TopNovel>その微笑みに囚われて・7

 

 とはいえ。
  翌日から犯人捜しに奔走する日々が始まった――というわけではなかった。
  若手俳優・笹倉晶はただいま人気急上昇中。
  今売り込まなくていつ売り込むって感じで、ドラマに映画に雑誌に……と仕事を詰め込めるだけ詰め込み、目が回るほどのスケジュールをこなしている身の上なのである。
  プライベートな時間なんて移動時間の車の中くらい。それも睡眠不足を補うことでほとんど終わってしまう。ここまでくると、さすがに可哀想かもと思ってしまうわ。
  だよなあ、雑誌ひとつにしても、今月発売のものだけで、いくつ表紙を飾っているのやら。巻頭特別インタビューとやらで、数ページに渡ってほとんどプライベート写真集みたいな特集を組んでるものまである。
  さすがは、幅広い年代から支持を得ていると言われてるだけあって、その種類も多種多様。購買層が小学生、って雑誌からも取材が来るんだから半端ない。
  毎日のように事務所に届く掲載誌。お陰でここ数年、私は晶くんの記事を読み逃すという残念な経験をしたことがない。……というか、該当記事を切り抜いてスクラップするのも仕事のひとつなんだけど。
  小学生向け雑誌の記事なんて、そのまんま「王子様」になっているよ。画像だって、特殊フィルターを通したみたいにキラキラだ。
 
