和歌と俳句

若山牧水

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よべもまた 睡られざりき 初夏の 午前の街に 帽かむり出づ

森出でて あをき五月の 太陽を 見上ぐる額の なにぞ重きや

松の葉の しげみにあかく 入日さし 松かさに似て 山雀の啼く

こまやかに 松の落葉の 散りばへる つちより蝉の 子の這ひ出づる

ゆく春の ゆふ日にうかみ あかあかと さびしく松の 幹ならぶかな

わが肌の 匂ふも肌の うへを這ふ 蟻のあゆみも さびしき五月

松の根の 落葉にいねて ものを思ふ 夏の背広の 紺の匂ひよ

松ばやし わが寝て居れば ひらひらと 啼いて燕が まひ過ぎしかな

あなあはれ いつかとなりの 楢の葉に 這ひもうつれる 蓑虫の子よ

松やにの あをき匂ひの 血となりて わが身やめぐる 森の午後の日

草わけて 雲雀の巣をば さばすとて われの素足の いたむ昼かな

美しく 縞のある蚊の 肌に来て わが血を吸ふも さびしや五月

日も青き すすきの原に 虫を啄み つばくらあまた 群れあそぶかな

松の花 うすく匂ふに さそはれて わが憂鬱の 浮き出でむとす

おほいなる むらさきの桐 手に持てば わが世むらさきに 見ゆる皐月野

わかやかに 立てるすすきに ふと触れし 小指の切れて 血のしみいづる

下総の 国に入日し 榛はらの なかの古橋 わが渡るかな

はり原や ものおもひ行けば わが額の うすく青みて 五月けぶれる

あを草の かげに五月の 地のうるみ 健やかなれと われに眼を寄す

ただひとり 杉菜のふしを つぐことの あそびをぞする 河のほとりに

藪すずめ 群るる田なかの 停車場に けふも出で来て 汽車を見送る

しろき花 散りつくしたる 下総の 梨の名所の あさき夏かな

袖ひろき 宿屋の寝衣 着つつ見る アカシアの花は かなしかりけり

あめつちの 青くけぶれる 河の辺の 葦原に巣を まもる葭切鳥

ゆく春の 草はらに来て うれひつつ 露ともならぬ わがいのちかな

あを草の 野辺をかへれば わが影の いつしか月と なりにけるかな

町の裏 川蒸気船より 降り立てば 花火をあげて 子供あそべり

榛はらの あをくけぶれる 下総に 水田うつ身は さびしからまし

ありなしの 貧しき恋に なになれば わが泣くことの 斯くも繁なる