TopNovel>その微笑みに囚われて・27

 

「なんかさ、すぐ近くに別件で詰めてた報道記者がいたらしくてさ。そいつがすぐに駆けつけて情報収集したらしいよ。まったく、余計なことをしてくれやがる」
  ふたりきりになった途端、彼は素面の顔に戻る。もうちょっとだけ優しいままでいて欲しかったなとか、願うのは無理か。
「社長はあの調子だからさ、適当にリップサービスしとけって。すべては番宣に繋がるとかいうけど、あまりみっともない真似はしたくないな」
  そう言い終えた頃に、エレベーターは地上階に到着する。でも彼はそこで素早く「閉じる」ボタンを押した。
「え、あの――」
「お前も、余計なこと口走ってないだろうな。カオルさん、あの人もなにを考えてるのかさっぱりわからない。かなり頭の切れる人であることは間違いないんだけど、全然読めないんだよな」
  なんなのそれ、お得意の人間分析?
「そ、それは大丈夫です。私だって、自分の立場はきちんとわきまえているつもりです!」
「……ふうん、それはどうだか」
  いまいち納得のいかないような表情。
「今回のことが吉と出るか凶と出るか、それが問題だな。まあ、すぐにあっちも動いてくると思うよ。かなり憤っているみたいだし」
「は、はあ」
  そう考えるのが妥当だろう。向こうの目的がどこにあるのか、それが未だによくわからないが、彼らのもくろみ通りに話が進んでいないことは明らかだ。そのために、脅迫もだんだん狂気めいたものに変わってきている。
「それはそうと。社長とはどんな話をしたんですか?」
「それ、お前に話す必要ある?」
  一方的に会話は終了。晶くんは私の話なんて聞く気はないのだろう。頼りにされてないっていうのはわかってるけど、もうちょっと……どうかなって思う。
「さ、行くぞ」
エレベーターの扉が開くと、彼は瞬間技で役者の仮面を被った。

