齋藤茂吉

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春深し

うぐひすは かなしき鳥か 梅の樹に 来啼ける声を 聞けど飽かなく

幻の ごとくに病みて ありふれば ここの夜空を 雁がかへりゆく

たたかひに やぶれしのちに ながらへて この係戀は 何に本づく

鳥海を 前景にして 夕映ゆと そのくれなゐを 語りてゐたり

陸奥

東京を のがれ来りて 陸奥の 友をおもへば あはれなつかし

うつり来て われのいのちを 抒べむとす 鳥海山の 見ゆるところに

もろごゑに 鳴けるを 夜もすがら 聞きつつ病の 癒えむ日近し

みちのくに 生れしわれは 親しみぬ 蔵王のやま 鳥海のやま

罌粟の花

臥処より おきいでくれば くれなゐの 罌粟の花ちる 庭の隈みに

やうやくに 夏ふかむころ もろびとの 厚きなさけに 病癒えむとす

朝な夕な 鳴くひぐらしを 戀しみて いでて来しかど 遠く歩まず

われひとり おし戴きて 最上川の 鮎をこそ食め 病癒ゆがに

聴禽書屋

照りさかる 夏の一日を ほがらほがら 鶯来鳴き 楽しくもあるか

この庭に そびえてたてる 太き樹の 桂さわだち 鳴りはじむ

たたかひの 歌をつくりて 疲労せし こともありしが われ何せむに

梅の實の 色づきて落つる きのふけふ 山ほととぎす 聲もせなくに

梟の こゑを夜ごとに 聞きながら 「聴禽書屋」に しばしば目ざむ

夕浪の音

わが病 やうやく癒えて 歩みこし 最上の川の 夕浪の音

鉛いろに なりしゆふべの 最上川 こころ静かに 見ゆるものかも

夕映の くれなゐの雲 とほ長く 鳥海山の 奥にきはまれり

彼岸に 何をもとむる よひ闇の 最上川のうへの ひとつ

かの空に たたまれる夜の 雲ありて 遠いなづまに 紅くかがやく

和歌と俳句