TopNovel>その微笑みに囚われて・39

 

 なにそれ、ますます話が混乱してきたような気もしますけどっ!
「実はこの先に撮るはずだった映画、監督が急病で延期になっちゃったんだよ。超大作でかなりの長期間を割く予定だったから、ぽっかり穴が開いちゃってさ。無理に他の仕事を入れることもできたけど、珍しく晶が首を縦に振らなかったんだ。……って、この話は翔矢にも全部話しているから」
  私が無言のまま振り向くと、彼は神妙に頷いてる。
  ……って、これってどういうこと!? 社長はいつの間に、ライバル会社の稼ぎ頭とこんなに仲良くなっちゃってるの……!
「こっちも必死で頑張ったんだけど、やっぱ榊田の事故死だけは表に出ちゃってさ。もちろん、不慮の事故と言うことで警察も結論づけてくれたけど、晶にはそれなりの火の粉が被ったから。平気な顔していたけど、内心はかなり堪えていると思うよ」
「……」
  知らなかった、そんな大変なことになっていたなんて。やっぱ、週刊誌くらいはチェックしておくべきだったかな。でもまったく動けない状態で外部の様子を知ったところで、私にはどうにもならない。結局のところ、同じだったってことか。
「り、留学って、……どれくらいの期間になるんですか?」
  人気絶頂のこの時期、いきなり姿を消すことはあまり良策とは言えない。めまぐるしく動いていく芸能界、あっという間に過去の人になってしまう危険だっておおいにあり得る。
「うーん、とりあえず三ヶ月、だったかな? 今はあっちの大学が夏休みで、一般向けにいろんな講座が開講しているからそれを受講するって。……ま、あいつのことだ、自力でどうにかするだろ」
  相変わらず気の抜けた話し方。ウチの事務所にとっても大打撃となりそうな大事件を、他人事みたいにあっさり話すんだから困る。しかも、さらに衝撃発言をプラス。
「今日の午前中の便だと言ってたから、そろそろ雲の上かな?」
「ええっ、もう行っちゃったんですか!」
  思わず声が裏返ってしまった私に、社長は不思議そうに聞いてくる。
「……うんにゃ。なんで、そんなに驚いてるの?」
「え、だって」
「別に、チィちゃんには関係ないじゃん。もうあいつのマネージャーじゃないんだしさ。お互い、どこでなにをしようと勝手だよ」
  そ、そりゃ、そう言われればそうだけど。
  でもよりによって、私の退院する今日に旅立っちゃうなんてひどい。それって、まるで逃げてるみたいじゃない。別に本人に迎えに来てくれとかそこまでは言わないけど、ひと言ぐらい言付けとかあってもよかったんじゃない?
  私、すっごいショックなんだけど。
  でも社長は、落ち込む私になんて少しも気づかず、マイペースで話を続ける。
「……で、チィちゃん。退院早々大変だけど、今日からあっちの事務所に行ってもらうよ。なぁに、仕事は今までとたいして変わらないはずだし、心配することなんてなにもないって。翔矢の事務所は大手だから、いろんな裏技を盗んできてくれると嬉しいな〜」
  いやいやいや、関係者が同乗している場でなんたる暴言。もしも、告げ口されたりしたらどうするの。私の身の置き場がなくなっちゃうでしょう。
「俺も念願叶って、本当に嬉しいんだ」
  ショウはなにかを含んだような笑顔で言う。
「マネージャーなんて、仕事ができりゃ誰でも一緒だと思ってたんだけど。君とアキラを見ていたらすごく羨ましくなっちゃって。でもまさか、本当に千里ちゃん本人が来てくれるなんて思わなかった」
「でっ、でも。今までの方はどうなさったんですか?」
  そう、そうだよ。
  いつか一緒にいたじゃない、とても真面目そうな方。その人、どこに行っちゃったの?
「あ、今倉さん? 彼なら、神経性胃炎で入院しちゃった。なんか、細かい人だったからねー、すっかりやられちゃったみたいだよー」
  軽い感じで言われちゃったけど、これってゆゆしき問題じゃない? 私、胃をやられちゃった人の後任なの? そんなの、退院したばかりの身の上でやっていいことじゃないと思う。
「そんな顔しないで、千里ちゃんには思い切り協力するから!」
  ……ってことは、その今倉さんという方には協力してなかったってこと?
「あ、そうだ。これを渡しておかなくちゃ」
  そして彼は、とんでもなく分厚いファイルを私に差し出す。
「これ、当面のスケジュール。俺が定期的にやってる時代物、知ってるよね? あれが秋からまた新シリーズで始まることになって、その先駆けとして夏にスペシャルをやるんだって。来週早々に撮影に入るから、しばらくはそっちにかかりっきりになると思う。でもバンドの仕事もあるから……なんといっても時間調整がね、かなりきわどい感じだよ」
「うわわ……本当だ」
  なにこれ、仕事の入り方が晶くんの倍くらいあるよ。しかも、ちょこちょことテレビの仕事が入ってて、しかもそれが複数の局にまたがっているから目が回りそう。
  えーっ、音楽番組ってこんなにあるんだ。聞いたこともない番組名がいくつもある。
  びっしり打ち込まれた細かい文字を読んでいると、ひとりでに眉間に皺が寄る。それでも必死に見入っていると隣から肩をポンと叩かれた。
「それでね、この先を奥に入ったところにロケ地があるんだ。早速だけど、これからそこで衣装合わせがあるから、よろしくね」
「えええ……」
  待ってよ、いきなりソレはないでしょう。
  できない。無理、絶対に無理……!
「良かったねえ、チィちゃん。初日から、大忙しじゃない〜!」
  とはいえ、私に発言権なんてあるはずもない。黙って従うしか……ないか。
  こうしているうちにもどんどん晶くんは遠くに行っちゃうのに、そのことをしみじみと悲しむ暇もないなんて。

