TopNovel>その微笑みに囚われて・25

 

「え、そのようなこと、急に言われましても……」
  周囲には現場スタッフに見物客、そして出演者までたくさんの人間がいた。この電話の相手が、あの小早川翔矢だなんて知れたら、大変なことになる。私は意識して、落ち着いた会話を続けた。
『そんなこと言わないで欲しいな。……って、これはマジな話。なんかまた、妙なのが届いてるんだよ。昨日までとは文面違うし、ちょっと気になってさ』
「……は?」
  ショウが言ってるのは例の脅迫状のことだと思う。今朝は事務所に寄らずにロケ現場に直行した。だから、私は今朝はまだ、届いているはずの「定期便」の中身を確認していない。
『アキラ、やばいことになってんじゃないの? チィちゃんもさ、もっと気を回さなくちゃ。そのためにも打ち合わせは必要だと思うよ』
「そ、そのようなことを仰っても――」
  そこまで言いかけたとき、私はハッとした。今、住宅街の中にある公園を抜けて道路脇の歩道まで出てきたわけだけど、向こうから猛スピードの車がやってくる。すぐ目の前は、急なカーブ、あの車このままだと回りきれなくなっちゃいそう。
「……あ、いたいた。晶くんのマネージャーさん、ちょっといいですか〜っ? 明日以降のスケジュールの確認をしたいんですけど」
  続いて背後からも呼びかけられる。
「はーい」
  私は携帯を持ち直すと、声のした方向へと急いだ。
「すみません、これから打ち合わせなので、失礼します」
  そのまま、通話ボタンを押す。ショウだって、同じ畑の人間だ。こっちが忙しいことくらいわかってくれるだろう。
  しかし――
  私が足早に公園敷地内の林を抜けてスタッフさんたちのところへ辿り着いた頃、背後でドーンと大きな物音がした。
「うわっ!」
「なんだ、なんだ!」
  周囲の人たちが次々とその方向を見る。私ももちろん、すぐに後ろを振り向いた。
「……あ……」
  嘘、あれって、さっきの車?
  ちょっと待ってよ、嘘でしょう。ガードレールを突き破って、電信柱に激突している。
「やべえぞ、これは!」
「おいっ、いったいどうなってるんだ……!」
  私は、足がすくんでその場から動けなくなってしまった。何故なら、車の突っ込んだ場所は、私がついさっきまで立っていた地点だったから。
「おいっ、千里!」
  いきなり腕を引っ張られて、ようやく我に返る。声の主は晶くん、さすがに気が動転しているのか、いつもの「外面」がなくなっている。
「なに、ふらふら出歩いてるんだ。いい加減にしろよな……っ!」
  本気で怒っている彼の背後に、コーヒー缶をぎゅっと握りしめる麗奈ちゃんの姿が見えた。

