和歌と俳句

橋本多佳子

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歎きゐて濃き刻を逸したり

咳しつつ遠賀の蘆原旅ゆけり

青蘆原をんなの一生透きとほる

水底の明るさ目高みごもれり

吾に気づきてより翡翠の気鋒損じ

滝道や小幅の水がいそぎゆく

蛍火が過ふとき掌中の蛍もゆ

葭雀松をつかみて啼きつづくる

髪乾かず遠くに蛇の衣懸る

日盛りの墓かげ濃しや吾を容れ

草静か刃をすゝめる草刈女

人への愛憎午前の蝉午後の蝉

時計直り来たれり家を露とりまく

松蝉の中に帰り来こゝよしと

青蜥蜴吾ゆかねば墓乾きをらむ

帯ゆるく片蔭をゆくもの同士

洗ひ浴衣ひとりの膝を折りまげて

髪につく蟻緑蔭も憩はれず

青蚊帳の粗さつめたさ我家なる

真夜起きゐし吾を油虫が愕く

青螳螂燈に来て隙間だらけの身

倒るるも傾くも向日葵ばかりの群

ひとつぶを食べて欠きたる葡萄の房

額碧し聞きたる道をすぐ忘れ

七月の蛍ひと訪ふまたこの季

巣があれば素直に蜂を通はせる

仔鹿追ひきていつか野の湿地ふむ

踊りゆく踊りの指のさす方へ

衣更前もうしろも風に満ち

衣更老いまでの日の永きかな

駅燈に照らされて巣の燕寝し

旅のひざ仔猫三つの重さぬくさ

単衣着て足に夕日のさしゐたり

蓮散華美しきものまた壊る

飛燕のした母牛に乳溜りつゝ

嫗の身風に単衣のふくらみがち

炎天や笑ひしこゑのすぐになし

踊り唄終りを始めにくりかへし

夏書の筆措けば乾きて背くなり

ひしひしと声なき青田行手に満ち

舷燈の一穂に火蛾海渡る

万緑や石橋に馬乗り鎮むる

トンネルに眼つむる伊賀は万緑にて

明けて覚めをりひとの家の蚊帳に透き

蛍火の一翔つよく月よぎる

急流を泳ぎ切り若き全身見す

青き吉野泳ぐ百姓淵に透き

尻あげて泳ぎ吉野の川に育つ

吉野青し泳ぐとぬぎし草刈女

の底明し顔浸け眼ひらけば

待つ長し電線つかみ仔燕

老い髪の仲間隅まで青あらし

斑猫が紅青をもて惑はせり

馴れざる水に金魚の尾鰭ひらく

踊り唄遠しそこよりあゆみ来て

百足虫の頭くだきし鋏まだ手にす