかな。まさかあの穴から落とされた訳じゃないよなあ……」
あれだけの高さからコンクリートの床に落下したら、いくらなんでも目を覚ますだろう。いや、その前に打ち所が悪くてあの世行きだったかも知れないけど。
こんなところでいつまでものんびりしている訳にはいかない、どうにかしなくちゃ。こうしている間にも、私を車で連れ去った奴らが戻ってくるかも知れないし。
「でもなあ……」
とはいえ、この状態では立ち上がることはおろか、はいずり回ることだってできない。幸いなことに目隠しはされていなかったけど、この状態で移動できるとしたら……うん、それしかない。
「……よし、行くぞ」
お世辞にも綺麗とは言えない床の上を、ごろんごろんと転がっていく。例のコスプレ衣装のまんまだったし、人にはとても見せられない光景だった。
するとそのうちに、足先にぐにゃりとした感触。
「……え……」
こここには私ひとりしかいないと思ってた。でも、違ったの……? ぶつかっても動かないって、――死んでる……!?
恐る恐る、私はその方向へと向き直った。すると――
「……えっ、えええっ!? なんでっ、なんで、あんたがここに……!」
寝ている、だけのようだ。良かった、本当にこれが死体だったらどうしようかと思ったもの。
「……う、うーん……よく寝たなあ〜!」
そこで、ぱちっと目を開けたその人。そう、彼は昨日も出会ったばかりの「ショウ」だった。彼はなかなか焦点の合わないらしい目で私を見つめる。
「あれ、千里ちゃん? 俺、まだ夢でも見てるのかなあ……」
この脱力系な発言にはびっくり。だから、思わず叫んじゃった。
「こっ、小早川さん! 寝ぼけないでくださいっ、あなた、どうしてここにいるんですか! やっぱ、誰かに連れてこられたとか――」
なんで、そんなに落ち着いてるの? ちょっとは慌てなさいよ……!
「えーっ、なにをそんなに騒いでるの、千里ちゃん。……あれ?」
ショウは、大きなあくびをしたあとに、ようやく自分の手足が縛られていることに気づいたよう。でも、それでも全然動揺してない。
「うーん、ちょっと待って」
そしたら、こきっ、こきっ、って。なにをしているのかよくわからないうちに、彼を縛っていた縄がばらばらと外れてしまった。
「……えええ……」
「時代劇の撮影のときに、縄抜けの方法もついでに習ったんだ。念入りにやられたらさすがに無理だけど、これ、どうみても素人のやり方だし。ほら、君のも解いてあげるよ」
それで、あっという間に最悪の事態からは脱出することができた。手足が自由になるって、本当に嬉しい。「困るよなあ〜女の子を縛るなら、もっと魅力的にしてあげなくちゃ。せっかくロープもあるし、試しにやってあげようか?」
いやいやいや、それはさすがにちょっと……ってか、どうしてこの人、そんな知識まで持ってるの!?
「そ、そんなことより! 小早川さんはどうしてここに? 私たちって、いったいどうなっちゃうんですか……!」
私がいくら慌てても、彼はのんびりしたもの。
「ええと、……そうだ。仕事が終わって迎えの車に乗って、そのままいつもみたいに気がついたら寝ちゃって――で、今ここ」
「は? はあああっ……!?」
「ま、いいや。こんな場所、いつまでもいられないし。脱出の方法を考えよう」
なんなの、この緊張感のなさ。この人って、今の自分がどんな状況にいるのかわかってないの?
「あ、あのっ、小早川さん。これって、もしかして、もしかしなくても、拉致監禁って奴ですよね? そうなんですよね……!?」
小窓から離れた暗がりの部分を、彼は壁に手をつきながら進んでいく。ひとりきりじゃなくなったことにちょっとは安心したけど、よくよく考えたらこの人が味方だって証拠はどこにもないし。
でも、これ以上勘ぐったら、マジで訳わからなくなってくる。
「――どうして、千里ちゃんはそう思うの?」
前を行くショウが急に立ち止まったと思ったら、そのままくるんと振り返った。
「そ、それは……」
のほほんとした口調とは裏腹に鋭い眼差し。駄目だ、プロの技に飲み込まれたら適当に切り抜けることなんて無理。仕方なく、私は今までの一部始終を彼に打ち明ける羽目になってしまった。
私が途切れ途切れに言葉を繋ぐ間ずっと、最初に聞こえた水音が等間隔で響いてくる。
始めは険しかったショウの表情も、話が進むにつれて次第に穏やかなものに変わっていった。
「……そうだったのか。やっぱり、そんなとこだとは思ったんだよな」
そう言って、彼はさらさらの髪をかき上げる。本人は何気なくしている仕草なんだろうけど、見ている方はいちいちどっきりさせられる官能的なものだ。どこがどうと説明するのは無理、この人ってただそこにいるだけで色気を放出してるから。
「千里ちゃんはアキラとふたりだけで秘密を共有していたってわけか。水くさいよなー、こっちが危険を承知で接触したのに完全無視なんて」
「で、でもっ、それは晶くんが……」
誰かに話して、いたずらに騒ぎを大きくされたらたまらない。だから、ふたりだけで犯人捜しをしよう。……そんな風に言われたら、従うしかないじゃない。だって、私は彼の忠実な「犬」なんだから。
「だよなあ、愛するアキラくんのお願いなら聞いちゃうよなー」
ショウはそう言ったあと、喉の奥でくくっと笑った。
「でもさ、そもそも無理だから、アキラは。いくら恋い焦がれたところで、ぜーったいに君のものにはなってくれないよ。あいつはどんなときでも仕事が第一、他のことは全部切り捨てるから」
それまでの冗談めいた色が消え、彼は急に真顔になる。
「アキラのことなんて、諦めろよ。千里ちゃんには、俺の方が似合ってるって」
「……は? はぁああああっ!?」
この人って、マジでよくわからない。そりゃ、晶くんだって、どーなってんのと思うことが多々あるけど、それの比じゃない気がする。
「あ、あのですねーっ! やめてください、そういう言い方は!」
「いいじゃん、いいじゃん。ここで会ったのも、なにかの縁だし。これはもう、運命だね」
もーっ、イメージ狂うなあ。この人って、どこまでもクールなイメージで売り出しているのに、本物は全然違うんだもの。
「ま、まずは出口を――」
そう言いかけたときだった。いきなりどこかでメリメリ、という音がする。
「「……えっ……」」
私とショウは、ハッとして顔を合わせた。
入り組んだ構造になった部屋だから、音が壁に反響しまくり、どこから聞こえてきたのかわからなくなる。だから、必死に耳を澄ました。
「……っ……!」
今度はどこからか、声がする。ただ、すごく遠い場所。壁を隔てたその向こうから聞こえてくるような――
次の瞬間、私はさっと身を翻した。
「……千里ちゃん!?」
もちろん、ショウはすぐに慌てて追いかけてくる。
「小早川さんっ! こっちっ、こっち……!」
自分でもよくわからない、でも急に身体が反応した。誰かに呼ばれた、そんな気がして。
そこは木の箱や壊れかけたスチール家具がうずたかく積まれた一角だった。必死にそれらを乗り越えたところに壁が見え、そこに高さ一メートルくらいの扉らしきものがある。
「千里ちゃんっ、……離れて!」
ショウが反動をつけて、扉を蹴る。それを二度、三度と繰り返していくうちに、ドアが少しずつ緩みだした。
「よしっ、次で行けるぞ!」
そうやって叫んだショウが反動をつけるために一瞬下がったときに、扉がひとりでに向こう側に外れた。
つづく♪ (120215)