万葉集・巻第三 大伴坂上郎女
たちばなを やどにうゑ生ほし たちてゐて 後に悔ゆとも しるしあらめやも
家持
我がやどの花橘のいつしかも玉に貫くべくその実なりなむ
大伴坂上郎女
五月の花橘を君がため玉にこそ貫け散らまく惜しみ
家持
鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこのやど
家持
常世物この橘のいや照りに我ご大君は今も見るごと
家持
大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして
伊勢物語
五月まつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする
源氏物語・花散里
橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ
源氏物語・花散里
人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ
後拾遺集 相模
さみだれの空なつかしく匂ふかな花たちばなに風や吹くらむ
後拾遺集 大貮高遠
昔をば花たちばなのなかりせばなににつけてか思ひいでまし
好忠
香をかげば昔の人の恋しさに花橘に手をぞ染めつる
経信
いとどしく忘られぬかなにほひくる花たちばなの風のたよりに
公実
やどごとに 花たちばなぞ にほひける ひと木がすゑに 風は吹けども
顕季
ゆふづくよ 花たちばなに 吹く風を 誰が袖ふると 思ひけるかな
基俊
風に散る花たちばなに袖しめてわが思ふ妹が手枕にせん
清輔
誰がやどの 花たちばなに 触れつらむ けしきことなる 風のつてかな
清輔
君が代に 枝もならさで 吹く風は 花たちばなの 匂ひにぞ知る
千載集 枇杷殿皇太后宮五節
ただならぬ花橘のにほひかなよそふる袖はたれとなけれど
千載集 藤原基俊
風に散る花たちばなに袖しめてわが思ふ妹が手枕にせん
千載集 藤原家基
浮雲のいさよふ宵の村雨に追風しるくにほふたちばな
千載集 左大弁平親宗
わが宿の花たちばなに吹く風をたが里よりとたれながむらん
千載集 藤原公衡朝臣
折しもあれ花たちばなのかをるかなむかしを見つる夢の枕に
千載集 崇徳院御製
さみだれに花たちばなのかをる夜は月澄む秋もさもあらばあれ
俊成
思ひきや花橘のかくばかり憂身ながらにあらむものとは
俊成
夏もなをあはれはふかしたち花の花散るさとに家居せしより
新古今集 俊成
たれかまた花橘に思ひいで我もむかしのひととなりなば
新古今集 慈円
さつきやみみじかき夜半のうたたねに花橘のそでに涼しき
西行
軒近き花たちばなに袖しめて昔を偲ぶ涙包まん
西行
世の憂さを昔語りになしはてて花たちばなに思ひ出でばや
寂蓮
よを残す ねざめの床も 朽ちぬべし 花たちばなの むかし語りに
寂蓮
軒ちかき 花たちばなの 匂ひきて ねぬよの夢は 昔なりけり
寂蓮
軒ちかく 花たちばなや 匂ふらむ おぼえぬものを 墨染の袖
式子内親王
さらずとて暫し忍ばぬ昔かは宿しもわきてかほる橘
式子内親王
手にかほる水のみなかみ尋ぬれば花橘の蔭にぞありける