TopNovel>その微笑みに囚われて・38

 

「ど、どどど、……どうして」
  大きく目を見開いた私に、目の前の人はニッと笑った。
「千里ちゃん、久しぶり! 良かった、思っていたよりもずっと元気そうで」
  彼は部屋の中をぐるりと見渡して、隅に置かれているパイプ椅子で視線を止める。そして、大股でその場所まで進み、片手でひょいと持ち上げると私の前に戻ってきた。
「い、いいんですか? こんなところまで来ちゃって」
  それまで私は、ベッドの背中に当たる部分を上げて上体を起こす姿勢でいた。なにしろ暇で暇で仕方ないから、差し入れられた文庫本を片っ端から読んでいる。今は映像でダイレクトに入ってくる情報よりも、活字をじっくり脳に浸透させる方が心地よかった。
「うん、全然。ほら、この通りに変装も完璧だし」
  そうは言ってもなあ、これだけの長身でしょう。それに加えて、背中を覆う長髪。この人が目立たないでいることなんて、絶対に不可能だと思う。
「ごめんねー、もっと早く来たかったんだけど。バンドの方の仕事が立て込んで、なかなか休みが取れなかったんだ。ここ、都心からだと往復するだけで一日がかりだし、結構面倒なんだよなー。でも、メールは送ってたでしょう?」
「ま、……まあ、それは」
  見た目のクールな印象からはまったく想像できないほどに、ショウは本当にフレンドリーでマメな性格だ。暇を見つけては『今、楽屋』『Mステージの生放送終わった』日に何度も報告を入れてくれる。こっちがなかなか返信しないでいると『無視するなよー、泣いちゃうゾ』とか、マジであり得ない文面が送られてきたりもした。
  芸能関係の情報が飛び交うワイドショーや各種週刊誌などは極力シャットアウトしてきた私にとって、この人とのやりとりは、外気に触れる唯一の手段だったと言ってもいい。正直、それが私にとって日常と接するちょうどいい温度でもあった。
  それくらい、すべての事柄と隔離されて生活していたということだ。
  郷里の両親にも今回の怪我のことは内緒。もともと仕事が忙しくて盆と正月くらいにしか帰省してなかったし、だからまったく怪しまれていない。私って自分で思っていたよりも自立してたんだなと気づいた。
「来週、退院だって?」
「え、どうしてご存じなんですか」
「そっちの社長に教えてもらった。……って言うか、千里ちゃんがこの病院にいることだって、彼に教えてもらわなくちゃわからなかったしね」
  あ、それもそうか。
「千里ちゃんに会えなくて、本当に寂しかったよ。でもこれからはまた、いつでも顔を合わせることができるね」
「え、それは……ちょっと、わからないです」
  社長は、私のデスクを残してくれるって言った。つまり、職場復帰は約束すると言われたことと同じだ。でも、元々の私の仕事は事務助手。晶くんのマネージャーを担当したのは臨時の措置で、周囲の助けがなかったら絶対に無理だった。
「ううん、きっと前みたいに楽しい毎日が戻ってくるよ」
  なにを思って、そんな風に言い切るのか。それがまったく理解できなかった。でも、ショウは確信を込めた瞳で微笑む。なにしろ、この人はプロだから、こういうときの迫力は半端ない。
  それからしばらく、彼は自分が関わっているドラマや映画、音楽活動のことなどを好き勝手に話してくれた。本当に、良く回る舌だと思う。多少のはったりや誇張表現も含めて、自分の今とこれからを自信たっぷりに語ってくれる。それでいて、まったく嫌みないのもすごい。
  ――同じ俳優業に携わっていても、晶くんとは全然タイプが違うんだな……。
  それぞれが別の個性を持っているのだから、ひとつの物事に対しても捉え方が違うのは当たり前のこと。私が思うに、ショウは仕事を仕事として割り切ってやっていける器用なタイプだ。タイムカードを押すようにオンとオフを切り替えて、気持ちを簡単にリフレッシュすることができるのだろう。
  でも、晶くんは。晶くんは、それとはまったく違うタイプだ。仕事に自分の持つべき時間のすべてを捧げ、もがき苦しみ続けている。きっとこれからもずっと、そんな生き方を続けていくはずだ。
  どちらが良くてどちらが悪いというような明確な位置づけはできないと思う。だけど、ふたつの人生はどこまで進んでも交わりあうことはないような気もする。
  だからこそ、お互いに強く惹かれあうんじゃないかな……?
  自分に正直なショウはそのことに早い段階から気づいてはっきりと認めているけど、晶くんの方だって「小早川翔矢」という俳優を常に意識してきたはずだ。
  いずれ、晶くんの気持ちにゆとりができれば、ふたりは互いに互いを認めた上で戦い続けることのできる、本当の意味での「好敵手」、つまりライバルになれるはず。
「……って、ことなんだけど。千里ちゃん、今の話をちゃんと聞いてた?」
  急に話を振られて、一瞬焦る。
  そう、彼の言ったとおり。私は話の途中から、まったく違うことを考えていた。
  ここを訪れてくれる見舞客はそれまで、事務所関係者に限られていた。私のことが外部に漏れないようにされているのだから、当然のことだろう。
  友達も家族もその他の知人にも、私は今の状況をひとことも話していない。どんなに秘密にしていても、口を開いて情報を伝えれば、それはいつか独り歩きを始めてしまう。どんなに厳しく口止めしたところで、なかなか上手くいかないのが常だ。
  そりゃ、会いたいなと思う相手はたくさんいたよ。だって、ここにいると暇で暇で仕方ないし。誰かに話し相手になってもらいたいって正直思った。でも、それによって、事務所の、そして晶くんの不利になるような状況になってしまったら大変。そう思って、必死に我慢していた。
  だけど、今日こうしてショウと再会して。世の中はいろいろと動いていることを思い知った。退院して東京に戻ったら、私はさながら浦島太郎の心地になれるだろう。
「すみません。……その、事務所の人間以外の人とこうしてお目に掛かるのは久しぶりで。なんだか、感覚が掴めなくて……ああ、もちろん、病院の関係者とはたくさん出会ってますけど」
  私の言葉に、ショウはなにかを気づいたように低く笑った。
「そっかー、……じゃあ、会わせてもらえてないんだ」
「え?」
「アキラと、だよ。そんなことじゃないかと思ってたんだけど、アイツなんか最近、調子出てないみたいだしな」
  わざとらしく首をすくめて見せるショウに、私は慌てて言い返していた。
「あっ、それは違うと思います。晶くんは、私じゃなくて榊田さんのことが――」
  そこまで言いかけて、私はハッとして口をつぐむ。ショウの表情が一瞬で険しくなっていた。
「千里ちゃん、その名前は二度と口にしては駄目だよ」
  でも、そんな緊張も一瞬ののちには解ける。彼は元どおりの明るい笑顔に戻った。
「これからのこと、楽しいことをたくさん考えなくちゃ。今までこんな場所に閉じこめられていたんだもんね、退院したら美味しいものをたくさん食べて、やりたいことを片っ端からやっていけばいい。俺も協力するからさ」
「あ、いえ! そんな……小早川さんにまでご迷惑をお掛けできません」
  なんなんだろうなあ、この人。本当に、距離感の掴みにくい人だ。調子のいいことばかり言うけど、それを本気にする相手が出てきたらどうするつもりなんだろう。
「ううん、千里ちゃんの為だったら、俺はなんでもできるよ。遠慮なんてしなくていいから、これからも楽しくやろうよ」
  そう言い終えたあと、彼はさっと腕時計を見る。どうも、タイムリミットみたいだ。
「……じゃ、今日はそろそろ帰らないと。また、そのうちね」
  さっと席を立つ姿は、やっぱり決まってる。こういう人たちばかりと接していたら、実生活がとても味気ないものになってしまいそうで怖い。自分が非日常的状況に置かれていることを常に意識してないと、とんでもないことになりそうだ。

