TopNovel>その微笑みに囚われて・18

 

 午前中のスケジュールは順調に消化され、予定よりも早めに昼休憩になった。
  これには早々と現地入りしていた情報誌のグラビア撮影の皆さんも大喜び。
  ちらっと聞いた話によると、同じような段取りで待機していても半日待たされて日没でアウト、とかいうこともあるそうだから大変だ。それでも、タレント任せの仕事ではじっと我慢の子で待つしかないんだね。
「こちらがお弁当です。それから、飲み物はどれがよろしいですか?」
  他の出演者とは距離を置いて、木陰のベンチに座った晶くん。面倒くさそうに、私の広げたコンビニ袋をチラ見する。
「なにコレ、もしかして気を利かせたつもり?」
  そのときの言い方に、半端なく毒があるなとは思った。でも、ネチネチと嫌みを言われるのはいつものことだし、これも仕事の一部だと思えば腹も立たない。
「ええ、ちょっと抜け出して買ってきました。少し歩いたところにコンビニがあるんですよねーっ」
  できるだけ明るい口調を心がけたんだけど、あっさりとスルーされる。
  晶くんはお弁当の上に乗ったお手ふきを使ったあと、割り箸を手にした。
「……遠足気分ではしゃいでるんじゃねえよ」
「え?」
  ぼそっと呟かれた言葉に反応して、私は彼の方を振り返る。でもそこには、綺麗な横顔のまま海老フライを口に運ぶ国民的若手俳優の姿があるだけだった。
  ――撮影に入って、いろいろ疲れているんだろうな。きっと、そうに決まってる。
  素人の考えではあるけれど、私は彼の不機嫌の理由を勝手に推測していた。今日は本人曰く「性悪女」の麗奈ちゃんとの絡みシーンばっかだし、さらにストレス溜まりそう。
  ……あ、もちろん。絡みといっても、そんなきわどいのはないよ。午後九時から放映という比較的早い時間帯のドラマだし、手を繋いだり、腕を組んだり、きゅっと抱きしめたり……くらいかなあ。
  それだけでも、ファンとしてはちょっと切なかったりするんだけど……恋愛ドラマなんだから仕方ないよね。
  晶くんには小学生のファンも多いし、とか思うと彼女たちのママの世代からも熱烈に支持されている。だから大人風の恋愛はちょっとね、彼自身のキャラにも似合わないし。
  永遠の少年って感じなんだよね、晶くんは。世知辛い世の中でも、テレビのスイッチを入れて彼の姿を見るだけで幸せになれるっていうか。まあ、いつまでそのキャラで売っていられるかはわからないけど、とりあえずもうしばらくは路線変更もなさそう。
  ――うーん、でもなんなんだろ。さっきのショウの話って……。
  絶対的な自信に身を包んだ黒ずくめの男を、ぼんやりと思い起こす。こっちは仕事中だっていうのに、あれこれと声をかけてくるんだもの、本当に困ってしまう。
  あの人って、白なのか黒なのか、まったくわからない。とりあえず、見た目は髪も服装も全身がカラスのように真っ黒なわけだけど、そこを基準に考えるわけにもいかないし。
  そうだよなあ。
  彼が犯人だったとしたらら、わざわざこっちにコンタクト取ってくるっておかしくない? もしかして、それもカモフラージュだったり? ……うわーっ、考えれば考えるほど、ますますわからなくなる!
「千里」
  思わず頭を抱えてしまったところで、不意に名前を呼ばれる。
「はっ、はい!」
  弾かれるように姿勢を正した私に、この上なく冷たい眼差しが向けられた。
「早く飯を食え、次の仕事が待ってるぞ」
  ほらやっぱり、どっちがマネージャーかわからなくなってるよ。まったく、どっちがどっちの面倒をみているのやら。私が晶くんのそばにいる必要なんて、本当にあるんだろうか。
 
