和歌と俳句

與謝野晶子

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

さはやかに 黒瞳にほへる 君去りし あとの椅子より 涼風ぞ吹く

五月雨に 帰りも行かず あなにくし 張文庫にも 隠してましを

ひとりゐて をきくかな 味わろき 夜の食事の いく時の後

五日ほど 手枕からず 世のつねの ことと軽くも 身をおもはむや

おきふしに 悩むはかなき 心より 萩などのいと つよげなるかな

この人を 君が愛でざる ことわりを 数ふるばかり 賢けれども

一本の 枯柳より こぼれ来ぬ 君が心の 雪こぼれ来ぬ

山の上 氷れる池を かこみたる 常磐木を吹く 初春のかぜ

牡丹みな うまやの前の 枯草の 匂ひを立てぬ 春の雨の日

仏など わが見及ばぬ きはながら 恋の如くに 頼まばよけむ

二十まで 人見ざりつる おのれをば 毒木の類と おもひ放ちし

われにして 非分のことと 知りながら よその恋路を やめよとぞ祈る

たちばなの 林の中に こほこほと 柱けづりぬ 初夏の人

あるかぎり よき夢を見て くれなゐの 林檎は眠る 糠の中にて

遠方の いかづち聞え いちじくの 青き葉かげに しら萩のちる

はかなかる うつし世人の 一人をば 何にもわれは かへじと思へる

大鏡 ひとつある間に あかつきの風 しのびきたりぬ

若き身の くたびれ心 それに似る うす紅いろの 桜草かな

君来り ほのほを煽る くれなゐの ほのほの外の きを煽る

一尺の 中を氷の 風かよひ へだたれること 千里のごとし