「そうかあ、見ちゃったんだ……」
そう言って、私を見下ろす瞳が妖しい色に光った。
「困ったなあ、これって、社長と榊田さん以外は誰も知らないトップ・シークレットだったんだけど」
そのときの私は、散らばったバッグの中身をかき集めるために床に座り込んでいた。すぐには動けない状況。そうしているうちに、晶くんがずいっと身を寄せてくる。
「あっ、あの……これって、わざとじゃないですし! その……すみません!」
ど、どうしよう。あまりのことに、どんな言葉を返すのが妥当か、それすらも思い浮かばなくなってる。
――晶くんが、年上? それって、嘘でしょっ。なにかの悪い冗談だったりする……!?
そりゃ、正確な年齢なんて、本人を目の前にしたってわからないもの。でもっ、デビューから五年近くも隠しとおすなんて可能なの?
テレビドラマのワンシーンで初めてその姿を見たときから、私はずっとこの人のことを年下だと思っていた。プロフィールにだってそう書いてあったし、その情報をすっかり信じ切っていた。
「ほら、俺が最初に出演したドラマ。あれって、中学生の役だったじゃん。オーディションを受けるときに年齢で弾かれるとやってらんないと思って。あの頃もう、高校出てたしさ。……って、俺は高校にもテキトーにしか通ってなかったけど」
「は、はあ……」
そうか、あのドラマが放映されたとき、私は高三だった。ってことは、ひとつ年上の晶くんは十九歳。メインやネタのキャラならともかく、ちょい役の採用だったら最初のところで振り落とされてたかも。
で、でも……だからといって。
「高校の頃、いろいろと面倒になってさ。昼間は引きこもって、夜になると遊びに繰り出すって生活をしてたわけ。そこで榊田さんに出会ったんだ。年齢詐称だって、たいしたことないとそのときは思ったね。まさか、こんなに長く続くとは予想もしてなかったから」
濡れた前髪、毛先からぽたぽたと雫が垂れている。彼は面倒くさそうにそれをかき上げると、一息ついた。
「でっ、でもっ……こんなのって。どうして、今まで誰にも気づかれずに来られたんですかっ?」
だって、そんなに上手くいくわけないよ。
今は情報社会。昔の知り合いがテレビに映画に雑誌にバンバン出ていたら、そしてその人物が年齢を偽っていることを知ったら、絶対に黙ってはいられなくなる人が現れると思う。そういう場合、面と向かって本人に言うってやり方はまず考えられない。たとえば、その筋の人間にリークするとか、そうじゃなかったら……。
「うん、それには俺も驚いてる。本当に存在感なかったんだなーって。まあ、高校卒業くらいで顔つきがまったく変わったし、生活のリズムが補正されたら体型の崩れとか肌荒れとかもなくなったしね。やっぱさ、夜型はきついよ。かつて俺がひどいニキビ面だったとか、信じられる?」
「えええっ、そんな馬鹿なっ!」
じゃあなんで、今はこんなに綺麗になっているの? 毛穴だって全然開いてないじゃない。あり得ないっ、そんなの悪い冗談だよ。
「へえ、チィちゃんは女の子なのになにも知らないんだね。肌なんてね、一皮剥けば見違えるの。なんなら、世話になった病院、紹介しようか?」
はわっ、はわわわっ……、それって本当に?
「こっちとしては、整形でもなんでもやってもらって構わなかったんだけど。そんなことしなくても仕事にありつけたから、事務所としても安く上がって良かったと思うよ。とりあえず、今のところはこのネタを誰にも握られてないってことだね」
ここまでの日々で、晶くんに抱いていた「王子様像」は跡形もないくらい崩壊していた。だけどまさか、最後にこんな大どんでん返しが待っているとは思わなかったよ。
「……で、どうしようか?」
そこで、晶くんはもう一度冷たい視線で私を見下ろした。彫りの深い顔立ちだから、陰影がはっきりしていると恐ろしさは倍増。
「チィちゃんって、あんまり信用できないんだよなあ。真面目そうに見えて、ポロッと誰かにしゃべっちゃいそうな気がする。その口、どうしたら塞げるだろう。今、このネタをばらされるのは困るんだよねー」
私、なにも返事できなかった。とてもそんなことができるような状態じゃなかったよ。
怖い、半端なく、どうしようもなく怖い。今すぐにでも、この場から逃げ出したい……!
