TopNovel>その微笑みに囚われて・28

 

「……え……」
「ほら、昨日までのはこっち。こうやって照らし合わせてみれば、一目瞭然だろ?」
  ご丁寧に、比較のためにともう一枚も取り出してくれる。
「マジむかつくってーの。人のこと、馬鹿にするのもいい加減にしろってさ」
  私は、ごくっと唾を飲んだ。
  そして、見覚えのない文面の方を改めて視線でなぞる。
  ――ササクラアキラ ニ カカワルノ スグ ヤメロ コレハ サイシュウ ツウコク ダ。
「こ、これって……」
  違う、明らかに違う。
  切り取ったコピー用紙に書かれた、わざとらしい角張ったカタカナ文字。それは私のところにも毎日届いているものと同じ。でも……明らかに、昨日までとは違っていた。
  文章が微妙に異なっているのは当然、でもチェックすべきところはそこだけじゃない。
  なんというか、その。
  言葉がどうとか、それだけじゃなくて。そこ全体から伝わってくる威圧感がただ者じゃなかった。言うことを聞かないとただじゃおかないぞ、とでも言いたげな雰囲気。
  実は私、今日届いた分の郵便物をまだチェックしてない。ホテルに戻ってからでもゆっくり見ようと思って、荷物には入れてきたけれど。もしかして、これと同じものが私にも届いてる? だいたい、最終通告ってなに? こっちは当たり前の仕事を続けているだけだよ。どうして、そんな風に脅されなくちゃならないの……!?
「……千里ちゃん」
  呆然としていたのは、三十秒か三分か。自分でもよくわからなくなってる。
「やっぱり、君、なにか知っているんでしょう?」
「え?」
「俺の目は、節穴じゃないよ」
  私がハッとして顔を上げると、冷ややかな眼差しがあった。
「アキラにもしものことがあったら、ただじゃおかないと言っていたはずだ。こっちは本気で心配しているの、それを忘れてもらっちゃ困るな」
「な、なんですかっ! いきなり――」
「千里ちゃんって、俺たちの味方なの? それとも敵なの? そこんとこから、はっきりさせて欲しいな。君はわかってないかも知れないけど、俺だってアキラに負けずとも劣らずの多忙な人間なんだよ。こっちがわざわざ時間を割いていること、忘れてもらっちゃ困る」
  そ、そうは言っても……
  私の方だって、まだわからない。目の前にいるこの男が、敵なのか味方なのか。相手が私のことを訝しがるのと同じくらい、私もそう感じていた。
「で、でも私、知らないといったら知らないんです。それは何度も申し上げたとおりです」
  一連のことがショウの自作自演である可能性は捨てきれない。私が今、誰よりも守るべき相手は、笹倉晶ひとりだけ。少しでも怪しい相手には、心を許すわけにはいかないんだ。
  ――でも。
  たった今、ショウが言ったとおり、この人だってものすごく多忙なスケジュールをかいくぐっている人気役者だ。今期だって連ドラの他に単発の特別ドラマ、そして映画の撮影もあったはず。その上に音楽活動までしているのだから、その忙しさは半端じゃない。実際に確認しなくたって、それくらいは想像でわかる。
「あ、あのっ……ひとつ、聞いてもいいですか?」
  だからここは、一歩踏み込むのもアリかなと判断した。相手の素性を探るのも必要なこと、晶くんだってやっていることだし。
「ショウ、いえ、小早川さんはどうして、晶くんのファンになったんですか?」
「え?」
「同じ役者同士で個人的に仲良くなるとかそういうのならわかるんですが、そうじゃないでしょう。相手に気づかれないようにこっそり見守るなんて……不思議だなと思って」
  狭いパウダールーム、すすぎ終えたタオルを手にした私を、彼は珍獣でも発見したかのような目で見つめた。
「そんなこと聞いて、どうすんの?」
「あ、いえ――ただ、素朴な疑問ですから。答えたくなかったら、別にいいです」
  そこで、声のトーンを落として、さらに続ける。
「同じファンとして……興味あるじゃないですか。決して他言はしませんよ、って、誰かに話したところで信じてなんてもらえないでしょうけど」
  マスコミでは「宿敵」として取り沙汰されてるふたりだもんね、三流誌にだって買い取ってもらえなそうな情報だよ。
「ふうん、千里ちゃんは面白いこと言うなあ」
  そう言って、クククっと笑う表情は悪くない。なんというか、いつもよりも幼くて彼本来のシャープなイメージからはほど遠いものだった。
「アキラの良さなんて、改めて誰かの口から聞くまでもないだろ。自分の胸に手を当ててみなよ、その方が手っ取り早いよ」
「で、でも私は、小早川さんの意見を聞きたいんです」
