TopNovel>その微笑みに囚われて・11

 

 なんて高い天井。ここ、普通の建物の二階建てくらいの高さがあるんじゃないかな。
  あまりに見上げすぎて痛くなった首の後ろをさすりながら、私は気づくと開いてしまう口を塞ぐのに苦労していた。
  すごーい、ドラマの撮影現場ってこんな感じになっているんだ。
  生まれて初めて目にする世界に、どうにも戸惑いを隠せない。細部まで綿密に造られているスタジオセット、その部分だけをピンポイントに、それでも全く違和感なく画面に映し込まれることに感動してしまう。表から見ると完璧な一戸建てなのに、裏に回ると段ボールやガムテープがベタベタになってたり。
  室内なんて、お笑い番組のセットそのままに本当に「枠だけ」って感じだ。
「次、シーン12、行きます〜!」
  場内に響き渡る声、にわかに緊張が広がっていく。
  そこで、ようやくハッと我に返った。やばやば、私って、仕事でここに来てたんじゃないの……!
  芸能事務所で働いているとは言っても、私自身はただの下っ端事務員。普段の仕事内容といえば、電話番にコピー、それに使いっ走りくらいがいいとこ。学生時代の友人たちからは「どんな有名人に会ってるの!?」なんてウキウキ質問されたりしてるけど、全然そんなのもなかったんだよね。
  でもでもっ、今回に至ってはマジに青天の霹靂。なんせ、撮影の現場入りだよ! すごい、興奮しちゃう。
  いわゆる、ワンクール(三ヶ月)完結のドラマではあるけど、花丸人気上昇中の笹倉晶を看板に掲げたテレビ局のやる気は半端ない。晶くんの両親役に決まっているお二方は、顔を見ただけで「おおおうっ!」と叫んでしまうレベルのベテラン俳優さん。お相手の清宮麗奈ちゃんのお兄さん役は国民的アイドルグループのあの方だ。まあ、出番は最初と最後のほんのちょっとしかないと聞いてるけど……。
  そんな理由もあるのだろうな。スタジオ内は、常に異様な熱気に包まれている。
  とくに今収録中のドラマ初回と言えば、黙っていたって注目度が上がるんだから、各局がとくに気合いを入れてくるはず。いわゆる「友情出演」のちょい役さんも、思わず写メってしまいたくなる役者さんだ。いやいや、今日日、それはいろんな意味でマズイから必死に自粛してるけどね。
「晶く〜ん、いいかな?」
  そう呼びかけられた方を見ると、今回の主役はウォークマンを聴きつつ精神統一中。傍らにいる共演者の方にちょんちょんと突かれて、慌てて立ち上がっている。どうなんだろ、もしかすると彼の隣にはマネージャーである私がいるべきなのかな。でも、スタジオ入りしたあとの晶くんって異様なオーラが出ていて、側に寄るのが躊躇われる感じなんだよね。
  そんなわけで、私はいくつものセットが組まれたスタジオの一番端っこで、事前に渡された台本を何度も何度も読み返していた。話には聞いてたけど、本番に入るまでにもかなりの時間が掛かっている。とくに今日は監督のスタジオ入りが遅かったからなおさら。
「通りの向こうから歩いてきて、足を止めるところ。そこからお願いします」
  数人のスタッフさんに取り囲まれた晶くん、立ち位置とか視線の向きとかを事細かに指定されている模様。私、何もかもが初めての経験だからよくわからないけど、現場ってこんなにいい加減でいいのかと驚いてしまう。そのときになって初めて「こんな風にしてみようか」と決められることも多いし、一度撮り終えた箇所を、設定を微妙に変えて何度も撮り返すこともたびたび。
  しかも、ひとつのシーンがすごい細切れなんだよ。こんなんで、本当に一本のドラマに仕上がるんだろうか。素人がなにを言っているんだと呆れられそうだけど、それでもすごく不安になってしまう。
「三歩進んで、そこで空を見上げて。うん、そんな感じ。それでいい、じゃあ次本番行くよ!」
  今回、晶くん演じる主人公は苦学生の設定。家庭の事情で進学を諦めようと思ったものの、周囲の強い勧めもあって大学に進んだ。でも弟や妹のために放課後はバイトに明け暮れる毎日。
  そして、家族のためだけに生きてきた彼が、運命の出会いをする。そのシーンをこれから撮影することになっていた。
  台本を見てると本当によくわかる。これって、設定とかどうでもいいんじゃないかなって。要は晶くんがいかに魅力的に動くか、それにかかっている気がしてならない。台詞は極力少なめ、呆然と立ちつくすシーンとか無言のままのどアップとか、そういうコマが多すぎ。
  まあ、笹倉晶の魅力で売り出そうとしているんだから、それも当然のことなのかな……。
  なんせ、こっちは四六時中を彼に罵倒されまくっている身の上。あんな風に身も蓋もない扱いを受けちゃ、夢も希望も消え失せるってことよ。だから今更、格好つけられたところで、ときめいたりしないわって思ってた。
  ――でも。
  入り組んだ狭い路地、バイト帰りの主人公が疲れ切った表情で歩いてくる。物言わぬその顔に、積もり積もった感情が浮かんでいた。
  思わず惹き付けられてしまう綺麗な立ち姿なのに、何故かそこに懐かしいような複雑な感情が被っていく。
  ああ、なんと表現すればいいんだろう。……うん、「わかる、それってすごくわかるよ」みたいな。
  そして、彼はなにかに呼ばれるように空を見上げる。自然、私も同じ方向を目で追っていた。
「カーット! OKっ、すごく良かったよ、晶くん!」
  その声に、短い幻想が途切れる。私は弾かれたように立ち上がり、辺りをきょろきょろ見回していた。これって、かなりの挙動不審。暗がりで人目に付かない場所にいたのが幸いだ。
