TopNovel>その微笑みに囚われて・6

 

 私が元通りの服に着替え身支度をととのえた頃、笹倉晶はカップを乗せたトレイを手に戻ってきた。
  憧れの君を呼び捨てにしちゃうなんてとんでもないけど、今の彼は私にとって「謎の人物」と化しているんだもの。コイツ、晶くんの着ぐるみに身を包んだ宇宙人? できればそうであって欲しいものだ。
  なみなみと注がれているのはミルクティ。そのわきにスティックシュガーが二本添えられている。
「あのっ、私はお砂糖いりませんけど」
  目の前にカップが置かれたときに思わずそう言ったら、晶くんはあからさまに不服そうな表情になる。
「俺がどっちとも使うの、人の好みも知らずによくもマネージャー引き受けられたな」
  そんなの世間の常識だろうとでも言いたげな口ぶり。
  すごい棘を感じるのは私だけ? というか、さっきから「小悪魔モード」に入りっぱなしになってるんだけど……これって、どういう訳なんだろう。
  短時間にいろんなことがいっぺんに起こったからだろうか、なんかもう体裁とかそういうのがきちんと考えられなくなっていた。だから、ついつい売り言葉に買い言葉みたいな切り返しになる。
「そっちこそ。いくら人気があってちやほやされているからって、いい気にならないでください」
  もうちょっとね、まともな切り返しの方法はあったと思う。
  でも、もう私の方も限界。朝からへんてこなことにばっか遭遇して、果ては上からとんでもないものが落下してきて膝小僧が大変なめに遭ったし。しかもハニーフェイスがデフォルトな年下アイドルからは次々と数え切れないくらいの罵声を浴びせられるなんて、ホント冗談じゃないわ。一体、私が何をしたっていうのよ。
  これ、私の忍耐力を試しているテストだったりしたら、ぜーったいに許さないからね!
「なんだそれ、誰に向かってケンカ売ってんの?」
  彼は吐き捨てるようにそう言うと、私の隣にどかっと腰を下ろした。そして背もたれにふんぞり返ると、偉そうに足を組む。
「……」
  その一部始終を目の当たりにするとね、何故か喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んでしまう。あーっ、我ながら情けないったら本当に嫌になる。
  ……だって、そのわずかな動きのひとつひとつが、普通の人のそれとは全然違って見えるんだよ。そのせいで、にわかに湧き上がってきた怒りすら、あっという間にどこかに消えてしまうみたい。
「え、……ええとその、すみませんでした」
  今の私たちって、ご主人様とそのお供って格付けになるんだよな。当然ながら桃太郎が彼で、私はそのあとに付き従う動物のどれか。結局のところは、サラリーという名のキビ団子につられて言いなりになるしかないのか。
「わかればいいんだよ」
  わーっ、本当にスティック二本使ってる! 目の前で繰り広げられる光景に、呆然と見入ってしまう。「超がつくほどの甘党」って、作ったプロフィールじゃなかったんだな。こればっかは、ファンであっても嘘っぽいなと思ってたのに。
  ええ、そのほかだって、身長体重スリーサイズに足のサイズ、肩幅だって暗記してますからね。気力さえあれば、身体にぴったりのセーターだって編めちゃうよ。
「何、見とれてんの?」
  ……いちいちむかつくんだよなーっ。しかも人のことを小馬鹿にしているその表情すら完璧に綺麗なんだから許せない。くううっ、これも「役得」って言えるんだろうか。私の堪忍袋の緒がもうちょっとで切れそう。でも耐えろ、耐えろ、……仕事なんだから。
  しばらくはお互い無言のままで、ミルクティをすすってた。美味しいんだけどお茶の抽出の仕方がかなり濃いめ、これじゃさすがに私でもシュガーが欲しくなってくる。だけど今更そんなことを切り出すのも癪じゃない? だからどうにか我慢した。 
「さて、これからのことを考えなくちゃな」
  半分くらい残ったカップをテーブルに戻すと、晶くんは膝の上で両手を組む。その姿を見て、私も慌ててカップを置いた。
「いろいろ考えてみたんだけど、このことはしばらく俺たちふたりだけの秘密にした方がいいと思う。それで、どう?」
「え、それって……」
  ちょっと待ってよ、そんなの絶対に困る。
  そうやって言葉を繋げようとしたんだけど、鋭い視線に制されてしまった。
「この業界ってさ、どんなに注意してても話がどんどん広まるんだよね。火のないところにも無理矢理にでも煙を立ててやろうと考えてるような輩がずらりと揃ってるし、確かなソースがあるとなればここぞとばかりに食い付くだろう。そうなると、やたらと追いかけ回されたりして面倒だし。だいたい、マスコミ対策とか器用なこと、あんたにできる?」
  うわっ、それを言われると自信ない。何しろここにいるのは昇り調子なアイドルな訳だし、そこにきな臭い事件の気配が感じ取れたらきっと大変なことになる。それこそスクープ好きの人間たちの格好の餌食にされそうだ。
「ほら、言ったこっちゃない」
  そしてまた、彼は勝ち誇った笑みを浮かべる。
  でも駄目、ここで反応したら相手の思うつぼ。だから、とにかく忍耐の人になってひたすら我慢我慢。
「だけど、また何か仕掛けられたらどうするんです?」
  そうよ、それが一番の問題。今度は、膝小僧をすりむくだけじゃ済まない事態になりそう。
