TopNovel>その微笑みに囚われて・9

 

 犯人捜しは進めたい、でもそのための時間がない。
  忙しい晶くんにマネージャーとしてつきっきりの私も同じく忙しいわけで、このままぼんやりしていては無駄な時間を過ごすばかりだと思う。
  ちょっとは頭を働かせなければ。そう思っても、ひとり暮らしの部屋に戻ればそのままベッドに直行な毎日だ。我ながら、情けないったら。これが榊田さんだったら、パパパーッと華麗に片付けてしまうんだろうなあ……。
「なに言ってるんだ、お前なんかと一緒にされたら、榊田さんが可哀想だ」
  ほらほら〜出ましたよ、いつもの毒舌。
  もう慣れっこではあるけどね、やっぱ面白くないわ、この断定調。しかも、それがハニーフェイスから出てるのがいただけない。悪人だったら悪人らしく、それなりに装ってくれないと困るよ。
  そしてさらに、晶くんは私の頭を持っていた週刊誌でぱしっと叩く。
「さ、仕事仕事。まずは面倒ごとを片付けてしまおう」
  うわぁ、またこんなこと言ってるし。
  こっちが呆れているうちに、彼はすたすたと先に歩いて行ってしまう。野球帽にサングラスというベタなファッションでも、それなりに格好良く見えるというのがムカつく。これって、一歩間違えばコンビニ強盗の出で立ちだよね?
  え、今はどこにいるかって?
  ここは都心からちょっと外れたところにある公会堂。ほら、よくライブイベントとか音楽会をやる広いホールがあるところ。でも今日はメインホールじゃなくて、小さめの部屋を利用するらしい。
  ここはファンクラブの集会にもよく使われる場所らしい。以前はもうちょっと狭い会場を使っていたんだけどな、さすがここ数年の人気度アップはすさまじいものがあるみたい。いったい、どんな客層が集まっているんだろう。
  昨夜の打ち合わせ電話だって、ドキドキしまくりだったよ。ファンクラブの会長さんなんて、直接お話ししたことはおろか、目を合わせたことだってないもの。この方と晶くんへの想いを語り合ったらどんなにか素敵だろうと思いつつ、事務的に会話するしかなかった自分が悲しい。
  目立たないように裏口ドアから入って、狭い通路をくねくね進んでいく。
  晶くんは以前にも何度かこの場所を訪れたことがあるらしく、その足取りは勝手知ったる自分の庭って感じ。一方の私は、見るもの聞くものすべてが珍しくてきょろきょろしてばかり。これじゃあ、どっちがマネージャーかわからないよ。
「ほら、ここ」
  目の前に現れた白い扉。その上には「小ホール・3」と書かれていて、さらに「本日の予定」のプレートに『12:00〜17:00・笹倉晶ファンクラブ様』と表示されていた。
  集会そのものは13:30開始で、今の時刻はその二十分前。ここに書いてあるのは、事前準備や後片付けのすべてを含んだ時間らしい。そんなことにもいちいち感心していると、晶くんが顎で私を促した。
「おい、なにをぼさっとしてる。お前が入って声を掛けて来い」
  そりゃそうか、いきなり主役登場じゃ、会場内が大混乱しちゃいそう。
  でもでも、この中には晶くんを目当てに集まったお姉様方がたくさんいるんだよね? ……な、なんか緊張するな。思わずふるふると武者震いしたら、お下げ髪が揺れる。そう、コスプレ生活は今日も続いているのだ。
「お、お邪魔しま〜す……」
  扉の向こうは、小体育館のような造りだった。私は脇の入り口から入ったらしく、右手奥に腰の高さほどのステージがある。会場内に備え付けの椅子はなくて、すべてがアリーナ席みたいになってた。
  ステージ下のそのスペースにはすでに百人……じゃきかないな、二百人はくだらない人数の観客がひしめいている。やっぱ、そのほとんどが若い女性。でも中には小学生とおぼしき女の子とそのママという組み合わせも見える。さすがは晶くん、ファン層が厚いわ。
  私、今日はどこから晶くんの勇姿を覗くことができるんだろう。もしかして、舞台の袖? そのときくらいは、夢の国の住人であって欲しいものだ。
「あら?」
  いったい誰に声をかけたらいいのやら悩んでいるうちに、扉近くに立っていた女性がこちらを振り向いた。「もしかして、あなたが晶くんの臨時マネージャーって方? 確か、岡野さん、でしたっけ」
  うわぁっ、なんかすごくしっかりしてそうな人。髪をきりりとひとつにまとめて、メイクもばっちり。さり気なく身につけたスーツも高級感に溢れている。
「は、はいっ! ええと……小野田さんでいらっしゃいますか? お電話ありがとうございました」
  そうそう、こんな話し方だった。電話越しにもちょっと緊張したけど、本人を目の前にするとさらに背筋が伸びる心地がする。
  ――へええ、この人が晶くんのファンクラブ会長さんなんだ……! 写真で見るよりもずっと美人だよ。
「ええ、そうです。本日はご苦労様、ところで晶は? 外にいるのかしら」
  小野田さんは一度後ろを振り返って、スタッフらしいひとりに目配せをする。すると、客席の照明がふっと薄暗いものに変わった。
  なんという早業っ……なんて感心しているうちに、彼女は私のことなんて小道具のひとつかなにかみたいに無視して扉を開けた。そしてそれが元どおりに閉じたとたん、ピンク色の叫び声が通路に響く。
「まああっ、いらっしゃい! 待ってたのよ〜!」
  えええっ、……こ、声のトーンが私に対してのときと全然違いますけど……?
  ぎょっとして振り向いたら、そこには満面の笑みを浮かべた晶くんがいた。小野寺さんはこちらに背中を向けているから、その表情までは見て取れない。
「こんにちは、朱美さん。本日はどうぞよろしくお願いします」
  ……コイツの方も別人になってるしっ!
「ええ、こちらこそよろしくね。では早速本日のスケジュールなんだけど……」
  そこから先は、ふたりだけのやりとりが続いていく。私もマネージャーという立場であるから話に加わるべきなのかなとも思ったけど、……な、なんというかっ、目の前に見えない壁が立ちはだかっているみたいでいかんとも近づきがたい雰囲気なの。
  そうしているうちに話が一区切りついたみたい、小野田さんはこちらを振り返る。そして晶くんを促しつつ……うわっ、肩に手を置いてるし……!
「それでは岡野さん、晶はお預かりします。この先はあなたの仕事はありませんから、ラウンジでお茶でも飲んでいらしたら?」
  ――え、それってまさかの門前払いですかっ!?
  そう言いきった彼女の、勝ち誇った表情ったら。そしてふたりは当然のように私をひとり残し、薄暗くなっている扉の向こうに消えていく。
「……す、すごい」
  思わず、声が出ちゃったよ。
  前々から噂には聞いていたんだ、笹倉晶ファンクラブ会長・小野田朱美さんのこと。かなりご執心で扱いにも難しいと言われてたけど、本人を前にして納得。ほんのわずかなやりとりの中でも、すっごい敵意を感じたもんね。
  でもでも、本当にいいのかな。
  社長からも「彼女には絶対に逆らわないように」と言われてるし、……ま、携帯のナンバーは教えてあるしね。いざとなればどうにかなりそう。
  だけど、残念だな。せっかく目の前はファンクラブイベントの会場なのに、中に入ることができないなんて。でもこの格好でいたら、会場の隅の方にこっそりしていても見つかっちゃいそう。やっぱ潜入するのは無理かなあ……。
  がっかりした気持ちを抱きつつ、とりあえずはとトイレで手を洗う。そして、鏡に映った自分の姿を確認して、ハッと気づく。
  ……もしかして、これって。これって……?
  果たして三十分後、私はなに食わぬ顔をしてトイレから出た。その手には大きな紙袋を抱えて。

