TopNovel>その微笑みに囚われて・14

 

 私がエントランスに駆け込んだとき、晶くんは柱の影でイライラしながら待っていた。
「遅い」
「そ、そんなことを言われたって、車は急にUターンできないんです!」
  こっちだって、運転手さんにすっごく頑張ってもらったのに。
  勝手に呼びつけておいて、こんな言い方しなくたっていいじゃない。
「まあいい、早く来い」
  彼はそのまま、まっすぐにエレベータの前まで進む。
「あ、あのっ……」
「無駄口を叩くな」
  キャップを深く被り、サングラスを着用。そんな姿で凄まれたら、かなり怖い。
  でも、何故? 今、五階のボタンを押したよね? それって、晶くんの部屋に行くってこと……?
 エレベータは途中で一度も止まることなく、一気に目的フロアへ。
「え、ええと……」
「早く降りろ」
  彼は歩きながら、ポケットからキーを取り出す。そして、一番奥の部屋の前まで進むと、ドアを開けた。
「ほら、見てみろ」
  そして、そこで見たものは――
「あっ、あああっ、あのっ! こっ、これはっ……!」
  これでも出来る限り声を抑えたつもりなんだけど、それでもちょっとまずかったか。彼は私を部屋に押し込むと、元のとおりにドアを閉めた。
「戻ってきたら、このとおりだ。まったく、ひどいことをしてくれたもんだ」
  ――しばし、呆然。
  だって、部屋の中はまるで何者かが引っかき回したみたいにすごいことになっている。棚や引き出しの中にあったと思われるものが床に散乱し、窓に掛かったカーテンがズタズタに破かれている。奥の部屋がベッドルームになっているらしいけど、その床には羽毛らしきものが飛び散っているのが見えた。
  元がどんな状態だったかわからないからはっきりしたことは言えないまでも、かなりひどいことになっていると思う。
「これって……まさか」
  今まで、私たちにいくつもの嫌がらせ行為を続けてきた「犯人」の仕業なのだろうか。
  こんな状況であっても晶くんはひどく落ち着いている様子だけど、私の方は身体の震えが止まらない。
「え、ええと……なにかなくなっているようなものは」
「別に。通帳とかもそのままだし、破かれていたり汚されていたりする他は、たいした被害もない」
「そ、そうですか……」
  良かった、それを聞いてひとまずホッとした。
「では、まずは警察に――」
  携帯を取り出した私を、晶くんが素早く制する。
「馬鹿、そんなことをしてみろ。すぐに大騒ぎになるだろ、そんなのまっぴらだ」
「そ、そうは言っても……」
「まあ、今夜はもうここでは寝られないな。どこか、他に泊まるところを押さえないと」
  そう言いながら、彼はバッグに着替えを詰め始める。その手際のいいこと、惚れ惚れしてしまうほどだ。そしてものの五分も経たないうちに荷造りを終え、彼は言った。
「……じゃ、次は千里の部屋だ」
「え?」
  ちょっと待て。まさか、ウチのアパートに泊まろうって訳じゃないでしょうね。
  そんな馬鹿な、絶対に無理だから! ベッド、シングルだし。……って、そういう問題じゃないけど。とにかく、いろんな意味でまずいよっ!
「なに考えてる、俺の部屋がこうなら、お前のとこだってどうなってるかわからないぞ」
「えええーっ……!」
  そ、そういうことだったか。
  やだっ、急に不安になっちゃうじゃない。
「ま、たぶんそこまではやらないだろうけどな」
  そんなこと言われても、こっちはもう心配で胃がキリキリしてしまった。
  でも馬鹿な。事務所でもほんの一握りの人しか知らない晶くんの部屋に、こんなに簡単に侵入する人間がいるなんて。嘘だよ、あり得ないよ。いったいどうなってるの。
  私鉄の最寄り駅から歩いて十分の部屋にたどり着いたのは、それから三十分後。その間、私は身体の震えが止まらなくて、「どうしよ、どうしよ」ってそればっかを念仏のように唱えていた。タクシーの運転手さんが素知らぬふりをしてくれていて、本当に良かったと思う。
  彼の言葉どおり、私の部屋は大丈夫だった。何者かが侵入した形跡もないし、なくなったものもとくに思い当たらない。
「はあああっ、……よ、良かった……」
  だって、気持ち悪いじゃない。
  そりゃ、それほど金目のものがある訳じゃないし、きっと部屋中のものをごっそり持って行かれても、たいした被害じゃないとは思うけど。
  玄関先でしゃがみ込んだまま動けなくなってしまった私に、一緒についてきてくれた晶くんが言う。
「休んでる暇はないぞ、お前も早く荷物を詰めろ」
  ……は、それってどういうこと?
「お前、俺のマネージャーだろう。俺がどこかに部屋を取るというなら、一緒についてくるのが当然だ」

