その後も終始、和やかな雰囲気のままで面会時間は過ぎていった。
社長が勝手に組んたスケジュールには、さすがの榊田さんも驚いていた様子だけど、すぐに気持ちを切り替えたみたい。
「これも、晶にとっては修行のひとつだな。ま、壊れない程度に頑張ってもらおう」
その言葉に、嬉しそうに微笑む晶くん。
「わかってるって。撮影の方も順調に進んでいるよ、現場の雰囲気もすごくいいんだ」
「へえ、あの監督なのに。珍しいこともあるものだ」
そう言いつつ、鼻先でふふっと笑う榊田さん。
この人は、自分の目の前にいる人間の本質も鋭く見抜いてしまうんだろうな。敏腕と呼ばれるマネージャーはそこまでやりこなせなくちゃ駄目なんだ。
「晶も少しは大人になったかな、頼もしい限りだ」
「あーっ、またそんな風に子供扱いする!」
ふたりのやりとりをぼんやりと眺めながら、まざまざと見せつけられる。私と晶くんじゃ到底あり得ない、強固な信頼関係というものを。そうだよな、六年間もの積み重ねは伊達じゃない。
榊田さんへの退院許可がなかなか下りないことが恨めしい。この人なら、あっという間に問題のすべてを解決してしまうのに。そして、晶くんに次々と訪れるチャンスをひとつも漏らさず的確にモノにすることも可能だろう。
――ホント、なんで私がこんな役目を引き受けなくちゃならないんだろうなあ……
そのとき、私の心の呟きに応えるように、携帯がぴかぴかと点滅した。
「……あ、ちょっとすみません」
「大丈夫だよ、この部屋は携帯オッケーだし。遠慮なくどうぞ」
榊田さんの声に頷いて、私は通話ボタンを押す。
『や、チィちゃん。今、どこ?』
掛けてきた相手は、みんなのよく知る人物。だから、私も躊躇なく電話を取ることができた。
「あ、社長、お疲れ様です。野外撮影が昼過ぎに中止になりまして、今は榊田さんの病室に来ています」
『そう、じゃあ、これからすぐにこっちに戻ってくれる? スケジュール変更の知らせを聞いて、代替えの仕事を入れたんだ。それの確認と……あと、晶にも話したいことがあるし』
「はい、承知いたしました」
私はそこでいったん言葉を切ると、晶くんと榊田さんの方に向き直った。
「社長、榊田さんと直接お話なさいますか?」
『いんや、今はいいや。それより、できるだけ早く戻ってきて。――あ、くれぐれもお大事にって伝えてよ』
それほど広くない個室だから、携帯の声も丸聞こえ。榊田さんは「了解」とばかりに、ちょっと苦笑いして片手を上げる。
「わかりました、それではすぐに向かいます」
電話を終えると同時に、晶くんがはあっと大きなため息をつく。
「あーあ、社長もひどいよな。これだけ頑張ってるのに、さらに酷使しようとするんだから」
「なんだ、もう弱音を吐いているのか」
榊田さんが呆れたように言う。
「これきしのことで参ってたら、やっていけないぞ。ほら、招集がかかったんだ。早く行動しないと」
「は〜いっ、わかってますって。……じゃ、岡野さん。そろそろ、行こうか」
そして、私に向けられるのはよそ行きの笑顔。まったく、毎度のことながら完璧な演技に舌を巻いてしまう。
「岡野さん」
晶くんに続いて部屋を出ようとした私を、榊田さんが呼び止める。
「はい?」
「晶のこと、くれぐれもよろしく頼むよ」
本当に、ジェラシーを感じてしまうほどの信頼関係だ。榊田さんの晶くんに対する愛情が痛いくらい伝わってくる。
「はい、できる限り、努力します」
どんなに頑張ったところで、榊田さんの足下にも及ばないことはわかってるけど。それでも今は、頑張るしかないんだよね。助っ人として。
「……お前、さ」
しかし、エレベーターに乗った途端。晶くんのハニーフェイスは跡形もなく消えた。
「ちょっと、注意力散漫すぎない? 見てるこっちは腹立って仕方ないんだけど」
腕組みをしてじろりと睨まれると、半端なく怖い。怖いんだけど……なにも言い返すができない。
「榊田さんは、怪我人なんだよ。そんな彼に心配掛けて、お前はそれでいいのか? すべては上手くいってますって、外見だけでも取り繕ってみろよ。それもできなくて、よく俺のマネージャーを引き受けたな」
そんな言い方、しなくたっていいじゃない。
そりゃ、私は榊田さんと比べたら、どうしようもない存在かも知れない。でも、なりたくてなったわけじゃないんだよ。私、はっきり断ったのに、社長に強行されたんだから。それを……すべてこっちが悪いみたいに決めつけないで欲しい。
「……」
口を開いて、なにか答えなくちゃとは思った。だけど無理、なんの言葉も浮かばない。
「千里?」
