TopNovel>その微笑みに囚われて・13

 

「なんだ、あいつ。相変わらず嫌みな奴だな」
  晶くんは小悪魔モードでそう言い捨てると、そのままの勢いで私を睨み付ける。
「お前、あんな奴といったいなにを話していたんだ」
「ええっ! それは……」
  ひーっ、一難去ってまた一難!? 遠慮のない凄み顔が半端なく怖いよう……。
「す、すれ違いざまにご挨拶をしただけです。別にっ、それ以上のことはなにも」
  実は、もう少し突っ込んだ話もしたわけだけど、ややこしくなるからそれは黙っておこう。
「ほ、ほら! そろそろ撮影の時間になりますよ。スタジオに移動した方が良いのでは?」
  掛け時計を指さしながら言うと、晶くんは無言のまま、私にもう一度きつい視線を投げてきた。

 撮影現場に戻った私たちの耳に飛び込んできたのは、監督の困り果てた声だった。
「頼むよ〜っ、麗奈ちゃん。さっき話したとおりにやろうよ。ね、もう一度だけ、いいかな?」
  あれ? なんだか、いきなり雰囲気が悪くなってない? 出番待ちの出演者の皆さんも、カメラや照明、その他のスタッフの人たちも、かなりのうんざり顔。
  いったい、この短時間になにがあったの。しばらくは呆然としていた私も、だんだんその理由がわかってきた。
「さあ、じゃあ本番行くよ! 麗奈ちゃん、よろしく!」
  監督の合図で撮影が始まるわけだけど、カメラが回り始めてすぐにスタジオ内のあちこちから、諦めに似た溜め息が聞こえてくる。
  麗奈ちゃん演ずるヒロインが自宅からドアを開けて出てくるだけのシーンなんだけど、なんというか、すごく不自然。うーん、何故なんだろう。カメラを意識しすぎているのかな、そんなところで小首をかしげたら絶対に変だよっていうのが、素人の私にもはっきりわかる。
  当然、すぐに監督からの駄目出しが。
「あーっ、止めて止めて! どうしちゃったんだよ〜っ、麗奈ちゃん。リハのときは上手にできてたじゃないの!」
  監督の悲痛な叫びと裏腹に、だんだん顔が険しくなっていく麗奈ちゃん。何度も同じシーンを繰り返しているうちに、本番でカメラが回っても、まったくの無表情になってしまった。口はへの字になって、チャームポイントの大きな目からは今にも涙が溢れてきそう。
「ち、ちゃんと言われたとおりにやってます! 監督こそっ、意地悪言わないでください……!」
  そう叫んだあと、わあっと泣き出してしまう。
  慌ててあとを追いかけたのは、マネージャーらしき女性。
  居合わせた他の人たちは、やれやれといった顔をしている。
「じゃあ、五分だけ休憩! 一息入れて、次のシーンに行こう」
  その声を待っていたかのように、氷の入った袋を監督に届けに行く助手らしき人。うわぁ、こりゃ相当に頭に血が上っていそう。大変なんだなあ、ドラマの撮影ってのも。
  さっきまでの晶くん単独のシーンは、ほとんど一発でオッケーばかりだった。それが当然だと思ってただけに、この違いにはびっくり。
「なーに、驚いてんだよ。こんなの、いつものことだって。あの女、全然なってないからさ。あそこまでの大根、いまどき珍しいよ。監督も馬鹿だよなあ、いくら自分のお気に入りだって、少しは周りのことを考えろっての」
  うわっ、いくら休憩中で周りがざわついているとはいっても、今の発言はやばいんじゃないだろうか。
  そう思って振り返ると、晶くんはもう、素知らぬ表情で台本を広げていた。そこにはびっしりと赤い手書きの文字が書き込まれている。
  休憩が終わる間際、別人のようにすっきりした顔の麗奈ちゃんが戻ってきた。マネージャーの女性が監督のところに飛んでいって、何度も頭を下げながら話をしている。ええー、ああいうのって、本人が謝りに行くべきじゃないの? そう思ってたら、背後で声が。
「晶くぅん、相変わらず熱心だねえ。麗奈、感激しちゃう!」
  そう言いながら、当然のように隣の椅子に腰を下ろす。そして、膝をわざと彼の方に向けた。
「久しぶりに会えて、とっても嬉しいよ。麗奈、ず〜っと寂しかったの……」
  えええーっ、この子ってもしかして、空気読めなすぎ? というか、晶くんが完全に無視しているの、どうして気づかないのかな。
「――ちょっと、岡野さん」
  そこで、晶くんはさっと席を立つと、私の名前を呼んだ。
「はっ、はい!」
  慌てて返事をしたものの、頬のあたりにすっごい視線を感じて落ち着かない。
「今日のこのあとのスケジュールって、どうなってたっけ?」
  なんで、今そんな話をするの? そう思っているうちに、腕をぐいと掴まれる。
「ボケ! どうして俺が一番端の席に座っているのか、それがわからないのか。ちゃんとあの女からガードしろ、これは命令だからな!」
  そっ、そうなんですか? で、でも、ここまであからさまなのってアリなのかな。ここで、麗奈ちゃんの機嫌がまた悪くなったらどうするの。
「そろそろ、撮影再開しよう。シーン16、主役のふたりが大学の構内を並んであるくところね。メイクさん、チェックをよろしく」
  監督の言葉に、晶くんは「ちっ」と舌を打った。その向こう、麗奈ちゃんの元に戻ってきたマネージャーさんが彼女になにか耳打ちをしている。とたんに、麗奈ちゃんの顔がぱーっと晴れた。
  ……もしかして、いきなり撮影の順番が変更になったのって、マネージャーさんが口添えしたのが原因?
  たぶん、晶くんにはそれがわかったのだろう。そして、こういうことは過去に何度もあったに違いない。
  な、なんだか、やりにくい世界だなあ……。
  何度かのチェックを経て、いよいよ本番のカメラが回り出す。すると私の目は、セットの中のふたりとモニター画面をいったりきたり。だって、すごく面白いんだもの。仕事でここに来ているってことはわかっているつもりだけど、ついつい素人根性が出てしまう。
「はーいっ、カット! 麗奈ちゃん、今の笑顔は最高だったよ!」
  久しぶりに聞く、監督のご機嫌な声。すぐに違うセットに移り、また別のシーンを撮り始める。
  ……な、なんで、急にスムーズに進行するようになったの?
  私から見ると、麗奈ちゃんの演技は先ほどまでとあまり変わっていないように思える。それなのに、晶くんが一緒だと、撮影がサクサク進むって、すごく不思議。
  そんなことにいちいちこだわっていても始まらないんだけど、やっぱり気になるから首をひねってしまう。

