TopNovel>その微笑みに囚われて・2

 

 確かに、ここ数日事務所内がこの問題で揉めていたことは事実。
  晶くんにはデビュー前から榊田さんという敏腕マネージャーがついていた。でも、先日彼が事故にあってただいま入院中。検査の結果、かなり厄介な骨折ってことで、完治までには時間が掛かりそう。
  もちろん、ウチの事務所がいくら弱小だからって、抱えているタレントが晶くんひとりってわけじゃない。だからそれなりのキャリアを持つマネージャーは他にもいるわけで、その誰かを一時的に回してもらうしかないかなって結論になったんじゃなかったっけ? 少なくとも、私はそう聞いていたけど。
「ああ、木原ちゃんね? 駄目駄目、あいつのことはダリアが離さない。そんなことしたら、明日から仕事をしないってゴネられた」
  何それ、幼稚園児じゃあるまいし。牧村ダリアさんと言えば巷では実力派女優と言われているほどの人でしょう? このところ数年は主役から遠ざかっているものの、コンスタントに仕事が入ってくる貴重な人材だ。舞台経験もあるから、心強い。
「えーっ、じゃあ緑川さんは?」
  そうそう、もうひとりいたわ。「副社長」とも言われる縁の下の力持ちが! 人事から経理まで細かいことを一手に引き受けてる方だから、忙しい仕事だって全然オッケーだよね?
「う〜ん、ミドちゃんは超がつくくらいの恥ずかしがり屋だからね。晶みたいに目立つ奴の世話は無理だよ。そんなことさせて、ミドちゃんが自信をなくして寝込んだらどうすんの? そのときはチィちゃん、責任取ってくれる?」
  ……いや、それは無理です。
  だいたい、どうやって責任なんて取ればいいんですっ。私に帳簿なんて付けさせたら、大変なことになりますよ?
「――ということで、決まり。他の奴らもみんなギリギリに仕事を抱えてるしさ。今んとこ、俺の次に手が空いてるのがチィちゃんなんだよ。だからもう、他に選択肢はないの」
  ええーっ、そんなぁっ! 晶くん、晶くんなんてっ……すれ違って挨拶するだけで、緊張しすぎて手のひらにすっごい汗をかいちゃう私なんですけどっ。書類を作成していてその名前が出てくるだけでもドギマギしちゃうのに。
  毎朝、特大ポスターで萌えの充電するだけで丸一日元気に過ごせるくらいで! それなのに、本物が側にいたら、……過呼吸であっという間に死んじゃうわ。
「でっ、でもっ! でも、そのっ、待ってください!」
  力一杯目一杯、拒否反応を示してみた。だけど悲しいかな、何の脈絡もない言葉たちは、社長の耳に届いている気配すらない。
「……じゃ、そろそろいいかな? おい、晶! 入ってきていいぞ、オッケーでたから」
  ちょっ、ちょっと! 出してないっ、オッケーなんて絶対っ!
  そう思ったのに、もう泣きそうだったのに。社長の声に反応したドアが、私のすぐ後ろで開く。
「失礼します、晶です」
  ひいいいっ、本人だぁ! ぎゃああっ、半径一メートル以内に入ってこないでっ! どっ、動悸が、息切れが! だっ、誰か! 誰か助けて……!
「晶ぁ、その子がチィちゃん。悪いけど、わかんないこと教えてやって。本人が説明するのが一番いいっしょ?」
  何それーっ! どんな理屈ですか。涙目で社長を睨みつけたのに、ホレホレって顎で促されてしまう。
「こんにちは、笹倉晶です。確か岡野千里さん、でしたね? しばらくの間、よろしくお願いします」
  うっわーっ、テレビで観るよりもずっと綺麗な笑顔! どうしよ、これって私専用? ええと、写メとか撮っていいでしょうか? その手のルートで高く売れそう……じゃなくて。
「……よっ、よよよ、よろしくお願いします……」
  へええ、間近で見ると結構な長身。しかも意外と逞しい感じだ。そしてこの礼儀正しさ! どうしてこんな人が社長の下で我慢できるのか、すごく謎だわ。
「んじゃ、そろそろいいかい? 俺、これから一眠りするわ。あとは応接室でも使ってふたりだけでどうぞ」
  ―― そして、最後の審判は下る。
「じゃ、行きましょうか」
  そう言ってわざわざドアを開けてくれる憧れのスターに、肩を落として従う。あー、せめてもうちょっとマシな格好してくるんだった! そんなこと、今更後悔しても遅いけどね。

