『ササクラアキラノ マネージャー スグヤメロ コレハ ケイコクダ』
真っ白なその紙はたぶんコピー用紙。無造作に切り取ったノートの半分程のスペースに、わざとらしく直角に書いたカタカナ文字が並んでいる。たぶん、定規をなぞりながら書いたのでは? と思われるような。
表の宛先はパソコンの印字だったから、こんな恐ろしいものが封入されているなんて夢にも思わなかった。
晶くんは明らかに不満げな顔。私をじろりと睨みつける。
「何だよこれ、俺のことを馬鹿にしてるの?」
そんなこと訊ねられたって、私にわかるわけないじゃない。
こんな手紙もらうの、生まれて初めてのことだよ。もちろん、臨時でもマネージャーなんてものをやる羽目になったのも同じく生涯で初めてではあるけど。
でもまあ、ここは冷静に判断して対応するべきだよね。こっちは、仮にも年上なんだし。
「た、たいしたことないですよ! きっと、ただの悪戯です」
そりゃ、これを受け取った瞬間には心臓が飛び出るくらい驚いた。でも、すぐに考え直したよ。
だって、そうでしょ。
晶くんほどの有名人になればこっちに身に覚えがなくても勝手に恨まれたりしていることはありがちだし。この程度のことにいちいち目くじらを立ててたってはじまらないって。
「悪戯だって、悪質じゃないか」
だけど、彼の方はどうにも納得してない様子。しかも、さらに爆弾発言するし。
「――それに、現に怪我人も出ているわけだし」
「えっ!?」
思わず、聞き返しちゃった。そういえば、さっき病室でもこんな話題が出かかったような。あのときは榊田さんに、うまいことはぐらかされちゃったけど。
……って、それってことは……
な、なんか、青ざめてきちゃった。
感情を抑えたその言葉からも、晶くんが本気で怒っているんだってことがわかる。
でもでも、いきなりコレは穏やかじゃないでしょう。
晶くん、断定しているしね。かなり信じ込んじゃってる感じだよ。
やっぱ、若いからだろうな。それに晶くんはとても純粋そうだし、コレと決めたら絶対に曲げないイメージがある。もちろん、表向きはそんなところおくびにも出さない爽やか〜なイメージではあるけれど、なんかそんな気がするんだ。
うん、私も今までは綺麗な部分の彼ばかりを見ていた。生まれながらの幸せ体質、幸せも運も全てを自分の方に引き寄せる不思議なパワーを持った夢の国の王子様。でもその姿を維持するために、この人はかなりの努力を積み重ねていたんだ。
……といっても、これは半日一緒にいただけの勝手な印象ではあるけど。
さらに、晶くんは続けた。
「もしも誰かが榊田さんを……そうだったら、絶対に許さない。そいつのこと見つけ出して、俺が再起不能になるまでボッコボコに痛めつけてやる……!」
――すごい、こんな顔してても完璧に綺麗に見えるなんて、やっぱ普通じゃない。
ああ、背後から青白く燃えさかる炎がメラメラと立ち上って……この顔もすごくすごく綺麗。惹き込まれるよう……!
そんな風についつい感動しちゃって、それからすぐに私はハッと我に返る。
「じょ、冗談じゃありません! こんなの、本当にただの悪戯ですから。きっと事務所の誰に見せたってそういうに決まってます! 駄目ですよっ、マジになっちゃ……!」
やばやばやばっ、何か急に物騒な話になってきた。
まあ、元はと言えば、届いた手紙を不注意に持ち歩いていた私自身の責任だと思う。すぐにシュレッダーにかけちゃえば、こんなことにはならなかったんだし。
だから、ここは穏便に済ませることができるよう、頑張らなくちゃ!
だけど、敵も然る者。そう簡単には納得してくれなかった。
「本当だな? だったら、ちゃんと納得できるような証拠を見せろよ」
すっごい怖い顔で睨みつけられて、こっちは言葉に詰まる。
そんなことを言われたって、すぐには無理だ。と言うか、私は半日前に指名されたばかりの臨時マネージャー、こういう不測の事態の対応だってひとつも教えてもらってない。
というか、マネージャー業ってこんなに物騒なものだったの? だったら尚更、素人に任せるのは危ないじゃない!