 幸いなことに、大破した車は無人の状態だった。なだらかな下り坂のどこかで、誰かが車内から飛び降りたということなのだろうか。そんな恐ろしいこと想像したくもないが、それ以外に考えられない。すぐに持ち主も特定されたものの、盗難車だったようだ。
  警察による現場検証や聞き込みが続き、当然のことながら野外ロケも中止となった。
「恨みの犯行とか? 物騒な話だよなーっ」
「この前だって、セットのライトが倒れたじゃないか。頻繁にこんなことが起こるんじゃ、命がいくつあっても足りねえよ」
「呪われてんじゃねえの、このドラマ」
  好き勝手に話す声が背後から聞こえる。彼らが言うことももっともだ、もしも車が撮影の現場に突っ込んでいたら、それこそ取り返しのつかないことになっていたと思う。
「千里」
  晶くんは私のすぐ側にいた。そのことにもしばらく気づけなかったくらい、私の気持ちはどこかに飛んでいたらしい。
「なに、考えてる」
  他の人には届かない小声、この人は自分の言動を鮮やかに使い分けることができるようだ。役者とはあらゆる意味でプロでなくてはならないんだと再確認させられる。
「いえ、別に」
  私はそのとき、混乱の極みの中にいた。
  自分のすぐ側まで車が突っ込んでくるなんて、あまりに心臓に悪すぎる。しかもその直前には、ショウからの意味深な電話も来ていた。いったい、なにがどうなっているのか。やはり、この一連の出来事は、すべて晶くんに関係しているのだろうか。
「こっちはひとつ、片がついたぞ」
「……え?」
  その言葉に、私はぼんやりと彼の方を振り向いていた。
「あの女は、たぶんシロだ。思った以上に、浅い考え方しかしてない。あんな奴に、俺を陥れるほどの知恵が働くとは考えられないな」
「……」
  晶くんは、あえて名前をださない。だけど、彼が口にした「あの女」が共演者の麗奈ちゃんを指していることはすぐにわかった。
「こんな風に周りの奴らをひとりひとり確かめててはキリがない。どうにか一気に突き止める方法はないものか、今はそれを考えているところだ」
  相変わらず端正な横顔を、私はただ見つめていた。
  そうか、晶くんは晶くんなりに、事態をどうにか好転させようと思考を巡らせていたんだ。忙しい撮影の合間にそこまで気が回るとはすごい。いや、私の方が抜けすぎているだけなのか。
  ついこの前までは、電話番と各種書類の作成が私の仕事のほとんどだった。そのどれもが、芸能事務所にとって大切な作業であることには違いないが、現場に出ていない身の上では本当に見えていなかったことがたくさんあるような気がする。
  めまぐるしいスケジュールの中で、気づけばどんどん意図しない方向に流されてしまう。ときには川底に竿を差し、しっかりと周囲を見定める余裕も持たなくてはならない。
「前にも言ったと思うが、向こうは心理作戦に出ていると思われる。直接的にはなんの害もないような子供だましの脅迫状や小さな事故で、精神的にじわじわと追い詰めるつもりでいたんだろう。こっちがいつまでも無視を決め込んでいるから、次第に凶暴化してくるんだ」
「で、でも。だいたい、なんのためにそんなこと……」
  晶くんを今回のドラマの主役から降ろしたい? だったら、こんな回りくどい方法をしなくたっていい気がする。たとえばありもしない噂を流したり、週刊誌にそれっぽいネタを吹き込んだり。今はメディアの力が半端ないから、ちょっとしたことで一気にひっくり返すことができると思う。
  大きな芸能事務所だったら、リークされたネタを揉み消したり、金と権力ですべてをねじ伏せることが容易にできるだろう。でも、ウチみたいな弱小だったらそうもいかない。最悪、抱えているすべてのタレントや俳優と共に消される可能性もある。
「それがわかってりゃ、苦労しないよ。しかも、俺自身じゃなくて周囲の人間に害を与えようとするんだからたちが悪い。いったい、なにを考えているのやら」
  そこまで言うと、晶くんはぐるりとあたりを見渡した。ドラマ撮影の現場スタッフや出演者、そしてその関係者。それから警察の人まで入り乱れて、収集がつかない状態だ。
  人間なんて、上っ面だけを見ていてもよくわからない。すべての人がシロのようにも思えるし、ちょっと斜めに眺めればクロのようにも思える。
  だけど――
  この世界のどこかに、晶くんを、私たちを陥れようとしている「誰か」が存在する。
「お前、スタッフにこの後の予定を聞いてこい。撮影が再開しないんなら、ズラかるぞ。こんなところで油を売ってる暇はない」
  彼はそう言うと、静かに立ち上がった。

「……あれ、ここに寄るんですか?」
  まっすぐに事務所に戻るのかと思ったら、晶くんは途中でタクシーを止めた。
「ああ、忙しくて数日来られなかったからな。実は気になっていたんだ」
  晶くんのマネージャー、榊田さんが入院している区民病院。そういえば、ご無沙汰だった。
「じゃ、ここで待ってて。買い物してくる」
  入り口近くの売店に寄るのも、この前と同じ。あれからとんでもない長い時間が過ぎたような気がするのに、私が榊田さんの代役を押しつけられてから明日でようやく一週間。たったそれだけの間に、本当にいろんなことがあった気がする。その割には、謎がなにひとつ解決していないけど。
  ――この前ここに来たときは、晶くんの裏の顔も良くわかっていなかったんだよな……。
  エレベータの中でいきなり毒舌を吐かれたときには本当に驚いたっけ。でもそのあとは、それがふたりでいるときのデフォルトになっちゃって、今では外面を見せている彼の方が作り物のような気がしている。
「――榊田さんっ、久しぶり……!」
  だけど。
  この人の前では、すごい「いい子」なんだよな。どこまでも懐いている感じで、「愛くるしい」って表現がぴったり。そうだよね、今までずっと二人三脚でここまでやってきたんだもの。他人が入り込めない関係だと思う。
「本当にお世話になります、岡野さん。晶、ちゃんとやってますか。コイツ、これでいてずいぶんと気むずかしいでしょう。かなり驚かれたんじゃないですか?」
  相変わらず、細やかな気遣いを忘れない榊田さん。この人だったら、晶くんのサポートをいつも完璧にやっちゃえるんだろうなあ。
「あ、いえ。こちらこそ、晶くんに助けられてばかりです。榊田さんも、この間よりもだいぶ顔色が良くなったご様子で。本当に良かったです」
「ええ、自分でもそう思うんですけど、なかなか退院許可が下りなくて。ここを出たら、松葉杖をついてでも仕事に復帰しますよ」
  わー、さすが頼もしい。
「あ、榊田さん。こちらが、今後のスケジュールです。ご確認お願いします」
  書類の束を差し出したとき、榊田さんの眼差しがすっとこちらに向いた。
「岡野さんの方は少しお疲れですか? 顔色が優れませんね」
「あ、いえっ! そんな、全然平気ですから」
  榊田さんの背後で晶くんが私を睨みつけてる。まるで、主君を守る伏兵のようだなとそのとき思った。

   

つづく♪ (111223)

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