 時の人、笹倉晶。ただですら行く先々で人目を引く彼であったが、今日はそれがひとしお。
  タクシーを降りてテレビ局に入ると、受付カウンタのお姉さんたちも掃除道具のワゴンを押す清掃員さんも、通り過ぎるすべての人たちが彼の姿に釘付けだった。
  こうなってくると、誰も彼もが昼間の事故の話をしているような気がしてくる。自然と歩き方がぎこちなくなる私の耳元で、晶くんはぼそっと呟いた。
「おい、右手と右足が一緒に出てるぞ」
「……ええっ!?」
  まさかそんな馬鹿なと思って立ち止まると、言われたとおり。
「少しは落ち着けよな。これくらいのことでビビってて、どうすんの?」
  そういうそっちは、どうしてそこまで自然体でいられるの? 見たはずだよ、事故現場。人が乗ってなかったと聞いたときには心底ホッとしたものの、一歩間違えば大惨事になっていた。
「わっ、わかってますって!」
  指定されたのは、撮影スタジオも兼ねた小部屋。待ちかまえていた番組プロデューサーが笑顔で私たちを迎え入れる。
「やあやあ、突然割り込ませていただいてありがとうございます。今、晶くんは東朝さんのドラマで大変でしょう。ダメ元でお願いしてみたんですけど、まさか引き受けてもらえるとは思いませんでしたよ!」
  事前に渡された資料によると、今日はファッションに関する短いインタビューだとか。今人気急上昇の若者向けブランド、前クールにこのテレビ局で放映された晶くん主演のドラマでそれが多く使用されていたことから白羽の矢が立ったのだとか。
  こういうのもタイアップっていうのかな。良くあるよね、女優さんが愛用しているスキンケアとかが紹介されているとついつい使ってみたくなるのって。
  ターゲットが二十代半ばくらいまでに設定されているってことで、お値段もまずまず手頃。渋谷の某ファッションビルにもテナントとして入ることが決まったとか。
「じゃあ、お約束ですが、まずはこっちの服に着替えてもらえますか? そうそう、気に入ったらそのまま持ち帰ってもいいですよ。先方からもそう言われてます」
  へええっ、太っ腹! いくらお手頃価格とはいっても、これだけ一式そろえたらかなりの額になると思うけど。まあ、晶くんが私服として着てくれれば、それだけで宣伝効果は抜群だもんな。向こうもそれを狙っているのかも。
「わあ、本当ですか! すごくイイ感じですね、でもいいのかなあ〜」
  外面の彼はとても嬉しそうに微笑む。用意されていた服をひとつひとつ丁寧に手にして確認したりして。
「じゃあ、そこの衝立の後ろを使ってもらえます? 狭くて申し訳ないけど……」
「あ、いいです。ここで着替えちゃいますよ」
  とかなんとか、いきなりジャケットやTシャツを脱ぎ始めるんだから、焦る。甘い顔立ちからは想像しにくい精悍な胸板とか、適当に割れてる腹筋とか。な、なんか、危ないシーンを思い出してしまう。
「これは……どっちを上に着ればいいんでしょう?」
  晶くんの問いかけに、スタイリストさんが慌てて飛んできたりして。いつものことながら、こういう場面では彼が王様。こんな感じでいつでも持ち上げられ続けていたら、勘違いしてしまう芸能人が出てきても不思議はないな。
  ……ま、いいけど。
  晶くんはプロ意識がかなり高いと思う。インタビュー記事とかでもそれをなんとなくくみ取ることができてたけど、こうして毎日行動を共にしていると、もっともっと強く実感できる。
  精一杯頑張ってる彼を陥れようなんて、本当に腐った根性してると思う。早く、敵の尻尾を捕まえて、平穏無事な毎日を取り戻さなくちゃ。
「――痛っ!」
「えっ、どうしましたか!?」
  カラフルなシャツを羽織ったところで、晶くんが小さく叫ぶ。傍らのスタイリストさんが、慌てて声を掛けた。
「あ、いえ……なにかが刺さった気がして」
  するりと抜かれた袖、二の腕になにかに引っかかったような赤い筋が見える。
  それを確認するのとほぼ同時に、スタイリストさんが悲鳴のように叫んだ。
「た、大変です、田中プロデューサー! こんなところに、針が……!」
  見ると袖の内側に、まち針が刺さっている。浅く布をすくってあるだけで、表にはほとんど響いてない。
「なんだって!?」
「先ほど確認したときには、なにもなかったんですが。ええ、確かに。ラインを見るために他のスタッフに着せてみたりもしましたし」
  当然のことながら、現場は騒然となった。でも、その中でひとりだけ冷静な人物が。
「――岡野さん」
  どうしたものかと立ちつくしていた私に対し、晶くんがなんでもない様子で言った。
「悪いけど、タオルかなにか濡らしてきて」
「は、はい!」
  私が慌てて返事をすると、晶くんはスタッフの皆の方に向き直る。
「では、続けましょうか。服で隠れる場所ですから、今日の撮影には支障がないですし」
「え、でも――」
  提案を遮ろうとするプロデューサーに、晶くんは落ち着いた微笑みを浮かべた。
「別にこれくらいのこと、なんでもありませんよ。誰にだって間違いはあります、気にしないでください」
  その言葉に、スタイリストさんが泣き出しそうな顔になる。
「で、ではっ、すぐに行ってきます」
  確か、すぐ奥にパウダールームがあったはず。そこで濡らしてこよう。
  ドアの外に出て、いきなり脱力。はああっ、いったいどうなってるの。一日に何度もこんなことが起こってたら、心臓がもたないよ!
「や、やっぱ……これも警告って、こと?」
  どんなことでもそっちの方向に持って行っちゃうのは、危険な考え方かも知れない。
  でも偶然が重なりすぎて、これでは必然になってしまう。
「こ、このままでいると、もっと怖いことが起こるって……そういうことかな」
  違うよ、そうじゃないって。誰か、断言して。
  気持ちを落ち着けるために、無駄に水を流し続けていたら、不意にポンと肩を叩かれた。
「や、また会ったね」
  ――うっ、嘘っ!?
  すぐさま振り向いたものの、しばらくは声も出なかった。
「そんなに驚くことないじゃない。運命の再会なんだからさ、もうちょっと感激してくれないと悲しいな」
  小早川翔矢、なんでこの人がここに。
「これから音楽番組の収録なんだ。そこのスタッフから、アキラが来てるって話を聞いてさ。もしかしたら、千里ちゃんに会えるんじゃないかと思って」
「は、はあ……」
「あれから電話にも出てくれないし、メールは無視するし。傷つくよなあ、そういうの」
  とにかく眼力の強い相手。それをウリに芸能界を生き抜いている訳だから、至近距離で見つめられたら固まってしまう。
  わざとらしく溜息をつく仕草も、決まりすぎていた。
「こっ、こっちにもいろいろあったんです! というか、私、急いでるので――」
  早く部屋に戻らなくちゃ、私は晶くんのマネージャーなんだから。
「うん、話は聞いた。まったく、災難だったね。でも、そうなると、いよいよ今日の手紙の文面が気になってね。ほら、見てよ」
  すぐに取り出せようにと、あらかじめ用意しておいたのだろう。
  ぱらりと広げられたなんの変哲もないコピー用紙に、私は目を見張った。

   

つづく♪ (120121)

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