TopNovel>その微笑みに囚われて・32

 

 四角くくり抜かれた、大きめの額縁状の空間。
  眩しい光がたくさん入り込むそこから顔を覗かせたのは、意外な人物だった。
「……千里っ、いるのか……!?」
  私、驚いた、驚きすぎた。
  だから、とっさには声も出なかったよ。
「うわっ、……アキラ!」
  先にそんな声を上げたのがショウ、彼も半端なく驚いているみたい。これも感動の再会って奴なのだろうかと思ったら、額縁の中の人間が急に立体的になった。
  ――って、訳じゃなくて。単にこちらにぬっと上半身を突き出してきたってだけだけど。
「……っめえ、やっぱりお前か!?」
「ちっ、違うっ、違うって……、俺も千里ちゃんと一緒に捕まってたんだよ!!」
  やおら殴りかかりそうになる晶くんに対し、ショウは無抵抗で必死の弁明。
「よっくも、しゃあしゃあとそんなことを――」
  なんかいきなり、劇的なシーン。しかも、演じるのは今をときめく若手俳優ふたり。かなりオイシイ現場に立ち会っちゃった……なんて、感激している場合じゃなかった。
「あ、晶くん! そうだよ、この人の言ってることは本当! ついさっきまで、ふたりともロープでぐるぐる巻きの状態だったんだから」
  これはちょっと大袈裟過ぎかな。でもまあ、まるっきりの嘘じゃないし。
「……わかった」
  晶くんは、ショウの胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に外す。
「とにかくふたりとも外に出ろ、話はそれからだ」