「え、どうするって。そんなの、決まってるだろ?」
  そう言って、私を見つめる瞳はまさしく笹倉晶のもの。間違いなく本人なんだよなって、何度も確認しちゃう。
「そのときは千里が身体を張って俺を護ってくれるはずだ。何て言ったって、マネージャーなんだからな。どんな状況でも、命がけで来てもらわなくちゃ困る」
  呆然とする私を無視して、彼は再びカップを手にするとその中身を一気に飲み干した。そしてそのまま空っぽになったカップを両手の上で転がしてる。
「仰ることは確かにわかります。だ、だけど……せめて社長には本当のことをお話しした方がいいんじゃないでしょうか?」
  こんな大問題を私ひとりで抱え込むなんて、絶対に無理。そんなの絶対に耐えられないと思う。
  そしたら、晶くんはどうにもならないくらい呆れかえってます、って言いたげな顔でこちらを振り向いた。
「止めときなよ、あの人って結構打算的だしさ。下手すると話題ができて幸いとばかり、自分から話をばらまきかねないし。そうなったら、千里の仕事がますます増えて大変になると思うんだけどな」
  えーっ、それはないでしょう! 仮にも会社で一番偉い人なんだよっ、一番の稼ぎ手をそんな風に扱うなんて……
「う、想像できちゃったかも」
  そうなんだよなあ。
  何しろ、社長って人間は「常識」ってのが全く通じない人だもんな。次にどんな行動に出るかなんて予想もつかないよ。
「……だろ?」
  そこでカップに視線を合わせたままでにやりと笑う。
「俺としては今回のことを仕掛けてきた犯人を必ず見つけ出してボコボコにしてやりたい。そのためには、もうしばらく相手を好きなように泳がせておいた方がいいと思うんだ。こっちが気づかない振りをしていれば、そのうち焦って尻尾を出してくれるかも知れないしね」
  言われてみれば……確かにそれもあり得るかも。
  脅迫状に、植木鉢の落下事故。それって、あまりに穏やかなじゃない状況。
  だけど、感情のままに「怖い、怖い」と怯えていたって始まらないんだよね。こういうときは一度視点を切り離して、思い切って相手の立場になって考えることも必要かも。
  一連の悪戯、と言い切るには悪質すぎではあるけれど、とにかくどこかにそれを実行している人間がいることは確か。単独犯か複数犯か、それすらもまだ見当がつかないけど。
  彼らはいったい、なにを考えているんだろう。
  それって、やっぱり。こっちが驚いたり怖がったりして、みっともないくらい騒ぎ立てることなんじゃないかなあ……。
  だとしたら、相手に対する一番のダメージは、こっちが全然動じずにいつも通りに振る舞い続けることだと思う。
  そうかあ、よくよく考えてみればそうなのかも。
  やっぱ、この人って、ただのアイドルじゃないのかも知れないな。やたらと頭は切れるし、周りの人間のことよく見てるし。
  でも、……やっぱりこのまま相手のやりたい放題にしておくのは危険すぎる気がする。
「もしかして、犯人の目処とか付いているんですか?」
  あんまりにも自信たっぷりに話を進めていくから、もしやとか思ったんだよ。
  今回の犯人は、笹倉晶に何らかの恨みを持った人物であることは間違いない。だったら尚更、当の本人ならば、何か気づいていることがあるのかも。
「うーん、問題はそこなんだよなあ」
  一応、考えるポーズとか取ってるけど、これってただの格好つけじゃないかな。あまりにも綺麗に決まりすぎていると、どこか嘘っぽいんだよね。
「今回のドラマも、候補が他に何人かいたしね。その前のクールのなんか、最後の最後まで揉めてたって話だし。だいたい、叩けば埃が出てくるような人間なんて、数えだしたらキリがないよ。余りにも数が多すぎて、絞り込むことすら難しい」
  き、きっぱり言い切っちゃってますけど。いいんですか、ホントに。
「へええ、そうなんですか……」
  華やかに見える芸能界だけど、その裏側ってやっぱりどろどろしているんだな。
  そりゃ一度作品が当たれば、芋づる式にどんどん仕事が増えていく世界。そして逆もまた真なり。ちょっとぐらい汚い手を使ったって、オイシイ仕事を手に入れたいと思うのが本音だろう。
「うん、もちろんそんなことは承知の上でやってんだから構わないんだ。ただ、今回の奴だけはどうしても許せない。俺自身の手で息の根を止めたやりたいと思ってる」
  それって……まさか、本気じゃないよね?
  何しろ言っている本人が役者だから、その台詞もすっごくリアル。あり得ないと思っても、背筋がぞーっと冷たくなる。
「ま、まずは犯人の特定から始めないと、だな」
  彼はきっぱりそう言うと、私を見つめながらひとつ頷く。
  ……ちょっと待って、それって私にも協力しろってこと?
  やだよ、下手したらこっちまで犯罪者になっちゃうじゃない。駄目駄目っ、どーしてもって言うなら、ひとりでご勝手にどうぞ。私は、何も知りませんからっ……って訳には、やっぱ、いかない?
「文句あるか、俺はお前の命の恩人だぞ」
  このひとことで、私が笹倉晶、別名「桃太郎」の忠実な「犬」になることが決定した。

   

つづく♪ (110624・1003改稿)

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