和歌と俳句

飯田蛇笏

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立春や梵鐘へ貼る札の数

ゆく春や流人に遠き雲の雁

ゆく春の人に巨帆や瀬多の橋

行春や朱にそむ青の机掛

残雪や中仙道の茶屋に谷

木戸出るや草山裾の春の川

薪水のいとまの釣や春の水

古き世の火の色うごく野焼かな

人々の坐におく笠や西行忌

林沼の日の静かさや花あざみ

ひえびえと鵜川の月の巌かな

古宿や青簾のそとの花ざくろ

行水の裸に麦の夕日影

行水のあとの大雨や花樗

鮎鮓や多摩の晩夏もひまな茶屋

囮鮎ながして水のあな清し

人の國の牛馬淋しや秋の風

秋風や野に一塊の妙義山

提灯を稲城にかけしきぬたかな

砧一つ小夜中山の月夜かな

大峰の月に帰るや夜学人

水軍に焼かるる城やの秋

鳴くや秋ただなかの読書の灯

山陵の松はさびしきすすきかな

治承このかた平家ぞをしむ花すすき

雁を射て湖舟に焼くや蘭の秋

山僧に遅き月日や鶏頭花

羅漢寺の鐘楼の草の鶏頭かな

今年また庵のその生や鶏頭花

ともしびと相澄む月のばせをかな

道芝を吹いて駄馬ゆく今朝の冬

春隣る嵐ひそめり杣の爐火

冬の日のこの土太古の匂ひかな

蕎麦をうつ母に明うす榾火かな

磧ゆくわれに霜夜の神楽かな

月低く御船をめぐるちどりかな

大江戸の街は錦や草枯るる

山晴れをふるへる斧や落葉降る

幽冥へおつる音あり灯取蟲

晴れくもる樹の相形や秋の空

秋風や眼前湧ける月の謎

竃火赫とただ秋風の妻を見る

野分雲湧けど草刈る山平ら

芋の連山影を正しうす

案山子たつれば群雀空にしづまらず

牛追つて四山の秋や古酒の醉

畠や大空へ菊の気騰る

句また焼くわが性淋しの秋

葬人歯あらはに泣くや曼珠沙華

農となつて郷國ひろしの秋

むくや故郷をあとに舟くだる

人すでにおちて瀧鳴る紅葉かな

山門に赫と日浮ぶ紅葉かな

ある夜月に富士大形の寒さかな

書楼出て日さむし山の襞を見る

人妻よ薄暮のあめにやとる

餅花に髪ゆひはえぬ山家妻

閨怨のまなじり幽し野火の月

陽にむいて春昼くらし菊根分

残雪を噛んで草つむ山の子よ

海しらぬ子にこの土ありつくづくし

大空に彫れし丘のつばきかな

虚空めぐる土一塊や竹の秋

花に打てばまた斧にかへる谺かな

白衣きて禰宜にもなるや夏至の杣

夏風やこときれし兒に枕蚊帳

夏雲濃し厩の馬に若竹に

夏雲のからみてふかし深山槇

臙脂のすさまじき梅雨の鏡かな

夏山や急雨すずしく書にそそぐ

棺桶を舁けば雲ひろき夏野かな

大峰を日わたりて幽き清水かな

水盤に行李とく妻や夏ごろも

なつやせや死なでさらへる鏡山

青巒の月小ささよたかむしろ

むしぼしの巣くふ蟲あるや古鏡