和歌と俳句

源氏物語の中の短歌

須磨

鳥部山燃えし煙もまがふやと海人の塩焼く浦見にぞ行く

亡き人の別れやいとど隔たらん煙となりし雲井ならでは

身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡のかげははなれじ

別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし

月影の宿れる袖は狭くともとめてぞ見ばや飽かぬ光を

行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らん空なながめそ

逢瀬なき涙に川に沈みしや流るるにをの初めなりけん

涙川浮ぶ水沫も消えぬべし別れてのちの瀬をもまたずて

見しは無く有るは悲しき世のはてを背きしかひもなくなくぞ経る

別れしに悲しきことは尽きにしをまたもこの世の憂さは勝れる

ひきつれて葵かざせしそのかみを思へばつらし加茂のみずがき

うき世をば今ぞ離るる留まらん名をばただすの神に任せて

亡き影やいかで見るらんよそへつつ眺むる月も雲隠れぬる

咲きてとく散るは憂けれど行く春は花の都を立ちかへり見よ

生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな

惜しからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしがな

唐国に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居をやせん

ふる里を峯の霞は隔つれど眺むる空は同じ雲井か

松島のあまの苫屋もいかならん須磨の浦人しほたるる頃

こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼くあまやいかが思はん

しほたるることをやくにて松島に年経るあまもなげきをぞ積む

浦にたくあまたにつつむ恋なれば燻る煙よ行く方ぞなき

浦人の塩汲む袖にくらべ見よ波路隔つる夜の衣を

うきめかる伊勢をの海人を思ひやれもしほ垂るてふ須磨の浦にて

伊勢島や潮干のかたにあさりても言ふかひなきはわが身なりけり

伊勢人の波の上漕ぐ小船にもうきめは刈らで乗らましものを

あまがつむ嘆きの中にしほたれて何時まで須磨の浦に眺めん

荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ繁くも露のかかる袖かな

恋ひわびて泣く音に紛ふ浦波は思ふ方より風や吹くらん

初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき

かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はそのよの友ならねども

心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな

常世出でて旅の空なるかりがねも列に後れぬほどぞ慰む

見るほどぞしばし慰むめぐり合はん月の都ははるかなれども

憂しとのみひとへに物は思ほえで左右にも濡るる袖かな

琴の音にひきとめらるる綱手縄たゆたふ心君知るらめや

心ありてひくての綱のたゆたはば打ち過ぎましや須磨の浦波

山がつの庵に焚けるしばしばも言問ひ来なむ恋ふる里人

何方の雲路にわれも迷ひなん月の見るらんことも恥かし

友千鳥諸声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼もし

いつとなく大宮人の恋しきに桜かざしし今日も来にけり

故郷を何れの春か行きて見ん羨ましきは帰るかりがね

飽かなくに雁の常世を立ち別れ花の都に道やまどはん

雪近く飛びかふ鶴も空に見よわれは春日の曇りなき身ぞ

たづかなき雲井に独り音をぞ鳴く翅並べし友を恋ひつつ

知ざりし大海の原に流れ来て一方にやは物は悲しき

八百よろず神も憐れと思ふらん犯せる罪のそれとなければ