和歌と俳句

齋藤茂吉

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蛍火

わがいのち おぼろおぼろと 一とせの 半を過ぎて うら悲しかり

晝蚊帳の なかにこもりて 東京の 鰻のあたひを 暫しおもひき

罌粟の花 ちりがたになる ころほひに 庭をぞ歩む 時々疲れて

哀草果 わが傍にゐて 戀愛の 話をしたり 楽天的にして

蛍火を ひとつ見いでて 目守りしが いざ帰りなむ 老の臥処に

弔岩浪茂雄君

この世より 君みまかりて 痛々しき われの心を 何に遣らはむ

うつせみは 常なきものと 知りしかど 君みまかりて かかる悲しさ

たえまなき 三十年の いさをしを 常にひそめて ありし君はや

まことなる 時代に生きむ 楽しさを 聖のごとく 君は欲せり

かうむりし 恩をおもへば けふの日に アララギこぞり 君を弔ふ

蕗の薹

しづかなる 曇りのおくに 雪のこる 鳥海山の 全けきが見ゆ

五月はじめの 夜はみじかく 夢二つばかり 見てしまへば はやもあかとき

黒鶫 来鳴く春べと なりにけり 楽しきかなや この老い人も

大きなる もののめぐりに すがるごと われも大石田の 冬を越えたり

みづからが もて来りたる 蕗の薹 あまつ光に むかひて震ふ

春より夏

ひとときに 春のかがやく みちのくの 葉廣柏は 見とも飽かめや

水の上に ほしいままなる 甲蟲の やすらふさまも 心ひきたり

近よりて われは目守らむ 白玉の 牡丹の花の その自在心

ながらへて あれば涙の いづるまで 最上の川の 春ををしまむ

逝く春の 朝靄こむる 最上川 岸べの道を 少し歩めり

戒律を 守りし尼の 命終に あらはれたりし まぼろしあはれ

おしなべて 人は知らじな 衰ふる われにせまりて 啼くほととぎす

ほがらかに 聞こゆるものか 夜をなめて 二つあひ呼ばふ 梟のこゑ

水すまし 流にむかひ さかのぼる 汝がいきほひよ 微かなれども

白牡丹 つぎつぎひらき にほひしが 最後の花が けふ過ぎむとす