「では改めまして、笹倉晶です。これから先、お世話になります」
  応接室があるのは、入り口のドアを入ってすぐ。さきほどの特大ポスターが貼り付けてある壁の向こう側だ。外部のお客様を迎える場所であるから、それなりに小ぎれいに片付いてる。
  とは言っても、主役である応接セットが見るからに古めかしいのはいただけないわ。こういうの、田舎のお祖母ちゃんちに昔あったよなあ。ほら見てよ、今やトレンディードラマの顔とまで言われている晶くんなのに、そこに座るだけでいきなり昭和の顔に見えてくる。
「えっ、ええと……こちらこそ、です」
  うう、身体ががっちがちになってるよ。だってだって、晶くんって全身から沸き立つオーラが半端じゃない。さすがは一流と言われるだけのことはあるわ。ああ、近寄るとクラクラしちゃう。
  学年で二歳下っていう話だから、今は二十二歳か。
  誕生日、まだだもんね。もちろん知ってるわ、晶くんのバースディは五月五日のこどもの日なんだよ! う〜ん、そういうところまで可愛い。まあ、それくらいのこと、ファンとしては当然だよね。
  私がバイトとしてここに入った頃は、まだ十代だったよな。ちょうど知名度が急激に上がってきた頃で、見かけるたびにどんどん輝きが増していくのが遠目に見てもよくわかった。
「こちらが僕のスケジュールです。今週はそれほどでもないんですけど、来週頭からドラマの撮影でスタジオ入りしますから、その先はかなりの拘束時間になると思いますよ。いきなりで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
  もう、いちいち低姿勢なのがたまらないわ〜っ!
  インタビュー記事そのまんまの奥ゆかしさ、有名人って裏の顔がとんでもないって言われるけど、晶くんに限ってそんな理屈は通用しない。共演者やファンの子たちには常に親しみを持ちながらもしっかり礼を尽くした態度で接しているし、私たちのような事務所の人間にだってきちんと挨拶してくれる。
  まさしく天から二物も三物も与えられた人間、ううんこれはもう「超人」と呼ぶべきか。ああっ、こうしているうちにも手のひらが汗をかいちゃって、大変!
「……ええと、岡野さん? ちゃんと、聞いてますか」
  えっ、えええっ!? 何か話してましたか? 駄目駄目、頭の中の雑音が多すぎて、耳がおかしくなってる。ひゃあっ、こんなんでどうするのよっ。
「すっ、すすす……すみませんっ……!」
  年下くん相手ではあるけどね、ついつい敬語になってしまうわ。こんなんで、本当にお役目が務まるのかしら。社長、これは明らかに人選ミスだと思うよ? 今からでも遅くはないから、是非考え直していただけないだろうか。
「ふふ、岡野さんって、本当に可愛いですね。ギョーカイの人間っぽくないところが、すごくいいと思いますよ?」
  え? と思ってスケジュール表から顔を上げたら。うわっ、目の前に! 低めのテーブルに頬杖をついてこちらを見上げている綺麗な顔が……!
「えっ、ええと! 晶くん、何か飲みますか?」
  そう、ここはちょっとだけ休憩を入れよう。このまんまずっとふたりきりでいたら、緊張しすぎておかしくなっちゃうもの。隣の事務所でコーヒーを入れる時間を利用して気持ちの整理を付けなくちゃ。
「あ、じゃあ僕はミルクティーでお願いします」
  ……やっぱり、可愛いのは晶くんの方だよ。どうしていちいち萌えな発言をしてくれちゃうの?
  もうっ、お姉さんが頑張ってとびきりの紅茶をいれてきてあげる。今日のところはティーパックしか買い置きないけど。明日からは特上のリーフを用意してもいいわ。

「すっごいじゃない、千里ちゃん。社長から聞いたわよっ、あんた晶のマネージャーやることになったんだって?」
  ほらほら、もう話がこっちまで回ってるし。すっごい嬉しそうな顔してるカオル先輩。先輩に掛かると、我が事務所にとっては「神」であるアイドル晶くんも呼び捨て扱いだ。
「えーっ、すごいとかそういうんじゃないですっ。良かったら、これからでも先輩にお譲りしたい気分でいっぱいなんですけど……」
  この発言は、ほとんど本気だった。だって、ほんの十分かそこら同じ空気を吸っていただけで、幻覚が見えて幻聴が聞こえてくるほどの有様よ。もうこれ以上は自信がない。やっぱり、晶くんは遠くからうっとり眺めているのがいいんだわ。
「何言ってるの、晶のマネージャーなんてそう簡単になれるものじゃないでしょ? せっかくの機会だし、楽しんできなよ。運が良ければ、晶の共演者とも直接話ができるかも知れないしね。そう言うのって、またとないチャンスだよ! 千里ちゃんだってせっかくウチの事務所にいるんだし、少しはオイシイ想いもしないと」
  とか言いつつ、すっかり楽しんでいるでしょう? もうっ、勘弁してください。これって、いじめにも近い仕打ちだと思いますよ?
「まーね、社長も千里ちゃんだから頼めたんだと思うよ? あんたって、晶が事務所にいるときも普段通りに振る舞ってたしね。そうじゃない子って、結構いるから大変なのよ。千里ちゃんが入る前にちょっとだけ来てたバイトちゃんなんて、まるっきり晶の尻を追いかけて回っていたからね。あーゆうのって、事務所にとっては本当に迷惑なのよね〜」
  ついでに私ももらうわって、勝手にコーヒーの紙コップを持って行ってしまう先輩。いいんだけど、インスタントだからすぐにいれられるし。あー、これが晶くん用だったら、面倒でもドリップパックでいれるんだけどな。
「へえ、そうだったんですか……」
  ふうん、それって初耳。まあ、ありがちな感じだとは思うけど。……というか、私だって勇気があったら絶対取っていた行動だわ。
「うん、だからね、逆にちょっと心配かも。千里ちゃんみたいなタイプ、晶の周りにはいないじゃない? 新鮮だからって興味もたれて、うっかり食べられないようにくれぐれも気をつけなさいよ」
  ……いや、それはない。絶対にあり得ないから……!
  だいたい、あのピュアなイメージから、どうしてそんなおかしな想像が生まれるんですか。止めて止めてっ、そんなのって晶くんに対する冒涜ですよっ!
「―― あ、そうだ」
  私がふたり分の紙コップをトレイに乗せたら、先輩が急に何かを思い出したみたい。
「そうそう、千里ちゃん宛に郵便物が届いてた。忘れないうちに渡しておくわ」
  じゃ、ちょっと打ち合わせ行ってきますって、紙袋を手に立ち上がる先輩。
  その背中を見送ってから、私は渡されたばかりの封書を確かめる。えー何だろう、名指しでの郵便が会社宛に届くなんて初めて。だからなんだと思うの、ついつい中を開けて確かめちゃった。
  そして、それこそが今回の「事件」の始まりであったのね。

   

つづく♪ (110527・1003改稿))

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