鋭い言葉が、さらに胸をえぐる。なんでこんな気持ちになっちゃうのか、自分でもわからなかった。
「おい、なにか言えよ。こっち、向けってば!」
背中を向けたままの私の腕を晶くんは強引に掴む。私は、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「は、離してください! 少し、放っておいてください……!」
多忙な毎日に振り回されるばかりの私。事態は好転するどころか、いよいよ混迷を深めている。誰かに助けを求めてその腕にすがりたいのに、それすらも許されない。だったら、どうすればいいの、どうしたらいいの。
「――お前、訳わかんない奴だな」
それはこっちの台詞だよと、言い返したいけど無理だった。
やだもう、どうしようもないよ。
せめて社長に、もしくは榊田さんに。ううん、他の関係者の誰かにだって構わない。今、私たちが置かれている状況を説明して、相談に乗って欲しい。できることなら、すべてを解決して安全な場所に導いて欲しいと思う。
どうして駄目なの、秘密にしようとするの。その理由がまったくわからない。
私はただ、元の平穏な生活に帰りたいだけ。なのにどうしてそれを許してくれないの。このまま、びくびくと見えない影に怯えながら毎日を過ごしていくなんて辛すぎる。
――大好きだったのに、ずっと憧れの存在だったのに。晶くんがこんなに意地悪で強情な人だったなんて。こんな現実、受け入れられないよ。
「お前、裏切るんじゃないぞ。そのときは、容赦ないからな」
地上階に着いたドアが開くと同時に、彼は低い声でそう言った。そのときも、私はなにも答えられないままだった。
事務所に戻った私たちを待ちかまえていたのは、大げさすぎる歓迎だった。
「ちょ、ちょっとぉ〜っ! 千里ちゃんっ、どういうこと!? 無人の暴走車が現場に突っ込んで来たって、ホントにホント? 怪我人のひとりもいなかったって、それ嘘でしょう。本当は撮影に影響するほどの惨事だったりして。怪我したのは誰? もしかして、重要キャストのひとりだったりして……!」
私に飛びついてくるカオル先輩に軽く会釈して、晶くんはするりと通り過ぎていく。彼が向かうのはもちろん社長室だ。
「あ、あのっ……」
「ほらほら、まずは座って! 今、コーヒーいれるから。そしたら、ゆっくり話を聞かせてちょうだい」
いつもながらの勢いに、強引に押し切られていた。でも、その反面、何故かすごくホッとする。
非日常的すぎる状況、次から次から意味不明の事態に巻き込まれていく中で、ほんの一瞬だけど、元の自分に戻れたような気がしたから。
「もーっ、いくら移動中とは言ってもね。簡単な連絡だけで済まされちゃ、困るのよ。千里ちゃんの報告よりもネットの情報の方が詳細ってどういうこと? ただの事故ってわけじゃないんでしょう、犯人の目星はついてたりするのかしら」
そうだよね、普通はこんな風にいろいろ興味をもったり詮索したりするものだと思う。ただ、これって、矢面に立たされた当事者ではないからできることかも。
「え、ええと、それは……現段階ではよくわからなくて」
面白半分にいろいろ想像して、それが実は自分たちに関わることだったりしたら衝撃が大きすぎる。
「なんなの、千里ちゃん。急に口が堅くなっちゃって。私たちの仲じゃない、知っていることはなんでも話しなさいよ」
そうは言われても、思うままを口にすることはやっぱり無理。
「その……撮影は、明日よりスタジオに戻って引き続き行われるそうですし、今後のスケジュールも予定どおりです。詳しいことはよくわかりませんが、今回の事故はドラマ制作やテレビ局とは関係がないと考えられているのではないでしょうか」
違う、絶対に違う。きっとなにか関連がある。
心ではそう叫んでいても、私はもっともらしい意見を述べるしかなかった。
「そう? まあ、撮影が予定どおりに進むのが一番ではあるわね。今回の作品は前評判もいいし、かなりの視聴率になると予想されてるわ。多少のトラブルも、注目度を上げるためには効果的かも」
そこで外線が入り、カオル先輩は慌てて受話器を取った。それとほぼ同時に、社長室から晶くんが出てくる。
「岡野さん、お待たせしました。これからSテレビで取材です、こちらが変更したスケジュールになります」
外面笑顔の彼。だけど、その瞳だけが鋭く光っていた。
「かしこまりました、すぐにタクシーを手配します」
机の上を手早く片付けると、さっと席を立つ。携帯を手にして振り向くと、晶くんは壁の鏡に向かって前髪を直していた。
つづく♪ (120117)