 いきなり宿泊先を探すなんていくらなんでも無謀ではないだろうか。
  そんな不安は、すぐに一掃された。
  彼の指示により、私は社長に連絡を入れる。
「すみません、晶くんがドラマ撮影の間は気分を変えたいと言っているのですが」
  言われたとおりの台詞を伝えると、社長はすぐにとあるシティーホテルの名前を告げた。
「チィちゃんが、フロントで手続きしてね。行けば、すぐわかるようにしておくから」
  へええ、そんなのってアリなんだ。
  なんでもそのホテルは社長の知り合いが経営しているところらしくて、曰く付きのお客も多く宿泊するとか。外から見るとフツーなんだけど、実はセキュリティとかしっかりしていて、秘密もしっかり守られる。もちろん、マスコミとかも完全にシャットアウト。
「晶にしては珍しいわがままだからな。まあ、チィちゃんも大変だけど、奴のお守りをよろしく頼むよ」
  指定されたホテルのフロントで名乗ると、すでにシングルとスイートのふたつの部屋が予約されていた。必要事項を記入したあと、カードキーを受け取る。そして私が荷物を持って歩き出すと、それまでラウンジの隅に座っていた晶くんがさりげなくあとからついてきた。
  こういうときに、彼の演技力が冴える。私だったら絶対に挙動不審になっちゃうのにな、さすがプロの俳優だ。
「3001号室だそうです、こちらがキーになります」
  ふたりきりで乗り込んだエレベータの中で、私は彼にカードキーを渡した。
「私はすぐ下の階の2901号室です。何かあったらすぐに駆けつけますから、遠慮なく連絡をください」
  ――とりあえず、こんなときにも部屋の前までお見送りをするのが礼儀かな。
  そう思った私は、ひとまず二十九階を通り過ぎて、三十階で晶くんと一緒に降りた。でもいいのかなあ、私までホテルに泊まるなんて。その間の食事代もすべて経費で落としていいと言われたし、本当に至れり尽くせりだ。どうしよう、あとでお給料から天引きされたら。そんなことされたら、かえってマイナスが出ちゃうよ……!
「それでは、本日はお疲れ様でした。明日は八時にお迎えに上がります。では、これで私は――」
  そう言って、深々と頭を下げたときだった。
  開けられたドアの中に、私は荷物ごと押し込まれる。
「……え?」
  晶くんはそのままドアを閉めると、ご丁寧にチェーンまでかけてしまった。
「馬鹿か、お前は」
  そう言って、彼が見下ろす私の姿は、昼間のままのコスプレスタイル。こんな風に言うと誤解を受けそうだけど、まあようするに、いつものお下げ髪に黒縁の眼鏡、ブラウスにチェックスカートのジョシコーセー風ファッションだ。今日は事務所に寄る暇もないし、朝アパートを出るときからこのスタイルだった。
「お前をなんのために一緒に連れてきたのか、その理由がわかってないのか」
  じろりと睨み付けられて、私は黒縁眼鏡のレンズの奥で、何度か瞬きをした。
  え、ええと? なんのためにって、そんなのわかるわけないじゃないっ。
  というか、ほとんど「深夜」といっていい時間にっ、成人した男女がひとつの部屋の中にいて、しかもドアはチェーンロック済み。
  これって、これって、……かなりヤバイ状況では。
「え、ええと……」
  まさか、まさかだよね。そんなはず、ないよね。
  ここは冷静になろう。そうよ、落ち着かなければ。私っ、仮にも年上だし。しかも晶くんをしっかりとマネージメントする立場にあるのだから……。
  そんな感じで。ブラウスの前をぎゅっと握りしめつつ、顔を上げる。
  しかし、見上げた先にあったのは、半ば呆れたような眼差しだった。
「なに、気色悪い期待をしている。悪いが、俺はゲテモノ食いではないからな。急に色気づかれても迷惑だ」 あ、こっちの考えていたことはちゃんと伝わってる。
  しかもっ、すっごく失礼なこと言われてますけど……!
「じっ、じゃあ、どういう――」
「お前は俺の番犬だ、きちんとご主人様の側について警護しろ。それがマネージャーの基本だ」
  えええーっ、そんな話、聞いてないよ!
「じゃ、シャワーは当然俺が先だ。ついでにベッドも使わせてもらう、こっちは身体が基本だからな。お前はそっちのソファーで休め。寝心地はそう悪くないはずだ」
  晶くんは勝手に話を切り上げると、そのままバスルームへと消えていった。

   

つづく♪ (110930・1003改稿)

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