和歌と俳句

齋藤茂吉

9 10 11 12 13 14 15 16 17 18

春ふけし 水のながれの おとぞする 妙高の山に われゆき向ふ

高原に 百鶯の 啼くこゑは 雪降るころは 啼くこともなし

こもごもに 木の芽やはらかく ふきいでし 一峰を越えて 息づきにけり

雪のこる たをりの道に 赤々と 椿はな咲く 山ぞかなしき

妙高を のぼり来しかど 頂は わが力なし くだりて行かむ

山の火の あらびとどむと 高原に 人のつどひし 跡のこりをり

風まじり 雨つよき夜を 友とふたり 小床を寄せて ねむり入りけり

ここにして 信濃は近し 山のまの 野尻のうみは 真藍をたたふ

山峡に ひびきながるる 関川の おとを夜もすがら 聞きてやどりぬ

のぼり来て われ等は踏みぬ 雪消えし あとの草生の なびき伏せるを

うつせみの 妻に離れて ひとりなる 君は入野を 導きにけり

わがねむる 家の近くに 水足りて 山のは 夜もすがら鳴く

かなしさに 匂ふを見れば 幾年か あやめの花も 見すぐしにけむ

北ふきの 風しづまりし 山のべに 花櫚の花は 散り過ぎむとす

雪きゆる 谷川のべに 養ひし アスパラガスを われに食はしむ

このあした 咲きひらきたる くれなゐの 牡丹の花は あはれなりけり

春ふけて しづかになりし 山かひに 小さき氷室の 見ゆる親しさ

千曲川 北へながれて きほひたる 瀬々の白浪の 見とも飽かめや

はざま路に 入りつつくれば 若葉して 柿の諸木は 皆かたむけり

都べに 居れども見ざる くれなゐの 牡丹の花を けふ見つるかも

この谿に 春は来りて 屋根のうへに 小鳥の啼くは 寂しかりけり