中村汀女
父よりはよき椿ぞの伝へのみ
蝌蚪の水跨ぎ山守若夫婦
蝶の昼家伝のものの貧しとも
山深きなぞへ安らぐ春の邑
父に母に子らはしづまり春夕べ
春炬燵それぞれに旅果し来て
したがへる人ある如し青き踏む
いつも誰か暮春の窓の椅子にひとり
手探りの枕頭のもの春の闇
啓蟄やわれらは何をかく急ぐ
雷光や紅梅の空あますなく
女出てうち眺めゐる春田かな
かりそめの街とは言はじ夕櫻
蝶よりも幼われらは疾く駆けし
心待ちとは春火鉢火をたしかめ
身を語りゐて春水は流れ急く
塔そこにある安らぎに草萌ゆる
花の雲かりそめならぬえにしのみ
かへりみる月日のなかの春の河
おもかげのまぎるるべしや花吹雪