「千里」
晶くんは容赦のない声で私を呼ぶと、一歩こちらに足を進める。それから、不意にその場に膝を落とした。互いの目線が、そこで同じ高さになる。
「無理だろ、お前。絶対に黙っていられないよな」
「そ、そそそ、そんなことありませんっ! わっ、私だって、一応は事務所の人間ですから。不利益になるようなことを口外したりしませんって……!」
そうだよ、こんなことがばれて悪評が広まって、晶くんに仕事が来なくなったらどうするの? この人は、事務所にとっては他に代えようのない稼ぎ頭なんだよ? あとのひとたちとはゼロがふたつもみっつも違う仕事をするんだから。
「そりゃ、口ではどんなことだって言えるよな。でも実際はどうかな……?」
そう言って、晶くんは私の三つ編みの髪を片方引っ張る。しばっていたゴムが外れて、髪がばらばらと肩に落ちた。そして、もう片方も同じように。
「人の心なんてね、昨日と今日で百八十度変わったりするんだよ。こういう業界にいれば、そんな場面も繰り返し見ることができた。なかなか刺激的なんだよね、盛り場で遊んでるよりもずっと魅力的だよ。だから、お前のこの口を永遠に塞ぐ必要があるわけ。この生活、失いたくないからな」
「だっ、だからっ! 言いませんっ、誰にも言いませんって……!」
背後には荷物を置いていたソファーがあって、もうこれ以上は後に下がれない状態。
それなのに、晶くんがさらにこちらに身を寄せてくる。
「そんな言葉、信用しろって言うの? 残念だけど、俺はそこまでお人好しにはなれないんだ」
顎の下に手を入れられ、ぐいっと上向きにされる。
「でも良かった。男だったら、ここで息の根を止めてやる他ないもんな。できれば、人殺しはしたくない。その点、お前は女だ。別の方法で黙らせることができる」
「……っ……!」
首を横に振りたいけど、それも無理だった。彼の唇は容赦なく私の口を塞ぐ。そして、その舌が口内にまで侵入してきた。
「……うっ、うぐ……!」
どうしよう、さっきのよりもずっとすごい。息ができない、自分を保つことも無理になってる。苦しい、早く解放して! 駄目っ、こんなの……!
「反応しろって言っただろ、なにびくついてんだよ。天下の笹倉晶が相手してやるっていうのに」
一度、口を外した彼は、少し息が上がった様子で言い放った。そしてそのすぐあとに、今度は首筋に舌を滑らせる。
「……やっ、やあっ! 駄目っ、止めてっ……!」
そこにきて、私はようやく自分がどれくらい危険な場面に直面しているかを悟った。
「なんでっ、こんなこと! こんなのっ、晶くんじゃありません……!」
思い切り突き飛ばしたかったけど、それは無理。身体をがっちりと押さえ込まれてしまっては、もう身動きが取れない。そうなれば、ひとつ残るのは思い切り叫ぶことだけ。
「……へえ、こんなのは俺じゃないって? じゃあ、本物の笹倉晶はどうだって言うんだ?」
「そっ、それは……」
「ばーか、そもそもお前にそんなこと説明できるわけないだろ? 本当の俺なんて、誰にもわからないよ。努力するだけ無駄ってこと」
彼はそう言うと、私をじっと見据える。
鼻の頭がくっつくくらいの至近距離。こんなに間近で見つめられたら、ファンとしては夢心地になるものかと思った。でも実際は、そんな乙女な感情は欠片もなく、ただただ恐怖の気持ちばかりが募る。
「お前、すげーラッキーなんだぞ。そこんとこ、忘れるな。俺に手を出して欲しい女なんて、掃いて捨てるほどいるんだからな。そいつらが泣いて頼んだって無理なことを、これからやってやるよ」
「……」
「俺もストレス解消ができて、お前も気持ちよくなれる。一度味わってみれば、病みつきになるぞ。次からはお前の方から、泣いてお願いしてくるんだからな。そうなれば、俺の秘密を他にバラそうなんて気も起こらなくなるだろう」
恐ろしさのあまり、次の言葉が出てこない。
違う、これは晶くんじゃない。私の大好きな晶くんとは別人だ。顔は似てる、声も同じ、でも違う。晶くんは、こんな人じゃない。
顎に掛かっていた手のひらが、音もなく静かにのど元を通って降りていく。そして、ブラウスの襟元を割って、ぐいっと服の中に忍び込んだ。
つづく♪ (111202)