「じゃ、次。翌日の、朝のシーンね」
  その声に、スタッフさんが一斉に動き出す。私は慌てて台本をめくって、該当箇所を探していた。
  ドラマの撮影が、細切れで行われると言うことは一般常識で知っている。台本の流れどおりに順番に撮られることなんてまずなくて、まとめて撮れるシーンは一気に進めて時間短縮。そうすれば、セットもメイクもその他もろもろ一手間で済むから。
  ときには一番ラストのシーンを初期の段階で撮り終えてしまうこともあるのだとか。それにもちゃんと対応してしまう役者さんたちって、本当にすごい。
「昨日感じた違和感を心にとどめている感じ。でもそれを家族には悟られないように明るく振る舞う、そんな風に行ってみようか!」
  なんとも抽象的な言い回し。感性を大切にする現場監督さんとは聞いていたけど、私には一度言われただけじゃ「なにそれ」みたいな表現がすごく多い。それでも律儀に頷いている晶くん。そういうところは尊敬しなくてはならないかなと思う。
  とにかく晶くんのシーンばかりが多いドラマ。だから、単独の場面を先に撮ってしまい、そのあとに共演の役者さんとのシーンをまとめてやるらしい。ようするに、晶くんは撮影中出ずっぱり。休憩時間も極端に少ない。
  TVドラマってかなりタイトなスケジュールで作られることが多いみたい。もちろん例外はあるけど、制作費も限られている中である一定の水準に仕上げるのは至難の業のようだ。役者さんがキレて途中降板とか実は日常的にある話のよう。
  どんな仕事でもそうだけど、待ったなしのギリギリの世界で生き残っていくのって大変なんだろうな。このところ、晶くんが移動中の車の中でもほとんど睡眠を取っていたのも、このドラマのために体力を温存していたのかも。
「……あれ、携帯」
  マナーモードにしておいた仕事用の携帯がかすかに震えている。私は立ち上がると、スタジオの外に出て行った。
「もしもし?」
  着信ボタンを押すのが遅くなったから、とにかくは慌てて呼びかける。でも、スピーカーの向こうは無言だった。
「もしもし? ……もしもし!?」
  誰もいない狭い通路、私の声だけがむなしく響いていく。
  そして次の瞬間、どこかで何かが割れるような大きな音がした。それに続くいくつかの悲鳴。
「……えっ、何っ……!?」
  とりあえずは、スタジオ内に戻った私。でもそこには、信じられない光景があった。
  つい、さっきまで私がいたはずの場所。そこに天井近くまでつり上げられていた照明のひとつが落下している。辺りにはガラス片が飛び散って、焼けこげた臭いがした。
「――おいっ、千里……っ!」
  いきなり、背後から肩を掴まれてぎょっとする。
  でもこの現場で、私をそう呼ぶ人間はひとりだけ。
「晶くん……」
  なんなのこれ、と続けたかったけど、残念ながら声にならなかった。よくよく見たら、燃えているのは私が手にしていた台本じゃない。これって……かなりやばかったって、こと?
  周りでも「なんだよ、危ねえな」とか、「これって、なにかの嫌がらせか?」とか、ひそひそ囁き合っている声がする。
「おーい、みんな冷静に! 怪我人がいなかったなら幸い。すぐに機器の確認をして撮影を再開するぞ! 次は晶くんが、――おや」
  事故の現場から離れた場所にいたためか、監督はコトの重大さをよくわかっていないみたいだ。向こうの方から脳天気な声がして、一同がまたざわつく。
「おっ、麗奈ちゃん! どうしたの、指定した時間よりもかなり早いんじゃない?」
  監督の声に振り向くと、そこには清楚なワンピースを着た女の子が立っていた。とはいえ、彼女がただの素人ではないことはすぐにわかる。何とも言えないオーラが辺りに漂っていた。
「はいっ、カントクと一緒にお仕事できるのが嬉しくて、麗奈、急いで来ちゃいました! このたびも、どうぞよろしくお願いしま〜すっ!」
  うわっ、なんだかすごくミエミエな感じの台詞。それなのに、監督ときたら鼻の下をでれーっと伸ばしちゃって!
「こ、こちらこそ、どうぞよろしく。僕も麗奈ちゃんとまた一緒にドラマが出来て、とても嬉しいよ!」
  何なのーっ、このオヤジっ! 他の出演者や現場スタッフに対する態度と全然違ってるよ!
  まあ、気持ちはわかるかも。清宮麗奈ちゃんはTVで観るよりもさらに小顔、手足も細くてキュートな可愛らしさがてんこ盛りって感じだ。もともとは読者モデル出身だと聞いてるけど、役者の貫禄も十分に身についているな。ゆるふあの髪も計算し尽くされたみたいに、嫌みなく似合っている。
「じゃあ、早速撮影に入っちゃおう。急いで支度してきてもらえるかな。メイクさんーっ、衣装係さんーっ、よろしくね〜!」
  そのまま控え室の方へと移動するのかな、とか思ってたら、彼女はまっすぐとこちらに進んでくる。
「晶くぅ〜ん、こんにちは!」
  いったいナニ、って思ったけど、よくよく考えれば納得。そうだ、私の後ろには彼がいたんだっけ。
「こんにちは、麗奈さん。このたびもどうぞよろしくお願いします」
  親しみを込めた彼女の挨拶に対して、ぴしっとした態度で礼を尽くす晶くん。彼を見つめる麗奈ちゃんの眼差しに、一瞬だけイラッとしたものが感じ取れたのを、私は見逃さなかった。

   

つづく♪ (11902・1003改稿)

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