 さっきとは別の扉の前に立つ。
  この扉は布張りで分厚い造りだから、耳を当ててみても中の様子はまったくわからなかった。だから、そろーっと少しだけ開けて覗いてみる。
  とたんに「きゃーっ!」という大勢の叫び声が耳をつんざいた。もうっ、これにはびっくり。しばらく呆然としていたら、中から声がする。
「ほら、入るなら早く!」
  なんだろう、男の人の声だ。ああ、開けっ放しだと外に音が漏れるってことかな? そんな感じで、内側から開けられた扉の隙間に身体を突っ込んだ。
「どうしたの? こんな大切な日に、遅刻しちゃ駄目じゃない」
  薄暗くて、その人の姿がよくわからない。身長はかなりありそう。首にショールとか巻いちゃって、お洒落のつもりかな。しかも変なの、こんな暗闇なのにサングラスをかけてるなんて。
「あ、いえ……」
  慌てて取り繕うようにした返事は、再びの叫び声でかき消される。いったい、ステージの上はどうなってるの。こうやって後ろから眺めると、まるでライブ会場にでもいるみたい。
「はい、これ」
  不意に先ほどの男性が、私になにかを手渡してきた。
「ビンゴゲームだって、一番になった人はステージの上でアキラとツーショットで写真が撮れるらしいよ〜!」
  あ、ありがとう、親切な方。
  でも私、晶くんとツーショットなんて絶対に無理。というか、ステージ上に上がることだって不可能だと思うよ。
  ……とはいえ、このままなにもせずにいたら変な人になっちゃうか。だから、新しいナンバーが読み上げられるたびに、自分のカードを確かめてるふりをしてた。
「お、リーチ! すごいじゃん」
  たくさんの悲鳴に混じって聞こえてくる隣の声。別にこっちは相手をしているつもりもないんだけど、ちょっとしつこくない? だいたい、晶くんのファンで男性って珍しいよね。なんか、怪しくない……?
  そこまで考えて、私はハッとする。
  ――これって、もしかして、不審な人物を発見ってこと……!?
  実は、私。しばらくは暇になっちゃったし、元の姿に戻ってファンクラブのイベント会場に潜り込んじゃおうと思ったんだよね。だって、何もすることないし。晶くんが、夢の住人を演じるところを見るのもまた一興かと思って。
  このままでいたら、私、彼のファンだったことも忘れてしまいそうだよ。そんなのって悲しすぎる。彼の毒牙に掛かる前に、乙女な心を取り戻したい。
  そのためにすぐ側のショップで着替えも購入。出入り口はマネージャーの格好をしていれば顔パスだから大丈夫、そのあと奥のトイレで着替えたってわけ。メイクも変えたし、ちょっと見では別人になれた自信がある。まさか、マネージャー代理をやって変装のテクニックが身につくとは思ってなかったわ。まあ、こっちが普段の姿なんだけど。
「なに? 世紀の瞬間が近づいて、緊張しちゃってる?」
  それにしても馴れ馴れしいんだよなあ、この人。これって、同じファンだからという連帯感? こっちはそれどころじゃないんだけど。
  思わず横目でちらりと睨んでやった。そしたら、サングラス男はにやっと笑うの。
「……ふうん、やっぱり気づいてないんだ」
  そして、彼はすっとサングラスを外す。その下から現れた顔に、私は目を見張った。

   

つづく♪ (110715・1003改稿)

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