でもでもっ、ここはどうにか自力で切り抜けなくちゃ。
「え、えとっ……まずは事務所に戻って、社長に相談しましょう。それが一番です!」
そう、そうだよ! いくら普段はあんな風な社長でも、この不況下でもどうやら芸能事務所を切り盛りしているだけの腕があるんだ。きっと何か策を考えてくれるはず。
「……ま、お前みたいなチンピラを相手にしてるよりは名案が出そうだな。じゃ、それでいいよ」
古ぼけた雑居ビルの前にタクシーが止まる。支払いをするのは、もちろん私の役目。おつりと領収書を受け取って路上に降り立つと、辺りはすっかり夜の風景に変わっていた。
「あっ、……やば!」
次の瞬間。
しっかりと握りしめていたはずの領収書が、ひらりと手からこぼれ落ちる。ビル風に舞い上がったそれを追いかけて、私は隣のビルの前まで全力で走ってた。
もーっ、馬鹿! これをなくしたら、立て替えた料金を返してもらえなくなっちゃう。
「――危ないっ!」
ようやく動きを止めた紙片に素早く手を伸ばしたのとほぼ同時に、背後から鋭い叫び声が響いた。
えっ、と後ろを振り返るよりも早く、身体が前方に勢いよく突き飛ばされる。
――がちゃん……っ!
何かが派手に壊れる音。
歩道に転がった体勢のままで恐る恐る振り返ると、ほんの一メートルほど先、つまりたった今まで私が立っていたその場所に一抱えほどはありそうな植木鉢が粉々に砕け散っていた。
その周りには、その中に植えられていたと思われる樹が根っこから引き抜かれたような状態で転がっている。その高さ、一メートル以上。こっちもかなりの大きさだ。それから、さらに大量の土や小石も散乱してる。
「……な……」
これにはさすがに呆然、しばらくは一体何が起こったのか正確に把握できなかった。
何これ、ちゃんと中に土が詰まった状態だったの? 目算で見ただけでも、すごく重量ありそう。しかも高い場所から落下してきたとなれば、その速度も相当なもので――
「何やってるんだ、早く立て。ズラかるぞ」
尋常じゃない物音を聞きつけて、わらわらと人が集まってくる。たくさんの騒ぎ声と足音、それから逃れるように私たちはその場を素早く立ち去った。
「大丈夫かよ。お前って、破壊的に反応鈍すぎ。そんなんで、俺に万が一のことがあったときにはどーすんだよ」
人目を避けて遠回りした末に、ようやく帰り着いた事務所。
ドアを開けたその先に人影はなく、しんと静まりかえっている。一体どこへ消えたんだか、社長の姿まで見えないし。普段だったら、今くらいの時間は奥の部屋でのんびりお昼寝タイムのはずなんだけど。
「しっ、知りませんよ、そんなのっ! ……っていうか、半端なく浸みてるんですけど……」
何この消毒液っ、消費期限が切れて発酵しているんじゃないでしょうね!? 必死に痛みに耐えているんだけど、そろそろ限界。この辺で、一度ストップ掛けていい?
「何、言ってんだよ。人が親切に手当てしてやってるっていうのにさ、文句なんて百年早いの!」
あ、相変わらず、信じられない口の悪さ。でも……
そうなの、応接室のソファーに腰掛けた私は、恐れ多くも笹倉晶を足下に跪かせていたりする。これって、かなり怪しいシチュエーション。何も知らない人がいきなり入ってきたら、驚きすぎて心臓が止まっちゃうかもね。
というか、私自身も心拍数マックス。かなりヤバイ状況になってる。
「そりゃ、そうですけど……うぎゃっ、痛っ……!」
必死で逃げ回ってるときや階段を上っているときには全然平気だったんだけど、ここまで戻ってきて愕然。
実は路上に投げ出されたそのときに両方の膝小僧を思い切りすりむいていたみたい。気づいたときには膝から下が血だらけのとんでもないことになってた。
「これくらいで済んで良かったと感謝しろ。打ちどころが悪けりゃ、今頃はあの世行きになってたぞ」
――ま、実際、そうなんだけどね。
あのとき、人並み外れた反射神経で私を危機から救ってくれたのは晶くんだった。そんな命の恩人に今度は傷の手当てまでさせちゃって、罰当たりもいいとこだ。
「は、はあ……仰る通りです」
眉間に皺を寄せて、ものすごーく機嫌悪そう。それにしても手際いいなあ、こういうことも普通に出来ちゃう人なんだ。何か意外。
「さ、これで一応は平気だろう。全く、世話の焼ける奴だな」
てきぱきと年代物の救急セットを片付けているその姿は、お茶の間の皆さんを魅了する素直でちょっとはにかみやなアイドル像からはほど遠い感じ。何だかイメージ違うなあ、どっちが本来の姿なんだろう。
「あっ、ありがとうございました!」
くるりと後ろを向いたその背中に、ぺこっと頭を下げた。
やっぱね、お礼くらいは言わなくちゃ。いくら憎まれ口をてんこ盛りに叩かれたとしても。
だけど、返ってきたのは「やっぱりね」な感じの言葉。
「これ、片付けてくるから。お前も早くそのコスプレ服を着替えたら?」
こういうときは、くるりと振り返って「どういたしまして」とか、天使の微笑みで応えてくれるんじゃないのかな……?
ドラマの中の彼とはあまりに違う姿に呆然としているうちに、その背中はドアの向こうに消えた。
つづく♪ (110616・1003改稿)