休憩あとのシーンは、麗奈ちゃん演じるヒロインとの些細な喧嘩とその仲直り……という流れ。途中で双方の兄弟とか出てきたりして、話はさらに複雑になっていく。
まあ、言っちゃ悪いけど王道というか、ありがちな展開なんだよ。ただ、晶くんが演じているから素敵に見えるというか……うーん。
『わたしのこと、本当は好きじゃないんでしょう』
『そんなことないよ』
『じゃあ、なんですぐに会いに来てくれないの!』
やだーっ、このヒロインって最低。彼にだって、ちゃんと理由があるんだよ。なのに頭ごなしに怒っちゃ駄目だろう。
思わず、心の中で突っ込みつつも、演技するふたりから目が離せない。
正直なところ、麗奈ちゃんは今回の役にかなり合っていると思う。ちょっと台詞が棒読みなのが気になるけど、そのあたりはあとからどうにでも修正がきくんだとか。出来上がった映像に合わせて台詞だけ微調整するのも可能らしい。今はいろいろ便利な機械があるようだし。
それよりもなによりも、素晴らしいのは晶くんの演技だ。
自分の感情をストレートに伝えてくる彼女に対し、なすすべもなく途方に暮れている様子がじーんとこちらまで伝わってくる。彼は今、心も身体もそのすべてが主人公になりきっているんだ。
昼間はディスカウントショップの店員、そして夜は道路工事の仕事で働いて家計を支えている主人公。常にギリギリの状態で生きてきた彼にとって、いきなり目の前に現れた彼女はなにものにも代え難い天使のような存在だ。
『ごめん、でも仕事を急には抜けられなくて』
『そんなものっ、他の人に変わってもらえばいいじゃない!』
『いや、そんな無責任なことはできないよ』
毒々しい台詞もさらりと言っちゃうあたり、麗奈ちゃんも女優だなと思う。まあ、彼女は普段でも普通にこれくらいのことを言いそうな気がするけど。
たった二日間、現場にいただけでそれがよくわかる。麗奈ちゃんにとって失敗すればすべて周りのせい、上手くいけば全部自分の手柄なのだ。女性マネージャーさんもすごく大変そう。お姫様の介添え役みたいにあとをついて回ってる。
――まあ、あれだけ可愛ければ、勘違いもしちゃうだろうな。
可愛ければ可愛いなりに、美人なら美人なりに、その立場の苦労があるのだろう。その他大勢のカテゴリに放り込まれてしまう私には、よくわからないけど。
「はーい! じゃあ、五分だけ休憩ね。そのあとは本番行くから、よろしく頼むよ〜!」
ひととおりの台詞チェックと立ち位置の確認が終わると、監督が現場の皆に声を掛ける。
その声に弾かれるように私も座っていたパイプ椅子から立ち上がり、あたりをきょろきょろ見回した。
えーと、晶くんはどこへ行ったんだろう……。
普段なら、麗奈ちゃんに捕まらないようにさっさとこちらに引き上げてくるのに、今回はどうしたのかな。でも、麗奈ちゃんの方はあっちでマネージャーさんとふたりでいるし……それじゃあ――
「あ、いた」
ぴたっと、止まった視線の向こう。
晶くんは、監督さんを相手になにか話をしている。監督さんが神妙に頷きつつ、ときどき大袈裟なリアクションをするのが気になった。いったい、どんな話をしているんだろう。
時間にして、ほんの二分ほど。その話を切り上げると、彼はこちらにやってきた。
「お疲れ様です」
私がドリンクの入った保冷ケースを開くと、彼はその中をちらっと見て缶コーヒーを取り出す。そして、プルトップを開けながら、ぼそっと呟いた。
「今回は、ズル抜けしてどこかへ行ったりはしてなかったようだな」
その言い方がね、すごい嫌みっぽいの。なんなんだよコイツ、って感じ。
「あのーっ」
黙ってやり過ごせば良かったのに、どうしてもそれができなかった。
「もしかして、まだ午前中のことを根に持ってるんですか? だって、あれは晶くんのために飲み物を調達しに行ったんですよ。どうせ現場にいたって、私にはなにか重要な仕事がある訳じゃないし……」
ほら、こうして休憩時間に飲み物を手渡すくらいじゃない。他に私がいなくて困ることなんてある?