 そのあとは、「目が回るような」という表現がぴったりのめまぐるしい一日だった。
  当然といえば当然だけど、晶くんのときとはすべてが違う。
  なんとなくそんな予感はしていたけど、ショウはすべてにおいてマイペース。そして、言いたいことはなんでも口にするタイプ。たった数時間の衣装合わせだけでも、それがよくわかった。
  彼の役柄はオリジナルキャラ。裕福な領主の息子でありながら、その身分を隠し忍びの仲間と共に暗躍し、悪を裁く。おっとりとした表の顔と派手なアクションシーンのギャップが素晴らしく、年齢を問わず人気のあるシリーズだ。
  演技に花を添える衣装も毎回注目されていて、それだけに関係者の入れ込みようも半端じゃない。ほとんど仕上がりに近い数枚を前に、本気の議論が繰り広げられていく。
  そのやりとりがとにかくすごくて、状況を把握していないと喧嘩をしているみたいに感じられる。エキサイトしすぎて、このままいくと取っ組み合いになるんじゃないかと不安になった場面が何度もあった。
  そんなとき、ショウは当然のようにその輪の中に入り込んでいる。歯に衣着せぬ話し方で自分の倍ほどの年齢の相手でもまったく臆するところはない。
  晶くんはあまり自分の感情を表に出さず自分の内側から滲み出るもので周囲に影響を与えるタイプだったから、そのギャップの激しさになかなか慣れることができない。
「ちょっと言い過ぎじゃないですか?」――なんて、彼の口を塞ぎたくなった瞬間もあった。
  私はマネージャー業になんて絶対に向いていないと思う。あれこれ気を配ったり、先回りして考えたり、そういうのって得意な人と苦手な人がいるはず。
  自分でもわかっているけど、周囲だって絶対にそう思っている。なのにどうして、こんなところにいるのか。本当に、訳がわからない。

「いきなりだったから、びっくりしたでしょう。でも、こんなのはいつものことだからね。とにかく慣れてもらうしかないなー」
  帰りの車に乗り込んで、ショウは大きく伸びをした。ほとんどの時間は椅子に座っていたから、体力的にはあまり疲れていない。でも初対面の方ばかりと接したことで、精神的にはかなりきていた。
「でも……本当にいいんですか? そちらの事務所にだったら、いくらでも有能な方がいらっしゃると思うんですけど」
  ウチの事務所のようにいつもギリギリの人数で回しているんならともかく、ショウの所属する暁プロダクションは老舗も老舗で、大物俳優やタレントをたくさん抱えている。社員数だって、ウチの何十倍もいると思うし。
「いいんだよー、俺が千里ちゃんって決めたんだから。誰にも文句は言わせないって」
  ……そ、そんな問題じゃないと思うんだけどな。
「ま、今日ちょっと無理をしてもらったぶん、明日は一日オフだから。ゆ〜っくり休んでね。まあ、宿題はたくさん用意してあるけど」
  そう言いながら差し出される、不気味なほどに大きな紙袋。結婚式の引き出物が入っているようなしっかりしたものだ。その中には色とりどりのファイルがぎっしり入っている。
「俺、面倒な挨拶とか苦手だから。そういうのはみんな君にやってもらうことになる。なーに、そんな風にして顔を売っておいた方が、あとあと役に立つから〜」
  なんか、すごく軽いよな。本当に、こんなんでいいのかと更に不安になる。明後日には事務所関係者と顔合わせって言われたけど、大丈夫なのだろうか。
  そうしているうちに、車は見慣れた風景の中へと戻ってきていた。ええと、ここって……
「あ、社長から伝言。宿泊先はすべて引き払ったから、君の荷物をまとめてアパートに運んでおいたって。ついでに冷蔵庫の中身とかヤバそうなものは処分したって言ってた。布団も一度、干したって」
  その役目を引き受けてくれたのは、カオル先輩らしい。なんか、お世話になりっぱなしだな。あとで連絡入れておかなくちゃ。
「じゃあ、今夜は部屋に戻れるんですね?」
「もちろん、その方がゆっくり休めるでしょう」
  なんだかとても不思議な気分だ。これって、すべてがリセットしたってこと? 晶くんのマネージャーになる前まで、時計が戻ってしまったような気分だ。
  やがて車は、懐かしい建物の前で止まる。ドアに手を掛けた私に、ショウは思わせぶりに声を掛けてきた。
「こういうときって、さりげなく部屋に誘ってくれるんだよね?」
「ええっ!?」
「ふふ、冗談。でもゆくゆくはね、そういう展開を期待してる」

   

つづく♪ (120314)

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