 そんなこんなで、本日の撮影は終了。
  麗奈ちゃんはこのあともいくつかのシーンで撮り直しがあるようだけど、こっちは朝が早かったし先に帰らせてもらうことにした。
  戻りのタクシーの中、晶くんはすごく不機嫌。
  ほとんど出ずっぱりだったし、それで疲れているのかなとは思うけど、それにしてもすごく陰湿なオーラを感じる。
「おい、千里」
  もうすっかり日も暮れているわけだけど、通りにずらりと立ち並ぶショップやビルの照明が明るいから、晶くんの表情もはっきりわかる。
「はっ、はい」
「お前、明日はもう少し上手くやれよ。馬鹿女を俺に近づけるな」
  この人って、私のことをまるで虫除けスプレーみたいに考えている。本当に嫌なら自分の口ではっきり言えばいいのに……って、そんなことしたらますます大変なことになるか。
「はい、気をつけます」
  言いたいことはすべて飲み込み、神妙に頭を下げる。
  そりゃあさ、確かに麗奈ちゃんは晶くんにべたつきすぎだとは思うよ。自分の立場を利用して取り入ろうとしてる魂胆が見え見え。ちょっとはイラッときてたから、それを阻む大義名分があるのは悪いことじゃない。だけど、……一筋縄ではいかなそうだよなあ。
「わかればいいんだよ、わかれば」
  やがて、タクシーが静かに止まる。
  ここで待っていてくれるようにお願いして、私たちは車を降りる。目の前にそびえる大きなマンション。内緒だけど、ここの五階に笹倉晶は住んでいる。実は私も、今回の立場になるまで教えられてなかったんだ。それくらい、情報管理が厳重だってこと。
「では、明日も今日と同じく午前八時にお迎えに上がります。本日もお疲れ様でした」
  彼が郵便物を取りエントランスを抜けていったのを確認してから、私はタクシーに戻る。ここまでで、本日の任務は終了だ。
「じゃあ、運転手さん。このまま駅までお願いします」
  社長には自宅までタクシーで戻っていいと言われているんだけど、なんとなくそこまでは。定期も残ってるし、晶くんを降ろしたあとは電車で帰ることにしている。
  はああ、まだ撮影も初日だっていうのに、なんか疲れたなあ。これも慣れないことをやっているからだろうか。
  早く部屋に戻りたいな、そしてバスタブにたっぷりお湯を張って、ゆ〜っくり入るんだ。
  とにかくはしっかり身体を休めて明日に備えないと。確か、明日も麗奈ちゃんが一緒だと聞いたし、そうなると私は晶くんのガードマンに徹しなければならない。
  でもなあー、麗奈ちゃんって怖いんだもの。私が晶くんの隣の席を陣取ると、ピリピリした視線が感じられる。
  ――でも残念ながら、私のご主人である「桃太郎」はそれを望んでいないわけで……。
  そして、タクシーが走り出した頃、私の携帯が鳴った。
「……え?」
  今度はきちんと液晶画面を確認する。そして、一瞬だけ固まってしまった。
「お疲れ様です、岡野です。あ、あのっ、なにか忘れ物でも……?」
  受話器の向こうにいるはずの人は、相変わらず低気圧。抑揚のない声で、用件だけを告げる。
「千里、すぐにマンションの前まで戻ってこい」

   

つづく♪ (110925・1003改稿)

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