「……で? 今日のこれからのスケジュールはどうなってる?」
  彼だってプロだ、自分が今何をすべきなのかはよくわかっていた。相変わらず私とふたりきりのときにだけこの通り口が悪いけど、その他の点ではすごく尊敬できる。
「ええと、四時からM社でインタビューとグラビア撮影。そのあと六時からも同じ場所で、番組情報誌の取材が一件入ってます。こちらにはテレビ局の方が同席してくれるとか……」
  すでにお昼前には、衣装合わせと写真撮影を終えている。いくつもの仕事が同時進行であっちこっちに飛び変わるから、頭の切り替えが本当に大変。まだ、今回のドラマの撮影も始まってないのに、その次の打診は来るし、その一方でこの夏公開になる映画についてのプロモーション活動も始まる。
  ただスケジュールを消化しているだけでは頭がこんがらがってきそう、やっぱこの仕事は私に向いてないような気がするなあ。
  もちろん、膨大なスケジュール管理が私如きにできるはずもなく、その仕事は社長に任せている。だけど、それがまたくせ者だったりするんだよね。
  なにしろ、社長ってあんな性格でしょ? 風の吹くまま気の向くまま、適当に仕事を選んじゃう。これ、榊田さんが復帰したら半端なく驚くと思うよ。
「ふうん、テレビ局? まさかあの松井が来るんじゃないだろうな。アイツがいると逆に仕事が増えるから嫌なんだよね」
  その言葉を受けて、私は手帳をチェック。
「あ、今日は相楽さんという方が担当されるようです」
「そう、ならいいけど」
  投げやりな言葉ばかりが返ってくるけど、別に怒っているわけじゃないんだよね。
  姿かたちは「甘くキュートな晶くん」なのに、そのギャップの激しいこと。しかも、この態度が私限定って言うのが納得いかない。社長までに猫被ってて、コイツどういうつもり? とか思うよ。
  ……まあ、こっちは使われている身であるから、我慢するしかないんだけどね。というか、意地悪発言もだんだん快感になってしまったらどうしようかと、今から不安で仕方ないわ。
「あと、最後に八時から、明日のファンクラブ・イベントについての最終打ち合わせが入ってます。こちらは先方の都合で電話での連絡になります」
  余計なことをすれば突っ込まれるから、あくまでも事務的に。手帳に書き込まれた事項を順に読み上げていく。すると、晶くんは鬱陶しそうに膝を組みかえた。
「――ああ、それがあったか。なんか面倒だなあ……」
  うわあ……なんかすごい問題発言してる!
  ちょっと待ってよ、これはファンのひとりとして聞き捨てならないわ。
  ついさっきまで取材のマイクに向かって「僕が今こうしていられるのは、すべて応援してくださるファンの皆様のおかげです」とか無垢な笑顔を振りまいていたくせに。あれも「建前」ってこと?
  ……ま、まあ、すべてを本気にしてたわけじゃないけどさ。
  私だってさ、近頃は仕事が忙しくて無理だけど、過去には何度もファンクラブイベントに参加しているんだから。夢見る乙女の気持ちを踏みにじられちゃあ、穏やかではいられないわ。
「なに、腑に落ちない顔してるんだよ」
「いっ、いえ! 別にっ!」
  やっぱ、本音がはみ出ちゃいましたか。慌てて正面に向き直ると、お下げ髪がゆらゆら揺れた。
  この仕事に就いて三日目、今日も絶賛コスプレ中である。本当にこれ、やめた方がいいと思うんだけどなあ。どこに行っても悪目立ちして、失笑を買いまくりだよ。
「……で、今日も来てたんだろ? 例の手紙」
  不意に訊ねられて、思わず晶くんの方を向き直っていた。でも彼は、窓の外を見てる。タクシーの僅かな振動で、柔らかい髪がふわふわと揺れていた。
「あ、まあ……」
「内容は変わらないんだな? まったく、どこのどいつか知らないがしつこい奴だ」
  そうなんだよね。今、私の手元には最初の日に届いたものを含めて、まったく同じ仕様の手紙が三通ある。違うのは消印の日付のみ、あとは見た目も内容もまったく同じ。
「でもこれって、……やっぱ社長にお伝えした方がいいんじゃないですか?」
  一昨日の植木鉢騒動のあとは、なにごともなく平穏に過ごしている。もしかしたら、あれはただの事故だったのかな、と思い始めているくらい。
「なんだ、もう音を上げたのか。情けない奴だな」
  そんな風に、心底呆れたように言わなくたっていいじゃない。危険に晒されてるのはなにも私ひとりじゃないんだよ? 晶くんに関わる人間が次々に狙われるってことは、ようするに晶くん本人に危害が及ぶ可能性もあるってことで……。
「いえっ、でもこのままじゃ、仕事にも差し障りが出そうですし」
  だって、やっぱ身構えちゃうじゃない。どこからか誰かに見張られているのかなとか、ついつい考えちゃうし。行く先々できょろきょろあたりを見渡したりして、すっかり挙動不審になってるよ、私。
「下手に騒ぎ立てる方が、よっぽどやりにくくなる。俺、仕事以外のことにあれこれ振り回されるの、嫌なんだよね」
  なーまーいーきーっ!
  本当にこの人って「笹倉晶」? 成人した今も、ファンシーが服を着て歩いているみたいな好青年のイメージがガラガラ崩れちゃうじゃない。
  私だって、数年来のファンだし、今だってかなり贔屓目に見ていると思うんだよ。
  だって、ふんわりと甘い笑顔は見ているだけで幸せな気分になれるし。いろいろと世知辛い世の中じゃない? だったら、夢色にうっとり包まれるひとときも必要だと思うんだよね。
  仕事とかで上手くいかないことがあって落ち込んでたとしても、にっこり微笑んで「頑張って!」って言われたら、それだけで元気になれそう。
  ――だけどこれ、はっきり言って詐欺じゃん。
「そうは言いますけどね、こういうのって『なにか』起こってからじゃ遅いんですよ?」
  ここは、ちょっとだけお姉さんっぽくね。だって、いいように顎で使われまくって、年上の威厳がなくなっちゃってるんだもの。ここらで少しは存在感をアピールしてもいいかと思う。
  だけど、敵も然る者。
「それって、もしかして心配してくれてるの?」
  絶対に振り向かないつもりだったんだよ。でも、すごーく思わせぶりな台詞だったから、つい。
「……」
  言葉、返せなかった。
  目の前に、どアップになった「笹倉晶」の笑顔。最初は一点の曇りもなく澄み切っていたそれが、やがて、驚くほど鮮やかに色を変えていく。
「可愛いとこあるじゃん、千里にも」
  その小悪魔フェイスがね、なんかとても新鮮だったりして。なにしろ見慣れてないから、背筋がぞぞぞっと来ちゃうというか……。
「なっ、ななな……。かっ、からかわないでください!」
  一瞬、さあああっと血の気が引いたあと、ぼぼぼっと顔が熱くなった。なっ、なんなのこれは! やだっ、私の馬鹿……っ!
「からかってなんてないよ〜、チィちゃんはホントいいコだと思ってさ」
  とかなんとか。
  そんなこと言いつつ、人のお下げ髪をつまみ上げてる。そして、にやにやってね。お得意の蔑み笑いが出た。
「もうっ、やめてくださいってば!」
  そうか、この人って「役者」なんだよね。だったら、これくらいのことは軽く朝飯前ってことで。だけど……与えられるダメージはかなりでかいと思う。
  正直言ってね、今の芸能事務所にバイト採用されたときには天にも昇る気分だった。
  そりゃ、晶くんが所属する事務所に働いていたって、すぐに仲良くなれるとは限らない。彼みたいな人気者はガードが堅くて、下々の者なんて視界にはいるわけないよって諦めてた。
  実際、この数年で交わしたのは「おはようございます」「お疲れ様でした」の挨拶程度。彼にとって私は、壁に並んでいる本棚と同じレベルだったと思う。
  だけどそれでも、十分に幸せだったんだよ。今更、夢を壊さないでよ。 
「照れること、ないじゃん。こうしているのもしばらくの間なんだしさ、楽しく行こうよ?」
  ……あ、遊んでますね、晶くん。絶対に面白がってるに違いない。
  こういう人って、自分でも絶対にわかっているはずだよね。自分が周りにどんな影響を与えているのかってことくらい。その上でこの態度って、とんでもなく性悪だ。
「てっ、照れてなんていません!」
  もちろんタクシーの車中だから、お互いが小声。はっきりきっぱりとした行動に出られないのが辛い。
  そのあと、しばらくは沈黙が続く。
  だけど、その間にも笹倉晶の視線がこっちに貼り付いている気がして落ち着かない。お下げ髪は引っ張られたまんまだし、……てっ、手のひらが汗をかいてる……!
「……面白くねーの」
  やがて、ぼそっと呟かれた言葉とともに、お下げ髪が私の元に戻ってきた。
「あっ、あの――」
  私が向き直ったそのときにはもう、晶くんは帽子を深くかぶってぐっすりと寝入っていた。

   

つづく♪ (110701・1003改稿)

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