  やたらと接近してくるこの人は、ちょっと好ましくない存在だった。でもそうだよ、よくよく考えたら、同じ晶くんのファンだもの。もしも彼の言うことがすべて本当なら、お互いが心強い協力者になれるはず。
  それに……「敵」も私たちのことを知っているわけだし。
  まあ、これもすべて、ショウの言うことが真実だったらという前提の元に成り立っている仮定だけど。
「うーん、そうだなあ」
  ショウはもったいぶるように首をぐるりと回す。そうすることで長い黒髪がさらさらと流れて、すごく綺麗だ。
「あいつって、仕事に対する姿勢が誠実だろ? そりゃ、気に入った内容じゃないと引き受けないとかそういう堅物な一面はあるけど、その代わりやるときはとことんこだわるじゃん。俺たち、デビューもほとんど一緒だし――あ、俺の方が売れたのは先だったけどさ、とにかく端から見ててもアキラの仕事ぶりには頭が下がるよ。しかも全然、偉ぶったところがないし」
  その言葉に、私は自分の耳を一瞬疑っていた。いや、ここにいるのが私以外の他の誰だったとしても、同じように感じていたと思う。
「しかも、自分には厳しいくせに、周囲がだらけていても文句ひとつ言わない。黙って自分の仕事をこなして、その態度で周りも引っ張っていくって感じ? 惚れるよなー、まったくもう」
  こ、これって、かなりの問題発言じゃないでしょうか。
  焦った気持ちが顔に表れてしまったらしい、ショウはこちらを見て照れ隠しのような歪んだ表情になる。
「他言しないって約束、必ず守れよ」
  ……ちょっと待って。今の顔って、すごく可愛い。
「大丈夫です、誰にも言いません」
  この言葉、そのまんま信じちゃっていいのかな。だって、私が今まで晶くんに対して感じていた印象とまったく同じなんだもの。
「千里ちゃんって、やっぱ面白いよな。俺のこと、怖がらないし」
「え?」
「こんな質問されたの、生まれて初めてだ」
  ショウはすごく嬉しそう、この人って笑うと急に幼くなる。でもこんな顔、人前には出さないよな。
「当然ですよ、小早川さんが晶くんのことをそんな風に思ってるなんて、誰にも想像できませんから。きっと本人だって、全然気づいてませんよ」
「そりゃあな。実力を認めているからこそ、負けたくないんだ。こっちだって、プロだからな」
  吐き捨てるように言ったあとで、ショウは急に真顔になって向き直る。
「……で、千里ちゃんの方もなにかしゃべる気になった? まさか、聞くだけ聞いといて、そっちは黙りって言うんじゃないだろうな」
「え、その――」
  うわ、そうだった。
  思いがけない告白に感激して、自分がどんな意図で質問したのかすら忘れていた。
「あ、あのですね」
  ここは自分の第六感を信じるしかない。目の前にいるその人が心を許せる人間なのか、その見極めを迷っている暇なんてないんだから。
「私、実は……」
  話してみよう、私のところにも同じ手紙が届いていること。それがわかったからといって、すぐになにがどうなるわけでもないけれど、このまま突破口がまったく見えずにひとり手をこまねいているよりはいいと思う。この考え、間違ってないよね。
「おいっ、千里!」
  でもそのとき、狭い廊下を突き進んでくる足音に私たちの会話は中断された。
「いつまでぐずぐずやってるんだ、いい加減に――」
  しろよな、という言葉があとに続くはずだったんだと思う。でも彼の声はそこで途切れる。
「あ、あのっ、すみません。すぐに行きますから」
  慌てて声を返したけど、私の言葉は悲しく宙に浮いた。
  狭いパウダールーム。ショウは私よりあとから入ってきたから、長身のふたりが真正面から向かい合うことになってしまう。
「――なんで、お前がまた」
  いつもの愛らしいイメージが嘘のように、冷たい眼差し。そして、対するショウの方は普段と変わらず鋭い視線を返してくる。
「俺は彼女に用があるんだ、お前には関係ないだろ」
「なに言ってんだ、千里は俺のマネージャーだぞ」
  睨み合いはすぐには終わりそうもない感じだった。
「あ、あの――」
  私の声は、ふたりの耳にはまったく届いていない。どうしよう、せっかく核心を突けるかと思ったのに。いつももうちょっとのところで上手くいかなくなる。
「晶くんーっ、岡野さんは見つかりましたか?」
  その呼び声に、緊張いていた空気が一気にほどける。
「はい、すぐに戻ります」
  晶くんはなにごともなかったかのようにそう答えたあと、私を顎で促した。

   

つづく♪ (120127)

<< Back     Next >>
TopNovel>その微笑みに囚われて・28