  その後に行われたグラビア撮影も、おおむね順調だった。
  お天気も良くて、条件としては申し分ない。撮影場所に選んだ森林公園は木々が気持ちよく若葉色に染まっていて晶くんにぴったり。木陰に佇むと、木漏れ日がキラキラと落ちてきて彼の肩に腕にとまる。
「へえーっ、苦学生の役なんだ。そういうキャラを作るのって、大変じゃない?」
  瞬きのスピードでシャッターを切りながら、カメラマンのおじさんが晶くんに声をかけてる。
「前のクールのドラマは、貿易会社社長の息子の役だったよね? 次期社長の椅子を巡る攻防、あれはすごく良かったな。晶くんにとっては、新境地を開拓って感じだったでしょう。今度は同じ大学生でもずいぶん設定が違うんだねー」
  そうそう、黒いスーツに身を包んだ策士の役はすごい格好良かった。一気に惚れ直したって言ってもいい。相手を射貫く鷹のような目、それなのに時折見せる柔らかい笑顔がやけに印象的だった。
  いったいどちらが本当の彼なのか、それがわからないままに最終話までテレビに釘付けになってしまったっけ。
  晶くんには世代を越えた役者友達がたくさんいる。大御所と呼ばれる方々からもすごく可愛がられていたりして、そんな微笑ましいショットも時折公式ブログにアップされていた。
  誰からも愛される彼のことを、役得とやっかむ輩も中にはいるらしい。まあ、気持ちはわかるよね。あの年齢で次々と主役をゲットしては、彼よりもキャリアのある人から煙たがられるのも当然。
  だけど、どこの世界もそうであるように、一握りの才能がある人間だけしか生き残れない過酷さがあるんだ。一世を風靡したような役者でも、数年後に「あれ、この人ってどこに行っちゃったんだろ」と思うことはしばしば。栄枯盛衰とはよく言ったもので、ひとつのところに留まることは決してないんだ。
  晶くんが着実に実績を積み、役者の階段を登り続けているのは、彼自身がたゆまぬ努力をしているから。それ以外のなにものでもない。
  こうして彼が仕事をしているすぐそばに控えていれば、それが余すことなくわかる。晶くんは決して妥協を許さず、昨日の自分よりも確実に上達した今日の自分を目指す。この六年間、それをずっと続けてきたんだ。
「あ、マネージャーさん! ちょっといいですか〜?」
  不意に呼びかけられて、ハッとする。ヤバイヤバイ、また気持ちが明後日の方に飛んでいた。
「は、はい!」
「襟元が寂しいから、なにか巻いた方がいいですね。そこのショールはドラマで使用されているものですか?」
  カメラマンさんが指さしたのは、私が座っていたベンチの上。そこにはグリーンとアイボリーのチェック柄のショールが置かれていた。
「あ、あの……」
「今の服装にもぴったり合いますね。ええ、ちょっと使ってみましょう」
  ちょっと待ってという暇もなく、私の手から取り上げられてしまう。そして、そのままスタイリストさんが、晶くんの首にくるりと巻く。
  ――うっ、嘘っ……!
  もちろん、晶くんも不思議そうな、なんとも形容しがたい顔をしていた。
  そう、だって。
  あのショールは私の個人的な持ち物だもの。そりゃ、男女兼用っぽいデザインで、彼が巻いてもそれほど不自然じゃないけど……
「おっ、いいねえ。じゃあ、もう一度、向こうの樹のところからゆっくり歩いてきてもらえるかな〜?」
  呆然とする約二名のことなど完全無視、撮影はどんどん進んでいく。
  最初のうちこそはぎこちなかった晶くんの微笑みも、次第に元の自然なものに戻っていき、さらさらと流れる風の中、すごく綺麗なショットがいくつも撮れた。
  ――はああっ、どっちもプロなんだな……。
  試し撮りのデジカメ画像を見せてもらって、しばし呆然。もちろん、元々の被写体が完璧に素敵なわけだけど、それだけじゃ特上の一枚に辿り着くことはできない。
  技と技のコラボレーション、才能が炸裂する世界はいつでもガチンコ勝負なんだ。そして、この情熱の一端を、私たちファンは楽しませてもらってるってことか。
  長いことファンしてたから、こうして本人を目の前にしても、プロモフィルムを観ているような不思議な感覚になる。思わず吸い寄せられそうになって、ある瞬間にハッと我に返ったりね。そんなことの繰り返しで過ごしている。
  ドラマの撮影現場も、長いこと立ち会っているのは危険なんだ。心がふわーっとそっちの世界に持って行かれちゃう気がするから。だからこっそり席を外してしまう、あまりに彼に取り込まれるとかなり危険。
  ……仕事ってことを忘れそうになる、これってヤバイ。
  榊田さん、早く復帰してくれないかな。彼が戻ってくれば、私は即用済み。だから、一日も早くこの立場から解放して欲しい。
  この瞬間にもドキドキと高鳴る胸を押さえつつ、私は素知らぬふりでスケジュール表をチェックする。お騒がせな社長が適当にどんどん入れてしまったあれこれを、すべて頭の中に叩き込まなくては。ううー、でもこんなに細切れに詰め込まれては、身動きが取れない。
  どうにか明後日は久しぶりのオフとなっているけど、これもずれ込む可能性があるとか。なにしろ野外ロケはお天気次第、まるで運動会のようにスケジュールの変更があるのだ。長雨が続いたりすると、最終手段で脚本を変更してしまう場合も出てくるとか。
  ドラマだって、映画だって、ただ作品を仕上げるだけでは駄目。いかにそれを売り込むか、受取る側の心に情報をキャッチさせるか、それが重要になっていく。
  たとえば、新ドラマが始まる前にはテレビ局挙げての番組宣伝に出るのはお馴染みのところ。朝やお昼、夕方の情報番組はもちろんのこと、クイズ番組やバラエティーまで、とにかく顔出しできるところにはどこにでも出て行く。
  観てるこっちはお気に入り役者の露出が多くなって嬉しい限りだけど、やってる本人は大変だ。朝の番組とか、基本生放送だし、そうなるとスタジオ入りの時間も早いし……。
  ええと、このテレビ局までは宿泊しているホテルからだと、四十分くらいかな。でも朝のラッシュ時はもう少し時間をみた方がいいだろうか。
  しばらくは赤ペンを手に、余白に移動時間などを書き込む作業を続けていた。すると、ふっと手元が暗くなる。
「千里」
  顔を上げると、相変わらず不機嫌な彼が立っていた。
「撮影、終わったぞ。さっさとロケ地に戻るからな」
  ……あ、やば。
  私また、周りの音が聞こえなくなってたかな。集中しすぎるとこうだからなあ、気をつけなくちゃ。
  立ち上がると、撮影スタッフの皆さんが早くも撤収作業をしている。「お疲れ様でした」と声をかけながら、私たちは現場をあとにする。ロケ地は目と鼻の先、ゆっくり歩いても五分と掛からない。
「おい、千里」
  木漏れ日の中を歩きつつ、晶くんがぽつりと言った。
「この先は現場から片時も離れずかじりついてろ。いいもの、見せてやる」

   

つづく♪ (111104)

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