和歌と俳句

橋本多佳子

胸高しささげし膳や雛の前

振返へる人美しや雛の市

蜆舟いつか去りたる窓の景

笠深の笑顔幼なし蜆売

春寒や砂にくひゐる桜貝

春寒や砂をかみたる桜貝

公卿若し藤に蹴鞠をそらしける

春潮を着きけり志摩の国に来し

春潮のさむき海女の業を見る

若布は長けて海女ゆく底ひ冥かりき

わがために春潮深く海女ゆけり

若布の底に海女ゐる光り目をこらす

海女の髪春潮に漬じ碧く垂る

東風さむく海女が去りゆく息の笛

東風さむく海女も去りたり吾もいなむ

葛蔓帯の阿蘇のくにびと野火かくる

火の山の阿蘇のあら野に火かけたる

霾が降る阿蘇の大野に火かけたる

火かければ大野風たち風駆くる

火の山ゆひろごる野火ぞ野を駆くる

野におらびくにびと野火とたたかへる

天ちかきこの大野火をひとが守る

草千里野火あげ天へ傾けり

野火に向ひ家居の吾子をわが思へり

旅を来し激戦のあととび

草青く戦趾に階が残りたる

春暁の路面かつかつと馬車ゆかす

春暁の街燈ちかく車上に過ぎ

幌の馬車春暁の街の角に獲し

春暁の外套黒き夫と車上

春暁のひかり背がまろき馭者とゆけり

春暁の靄に燐寸の火をもやす

春日没り塩田昏るる身のまはり

魚ひかり春潮比重計浸せり

春日昏れ塩屋の裡にベルト鳴り

室桜手にせりひとの葬にあふ

閼伽汲むと春の日中に井を鳴らす

墓地をゆき春の落暉に歩み入る

春日暮れ掘られし墓地の土をふむ

真夜の雛われ枕燈をひくゝとぼし

女の雛描かれて男の袖に倚り

発車する列車と歩み春日面に

春落暉歩廊に列車の尾も疾くなり

黄砂航く朱の一輪の月一夜

雪山に野を界られて西行忌

翁草野の枯色はしりぞかず

暁けて来るくらさ愉しくとゐる

雪白きしなのの山山来る

桜散るしなのの人の野墓よき

野のはひくきより垂り吾に垂る

野の愁ここだの藤を身に垂らし

辛夷に立ち冥き湖にも心牽かれ

燈ともしてはうつむく花多き

二月の雲象かへざる寂しさよ

かぎろへる遠き鉄路を子等がこゆ

春月の明るさをいひ且つともす

山吹の黄の鮮らしや一夜寝し

吾去りて山は蚕飼の季むかふ

来ぬ山家の障子真白に

ひばり野やあはせる袖に日が落つる

水打つてけふ紅梅に夕凍てず

来し方や昏き椿の道おもふ

雨風の連翹闇の中となる

子とあれば吾いきいきと初蛙