和歌と俳句

齋藤茂吉

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うすぐらき 一間に臥して 命さへ 消え入らむとすと いふを我聞く

これの世に あるかなきかに 起臥して 庭のおどろも 見ることもなし

現身の みづからの声 持てれども 君はほそほそとして 仏のごとし

かくしつつ 君の眼はものを 見ざりけり 青田をわたる 風の行方も

君臥り 歌によまむと せざれども 此処のおどろに 虫すだかむか

いましめて 君が臥処を いでて来ぬ 悲しかれども 医師ぞわれは

うつつにし 尊かりけり 昼と夜と 君をまもらむ 君が嬬はや

松かぜの おと聞くときは いにしへの 聖のごとく われは寂しむ

松かぜは 裏のやまより 音し来て ここのみ寺に しばしきこゆる

松かぜの とほざかりゆく 音きこゆ 麓の田井を 過ぎにけるらし

苔ふみて わが行く谿に 水はいづ 朝はまだきの 苔を踏みつも

みみづくは 闇を木伝ふ 宵やみに 啼きたりしかど 夜ふけて啼かず

馬追の 鳴く夜となりぬ 紀のくにの 高野の山に 七日へしかば

馬追の とほれるこゑを 聞くときぞ 山のみ寺は さびしかりける

をやみなく 馬追のこゑの とほれるを 窿応和尚も 聞きたまふらし

石亀の 生める卵を くちなはが 待ちわびながら 呑むとこそ聞け

み寺なる 朝のいづみに 槙の木実 青きがあまた 落ちしづみけり

寺なかに あかくともりし 蝋の火の 蝋つきてゆく ごとくしづけし

となり間に 常臥しいます 上人は 茂吉の顔が 見えぬといひたまふ

左手の 利くかたのべて しましくは おのがみすがたを をろがみたまふ