和歌と俳句

若山牧水

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雲まよふ 山の麓の しづけさを したひて旅に 出でぬ水無月

たひらなる 武蔵の国の ふちにある 夏の山辺へ 汽車の近づく

糸に似て 白く尽きざる 路の見ゆ むかひの山の 夕風のなか

辻辻に 山のせまりて 甲斐のくに 甲府の町は 寂し夏の日

初夏の 雲のなかなる 山の国 甲斐の畑に 麦刈る子等よ

雲おもく かかれる山の ふもと辺に 水無月松の 散り散りに立つ

遠山の うすむらさきの 山の裾 雲より出でて の穂に消ゆ

山あひの ちさき停車場 ややしばし 汽車のとまれば 雲降りきたる

停車場の 汽車のまどなる 眼にさびし 山辺の畑に 麦刈れる子等

山山の せまりしあひに 流れたる 河といふものの 寂しくあるかな

山越て 入りし古駅の 霧のおくに 電灯の見ゆ 人の声きこゆ

わが対ふ あを高山の 峯越しに けふもゆたかに 白雲の湧く

おほどかに 夕日にむかふ 青山の たかき姿を 見ればたふとし

木の葉みな 風にそよぎて 裏がへる あを山に人の 行けるさびしさ

しらじらと とほき麓を ながれたる 小河また見ゆ 夕山を越ゆ

青巌の かげのしぶきに 濡れながら 啼ける河鹿を 見出でしさびしさ

泣きながら 桑の実を摘み 食ふべつつ 母を呼ぶ子を 夕畑に見つ

酸くあまき 甲斐の村村の 酒を飲み 富士のふもとの 山越えありく

ゆふぐれの 河にむかへば すさみたる われのいのちの いちじろきかな

かへるさに こころづきたる 掌のうちの 河原の石の 棄てられぬかな