 狭い出入り口から這い出すように外に出ると、そこは木々の生い茂る鬱蒼とした場所だった。あまり手入れもされていないらしく、注意しないで歩くと雑草に足を取られそうになる。
  先を歩くのは晶くん、その後ろを私。それから少し離れて、ショウがついてくる。
「そ、その。……晶くん」
  なんとも声の掛けにくい状況ではあったよ、でもいつまでも黙りでいられるはずもない。頭の中にたくさん湧いてくるクエスチョンマーク、それをひとつずつ取り除かなくちゃ。
「なんで、私たちのいる場所がわかったの?」
  そうだよ、だって私たち自身が何処に連れてこられたかもわからないでいるんだよ。なのにどうして、これって絶対に変じゃない。
「……GPS」
  すると、とてつもなく面倒くさそうな声がした。
「……え?」
「お前の携帯、途中まで追跡ができたから。それで、だいたいの場所が掴めた。まったく、勝手に拉致られてんじゃないよ」
  その言葉を聞いて、私は慌てて上着のポケットを探った。
「うわっ、ホント! 携帯が入ってる!」
「……俺もだ! こっちは財布もそのまま残ってるぞ」
  私に続き、ショウも後ろから叫ぶ。
「なにやってんだよ、馬鹿どもが」
  ようやく振り向いてくれた晶くんの顔は、かなりやつれて見えた。
「す、……すみません」
  携帯を握りしめたまま、私は思わず謝っていた。別に自分にそれほどの落ち度があるとも思えないけど。だって、あれは不可抗力だったと思う。
「こっちはな、お前が部屋に残したメモを見て、なかなか戻ってこないからフロントに連絡して……それから大変だったんだからな」
「は、はあ……」
  厳しい表情から、彼が本気で心配してくれてたのがわかる。
「警察とかに相談するのもヤバイだろ、お前がどうなってるのかもわからないんだから。本当に世話ばっか焼かせやがって」
  まあ、無事だったから良かったけどな――そんな言葉があとに続いているような気がした。
  なだらかな坂を下りていくと、軽乗用車ならやっと通れるほどの細い山道に出る。舗装はされているけどかなりの年数が経過しているらしく痛みが進んでいた。
「車、待たせてあるから」
  晶くんは、相変わらず口が重い。普段から必要なこと以上はしゃべらない人だけど、こういう状況だったら大皿コースの嫌みの応酬とか出てきても当然なのにそれもないし。やっぱり、なんか変。昨日の夕方から、なにかを胸の内に押さえ込んでいるように見える。
  ――でも、それを指摘したとしても、素直に話してくれるとは思えないし……
  そのまま黙って山道を下っていると、不意にショウが後ろから声を掛けてくる。
「だけど、これっておかしくね? 誘拐事件にしちゃ、いろいろずさんすぎるし、子供の悪戯とかそのレベルとしか思えねえよ」
  晶くんは黙ったまま振り向く。でも口は一文字に閉じたままだ。
「……あ、あのっ、晶くん……!」
  彼がなにを考えているかはわからない、でもこちらの話はきちんと伝えなくてはと思った。
「小早川さんのところにも、私と同じ手紙が届いていたんだって。私よりも少し前から、毎日同じように。それで……その内容が、昨日のはいきなり違うものになっていて」
  私の言葉を受けて、ショウが上着の内ポケットから例の封書を取り出す。こういう証拠品までまったく持ち去る気がなかったあたり、どう考えてもプロの仕事じゃない。……誘拐のプロがどんなものなのか、そもそも私にはわからないけどね。
「……」
  晶くんはなにも言わなかった。なにも言わないまま、私を醒めた目で見る。真っ直ぐに揺らぎないふたつの瞳が、怒っているようにも泣いているようにも見えた。
  そんな息を呑むようなシーンに遠慮なく口を挟んでくるのがショウ。
「ふーん、相変わらずな奴だなあ。お前、嫌いな人間には容赦ないからな、そんな風にしてて実は方々に敵を作ってんじゃねえの?」
  この人って、ホントに空気読めない。というか、相手の立場とか気持ちとか完全無視で好き勝手やってる。そのことに対する後ろめたさとかも全然ないのがすごいよな。
「……お前には関係ないことだろ?」
  さすがの晶くんもこれには耐えかねたのだろう、ぼそりと言い返す。
「それが、関係大アリなんだよな。こっちは勝手に変な手紙を送りつけられたと思ったら、こんな大変な目にまで遭わされて。しかもお前、千里ちゃんとふたりきりで解決しようとしてたんだって? それって、無謀すぎないか。千里ちゃんは女の子なんだしさー」
「千里をどうしようと、こっちの勝手だろ。コイツは俺のマネージャーだ」
  晶くんは私の肩を掴むと、強引に自分の方へと引き寄せた。しかし、ショウの方も負けてない。
「でもそれって、職権乱用じゃん? 千里ちゃん、怯えてるよ」
「――うるさいっ、黙れ……!」
  晶くんはショウの言葉をぴしゃりと撥ね付けた。
「千里に危険が及ぶのを阻止できなかったのは俺の失態だ。でもお前のことは関係ない、そっちが勝手に巻き込まれただけだろ。もう、これ以上は放っておいてくれよ……!」
  なにか変だと、そのときはっきり感じた。
  それまでも、時折感じていた違和感。それがはっきりとした感触で表れてくる。
「そんなこと、できるかよ! これはお前ひとりだけの問題じゃないんだぞ、自分以外の人間にも被害が及ぶんだってことを自覚しろ。それができないなら、偉そうな口を叩くな!」
  ショウも負けじと言葉を重ねる。こうなってくると、お互いがけんか腰。会話の内容なんてあまり意味がなくなる。
「黙れって言ってるのがわからないのか! お前なんかになにがわかる……!」
  もともとが、ちょっとだけの立ち話でも火花を散らしてしまうほどの関係だ。実のところ、ショウの方は愛情の裏返しだったりするらしいけど、そんなのは表向きには絶対にわからない。
「だいたい、お前は――」
  さらに続けて晶くんが口を開いたとき、その身体がぐらりと崩れかけた。
「……あっ、晶くんっ!」
  そばにいた私が慌てて支えたけど、その重みは相当なもの。それでも両脚で踏ん張って、どうにか耐える。
「もうっ、いい加減、ふたりともやめましょう。こんなところで言い争いをしてても始まりません、とにかくは安全なところまで移動しないと。それに……こちらは今日一日オフですけど、小早川さんのスケジュールは? マネージャーさんに連絡した方がいいんじゃないですか」
「――ここ、電波入らないし」
  一度携帯を手にしたショウが、ぼそっと呟く。
「千里ちゃんもアキラの味方なんだ。偉いねえ、マネージャーさんは。まったく頭が下がるばかりだよ」
  なんとなくわかった、ショウは晶くんを怒らせようとしている。そうすることによって本音を引き出そうとしているんだ。きっと彼にもすでにわかっているはず、晶くんがなにかを隠しているということを。
「小早川さんっ、もうやめましょう!」
  そして、私もまた必死だった。三人が三人とも立場を微妙に変えながら、ギリギリのところで踏ん張っている。
「ここ……かなり標高が高い気がします。空気が薄い気がするし……」
  ひんやりした空気が、まるで冬に戻ったような気がする。私にもたれかかる晶くんの身体がすごく貴重なぬくもりに感じた。
「だから、まずは車が待っているというところまで行って。その上で、次のことを考えましょう」
  ここは私なんかが仕切るところじゃない気もするけど。いたずらに議論を重ねているわけにも行かないと思った。もしかすると、私たちを拉致した人たちがまだ近くにいるかも知れない。こんな中途半端なやり方をしたのは、なにかを焦っていたのではないだろうか。
  なかなか思考が定まらない頭で、それでも必死に思いを巡らせていた。そんな私たちの背後に、がさっと落ち葉を踏みしめる足音が響く。
「――そこまでだ」
  聞き覚えのある声が、すぐ近くで聞こえた。

   

つづく♪ (120217)

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