齋藤茂吉

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のぼり来し 比叡の山の 雲にぬれて 馬酔木の花は 咲きさかりけり

かぎりなく 丹波の山は おきふして それより目路は 鞍馬にむかふ

岫の路 いくまがり来し ころほひに 鐘つく音す うしろのかたに

あふみの海 いまだ寒しと 比良山に 消のこる雪は 見らくしよしも

黒つぐみ 暁に鳴く この山は 修法の法師 つらなめて行く

栄西の したる庵は たかむらを 前にして谷を ひとつ隔てぬ

冬枯の せぬ羊歯ありて 今朝の朝も 山のさ霧に ぬれつつぞゐる

雲いまだ うごきやまざる 空ひくく 鳥がね聞こゆ 比叡の山

沙羅双樹 芽ぶかむとする 山のうへに 一日を居りて いにしへおもほゆ

道のべの 木いちごの花 にほへるを あらそはなくに 蜂ひとつゐる

比叡くだりて ふたたび比叡に わがむかふ ここの高きに 鳥鳴きわたる

ともし火は 昼といへども 赤くして くらまの山に うれひを消なむ

鞍馬より 四明が嶽の 見ゆるとき 起きふす山を 間となしつる

鞍馬寺に のぼり来て やすらふも 一時にして をはりとぞおもふ

少年の 義経のことも いめのごとき 僧正谷に われの汗垂る

青みたる 比叡の山を かへりみし われは寂けし くらま山のうへ

をみな等の 悩む額にも ふれたりし 平安朝の 聖おもほゆ

かくばかり おきふすかなと 墨染の くらまの谷に わが向ひたる

うづたかく 生ひ古りにける 青苔に 春雨ぞ降る あかときにして

あづさゆみ 春の一日は すがしかり 大阪の城に 青むもろ草

大阪の 城の石垣 見しことを 友に語らむ 病む友の辺に

わが眠る 枕にちかく 夜もすがら 鳴くなり 春ふけむとす

厳島に 一夜やどれば は 止まず鳴きたり こゑなつかしも

こよひ一夜 友と離れて みづに鳴く 蛙のこゑを 聞けばさびしも

過去とほき このみ社に まうで来て 心は疲る はるのひと夜を

和歌と俳句