 退院の日には、社長自らのお出ましだった。もともと、神出鬼没な人ではあったけど、こんなにフラフラしていて大丈夫なのかなと心配になる。
「本当に良かったねえ、チィちゃん。リハビリセンターでもとても優等生だったって話じゃない。さすが、うちの社員だ!」
  あらかじめ着替えや荷造り、部屋の掃除はすべて終えていた。だからあとは、用意された車に乗りこむだけ。運転手もよく見たら、事務所の社員さん。そうかー、どこまでも秘密裏にしたいということなんだね。
  とか思っていたら、後部座席にも見知った顔が……!
「えっ、えええっ……!?」
  ちょっと待て、どうしてこの人がこんな場所に。そりゃ、絶対にあり得ない話じゃないけど、なんかおかしいよ。
「おっどろいた? チィちゃん。実はね、君にはこれから新しい仕事をしてもらうことになったんだ。他でもない、ここにいる小早川翔矢の担当マネージャーだ。まずは顔合わせをと思ってね、一緒に来てもらった。――ま、仕事のついでだけどね」
「はっ、はあああっ……!?」
「よろしくね、千里ちゃん。――じゃなくて、岡野さんと呼んだ方がいいか」
  ぺろっと舌を出したあと、右手を差し出してくるショウ。でも、握手に応えることなんてできっこない。
「ごめんね〜、チィちゃん。なにしろ、彼には借りを作りすぎたからさ。今後のこともあるし、ここは修行ってことで一度外の風に吹かれてきてよ。事務所同士の話し合いはついているから、身ひとつで行ってもらえばいいから」
  当然のように、助手席に乗りこんでしまった社長。行き場をなくした私は、ショウの隣に座るほかない。
「で、でも――」
  いいの、そんな。あまりにも乱暴すぎる話のような気がしますけど……!
  のんびりとシートベルトを装着したあと、社長はこちらへとくるんと振り向いて言う。
「実は晶本人の希望で、彼を短期留学させることにしたんだよ。まあ……気分転換も兼ねてね。前々から『本場でみっちり仕込まれたい』って言ってたし、ちょうどいいかなって」

   

つづく♪ (120313)

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