長歌 人麿
ちはやふる わがおほきみの きこしめす あめのしたなる 草の葉も
うるひにたりと 山河の すめるかうちと みこころを 吉野のくにの
花さかり 秋津の野辺に 宮はしら ふとしきまして ももしきの
大宮人は 舟ならべ あさ河わたり ふなくらへ ゆふかはわたり
この河の たゆる事なく この山の いやたかからし たま水の たきつの宮こ 見れとあかぬかも
反歌 人麿
見れどあかぬ吉野の河の流れてもたゆる時なく行きかへり見む
長歌 順
あらたまの 年のはたちに たらざりし ときはの山の 山さむみ
風もさはらぬ 藤衣 ふたたびたちし 朝霧に 心もそらに まどひそめ
みなしこ草に なりしより 物思ふことの 葉をしげみ けぬべき露の 夜はおきて
夏はみぎはに もえわたる 蛍を袖に ひろひつつ 冬は花かと 見えまがひ
このもかのもに ふりつもる 雪をたもとに あつめつつ ふみみていでし 道は猶
身のうきにのみ 有りければ ここもかしこも あしねはふ したにのみこそ 沈みけれ
たれここのつの さは水に なくたづのねを 久方の 雲の上まで かくれなみ
たかくきこゆる かひありて いひながしけん 人は猶 かひもなぎさに みつしほの
世にはからくて すみの江の 松はいたづら おいぬれど みどりの衣 ぬぎすてむ
春はいつとも しらなみの 波路にいたく ゆきかよひ ゆもとりあへず なりにける
舟の我をし 君知らば あはれいまだに しつめしと あまのつりなは うちはへて ひくとしきかば 物はおもはじ
返し 能宣
世の中を おもへばくるし わするれば えもわすられず たれもみな
おなしみ山の 松かえと かるる事なく すへらきの ちよもやちよも つかへんと
たかきたのみを かくれぬの したよりねさす あやめくさ あやなき身にも
人なみに かかる心を 思ひつつ 世にふるゆきを きみはしも 冬はとりつみ
夏は又 草のほたるを あつめつつ ひかりさやけき 久方の 月のかつらを をるまでに
時雨にそばち 露にぬれ 経にけむ袖の ふかみどり いろあせかたに 今はなり
かつしたはより くれなゐに うつろひはてん 秋にあはば まづひらけなん 花よりも
こたかきかげと あふがれん 物とこそ見し しほかまの うらさびしげに なそもかく
世をしも思ひ なすのゆの たきるゆゑをも かまへつつ わが身を人の 身になして
思ひ比べよ ももしきに あかし暮して とこ夏の くもゐはるけき みな人に 遅れてなびく 我もあるらし
長歌 よみ人しらず
今はとも いはざりしかど やをとめの たつや春日の ふるさとに 帰りや来ると まつち山
まつほどすきて 雁がねの 雲のよそにも 聞こえねば 我はむなしき たまつさを かくてもたゆく 結びおきて
つてやる風の たよりだに なぎさにきゐる 夕千鳥 恨みはふかく みつしほに 袖のみいとど 濡れつつぞ
あともおもはぬ 君により かひなきこひに なにしかも 我のみひとり うきふねの こかれてよには わたるらん
とさへぞはては 蚊遣火の くゆる心も つきぬべく 思ひなるまて おとづれず おぼつかなくて かへれども
けふみづくきの あとみれば ちきりし事は 君も又 わすれざりけり しかしあらば たれもうきよの 朝露に
光まつまの 身にしあれば おもはしいかで とこ夏の 花のうつろふ 秋もなく おなしあたりに すみの江の
岸の姫松 ねをむすび 世世をへつつも しもゆきの ふるにもぬれぬ なかとなりなむ
長歌 東三条太政大臣
あはれわれ いつつの宮の 宮人と そのかずならぬ 身をなして おもひし事は
かけまくも かしこけれども たのもしき かげにふたたび おくれたる ふたはの草を 吹く風の
あらき方には あてじとて せばき袂を ふせぎつつ ちりもすゑじと みがきては たまのひかりを たれか見む
と思ふ心に おほけなく かみつ枝をば さしこえて 花さく春の 宮人と なりしときはは
いかばかり しげきかげとか たのまれし すゑの世までと 思ひつつ
ここのかさねの そのなかに いつきすゑしも ことてしも たれならなくに を山田を 人にまかせて
我はただ 袂そほつに 身をなして ふたはるみはる すぐしつつ
その秋冬の 朝霧の 絶え間にだにもと 思ひしを 峯の白雲 よこざまに たちかはりぬと 見てしかば
身をかぎりとは おもひにき 命あらばと たのみしは 人におくるる ななりけり
思ふもしるし 山河の みなしもなりし もろ人も 動かぬ岸に まもりあけて
沈むみくづの はてはては かき流されし 神な月 うすき氷に 閉ぢられて とまれる方も なきわぶる
涙しづみて 數ふれは 冬も三月に なりにけり 長きよなよな しきたへの 伏さず休まず あけくらし
おもへども猶 かなしきは やそうぢ人も あたら世の ためしなりとぞ さわぐなる
まして春日の すぎむらに いまだ枯れたる 枝はあらじ 大原野辺の つぼすみれ つみをかじある 物ならば
てる日も見よと いふことを 年のをはりに きよめすは わが身ぞつひに くちぬべき
たにのむもれ木 春くとも さてややみなむ 年の内に 春吹く風も 心あらば 袖の氷を とけと吹かなむ
これが御返し、ただいなふねの、とおほせられたりければ、又御返し 東三条太政大臣
如何せむわが身くたれるいな舟のしばしばかりの命たえずは