「なんだそれ、俺に喧嘩売ってんの? そんなに、事務所をクビになりたい?」
晶くんは缶コーヒーに口をつけたあと、じろりと私を睨み付けた。
「ほら、残りは千里にやる。この先も絶対にここから一歩も動くなよ」
そこで、「本番行きまーす!」との声が掛かる。いきなり緊張の走る現場。大型のカメラがずいっと回り込んだところで、撮影が開始だ。
メガホンを手に、監督が叫ぶ。
「じゃあ、シーン55の冒頭から! 麗奈ちゃん、さっきはすごく上手だったよ。本番もあの調子で頼むよ〜!」
相変わらずの麗奈ちゃんプッシュを、他の出演者もスタッフも華麗にスルー。見れば見るほど異様な光景なんだけど、皆さんはもう慣れっこになっているらしい。
そのあとは、麗奈ちゃんがお約束に台詞を噛みまくり、そのたびに撮影が中断。なかなかOKが出ずに時間は無駄に過ぎるばかり。でも、そんな中でも晶くんは少しも態度を変えない。少しでも時間ができると台本を見直して、そばにいるスタッフとなにか話したりしていた。
主役の彼がそんな様子だから、他の出演者やスタッフも冷静にならざるを得ない。もしかすると、この現場を引っ張っているのは晶くん自身じゃないだろうか。なんだかそんな気がしてきた。
今まで、TV画面や映画のスクリーンで完璧に演じる彼しか見てこなかった。たまには舞台挨拶やファンの集いなど本人の姿を生で拝めることもあったけど、それだって作られた姿。
本物の彼は、自分にも他人にもとことん厳しいタイプ。その真摯な気持ちがあるからこそ、浮き沈みの激しい世界で勝ち残って来ることができたのだろう。
……私、ものすごい人のファンを続けてきたんだなあ……。
容赦のない口の悪さとか、そういうのもこの際は目をつぶろう。だって、言われることはすべてもっともなことばかりだし。あれこれ反論しても、自分がなお恥ずかしくなるだけだよ。
途中に何度か怪しい場面はあったものの、おおむね順調に撮影は続いていった。
すっかり見物客のようになってしまった私は、呆然とその現場を見守るばかり。その中で、私はどこか違和感を感じるようになっていった。
――あれ、もしかして……これって。
そういえば、昨日のスタジオ撮影でも同じような感覚を味わった気がする。途中までは、麗奈ちゃん絡みでストップしてばっかりだった撮影が、あるときを境に驚くほどスムーズに進行し始める。
「気がつきましたか、カメラが視聴者視点で動いているんですよ」
急に背後から話しかけられて、ハッとして振り返る。
「あ、……こんにちは」
そこに立っていたのは、今回のドラマのチーフをしている松井さん。そう、最初の日にTV局で打ち合わせをしたときに出てきた、ちょっとうっかりさんの彼だ。
「こんにちは、確か岡野さんでしたね。お疲れ様です」
彼は、にこやかに笑って、私の隣に腰を下ろした。
「ええと……視聴者視点と言いますと……」
「ほら、モニターの画面を観ていただくとよくわかります。視聴者がヒロインになりきって、主人公である晶くんを見つめているのです。ですから、ほとんど麗奈ちゃんは後ろ姿しか映りませんよ。それくらいでちょうどいいんです、彼女のファンはときどき大写しになるアップの表情で満足するでしょうし……」
「へえ、そうなんですか」
やだなあ、全然気づいてなかったよ。ほとんどのシーンでカメラが晶くんばかりを追いかけているなら、麗奈ちゃんがその近くにいようといまいと進行がスムーズで当然だ。晶くん自身はほとんどミスをしないしね。彼ひとりのシーンなら、たいてい一発でOKが出る。
「晶くん、相変わらず絶好調ですね〜。この頃、いいことでもあったのかな。前のドラマの時よりも、瞳が輝いている気がしますけど……岡野さんにはなにかお心当たりはありませんか?」
「え、……私は別に」
なんでこっちに話を振ってくるのよ。この人って、ときどき芸能リポーターばりに探りを入れてくるから気が抜けない。
「あ、あとワンシーンで今日は終わりですね? 確か、ふたりが仲直りするんですよね。お互いに握手して」
松井さんはそう言うと、ちらっと腕時計を確認する。なんだろう、この先用事でもあるのかな?
「え、ええ……そうですね」
夕暮れの公園。揺れるブランコ。出来過ぎみたいな綺麗な絵になっている。夕暮れまでにすべてを終わらせなくちゃならないから、皆は必死だ。ブランコに座ったふたりに、スタイリストさんやメイクさんが近寄ってあれこれと直している。
「じゃあ、行くよ! まずは、麗奈ちゃんの台詞から〜っ!」
監督の声で、カメラが回り出す。現場はその瞬間、水を打ったように静かになった。
『ご、……ごめんなさい』
神妙にそう言いつつうなだれるヒロイン。その姿を優しく見守る主人公。
『アカネさん、君が謝ることなんてないんだよ』
そう言って、晶くんはブランコから立ち上がる。そして、麗奈ちゃんの目の前に静かに立った。
『……え?』
顔を上げた彼女の頬を一筋の涙がこぼれる。これって、メイクさんがさした目薬なんだよね? そんな種明かしまでわかっちゃうのが、ちょっと残念。
『好きだよ』
――えっ……!?
そこで慌てて台本を見たのは、私だけじゃなかった。隣に座る松井さんも、その向こうのスタッフさんも慌てた顔をしている。
台詞が違う、直前までの打ち合わせとも違ってる……!
もちろん、顔を上げた麗奈ちゃんもかなり驚いた表情になっている。晶くん演じる主人公はそれを柔らかい笑顔で見つめたあと、彼女の口元にそっと自分の唇を重ねた。
つづく♪ (111111)