和歌と俳句

相馬遷子

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霧行くや樅は深雪に潰えつゝ
雷はげし男の子ぞ生ると告げ去りぬ
草枕ランプまたゝきしぐれくる
渓とざす霧にたゞよひ咲けり
雉鳴いて新樹一斉に雫せり
山腹に霧がにじます灯をならべ
昨日獲て秋日に干せり熊の皮
鶸渡り群山こぞり雲を出ず
熊野川筏をとゞめ春深し
滝をさゝげ那智の山々鬱蒼たり
かの茂る山乗り越えておとす滝
かの茂る山截ち裂きてとよむ滝
滝壺やとはの霧湧き霧降れり
ひた落ち来滝壺に青き水となりぬ
昼寝覚万尺の嶺にわがゐたる
雷の下雪渓を馳せて膝ゆるむ
小屋に寝て深山の月を瞼にす
すさぶ霧天に白銀の日を駐む
霧破れ頂上の標の字ぞ見ゆる
曼殊沙華大路の際にあはれなり
枯山を登り一人なる汗拭ふ
山枯れたり遙に人の咳ける
木々枯れて風も吹かねば瀬のひゞき
裸木を振り返る時ぞ空青し
浅山に五月の雲の影ぞ濃き
大き夕焼河も流れを止めてゐる
秋暑き日々を送りぬ日々おなじく
船の窓見るは枯葦枯葦のみ
冬凪げる湖心に遇ひし雁の列
雁の列寒き落暉の中に入る
乗りすごし降りたる駅の唯寒夜
その夜夢に寒月の下の師の御言
春炬燵眠き吾子の目吾に似る
怠け懈けて雲ぞ真白き四月尽
梅雨めくや人に真青き旅路あり
秋暑の旅今日も朝焼また夕焼
犬の目の燃ゆるに会ひぬ野分の夜
霧の中相対ふ巌の黙深し
見ればある貧しき草木紅葉せり
ひしひしと巌そびゆ霧の退くかぎり

黒き船待てり早春の煙雨の中
海霞筑紫も見えずなりにける
遅日暮れ海坂四方にそゝり立つ
今ぞ踏む闇の大陸耳鼻は凍り
闇の夜の風が打ちつくるものぞ雪
宿営や蘇枋一本の土の家
黄塵や雨知らぬ畑に寝て憩ふ
湯浴みつゝ黄塵なほもにほふなり
春の闇見えねひた行く人馬の列
星天のおぼろに寒し隠密行
人気なき部落水草生ひにけり
光風に幾日剃らざりし顔を撫づ
渡りらむと馬を控へつ蝌蚪の水
くちすゝぎ砲声を遠に端午なり
照るや弾が掠めし耳いたき
麦秋の暮れていや黄なる麦を行く
黍高粱野の朝焼の金色に
たまゆらの道べの熟睡夏の月
緑蔭に徹夜行軍の身を倒す
一本の木蔭に群れて汗拭ふ
瞼垂れ蝉も烈日も忽と消ゆ
汗涸れぬ高粱雲を凌ぐ午下
積乱雲野に湧き野に湧き貨車灼くる
行軍や古沼に夏の星一つ
黙々と憩ひ黙々と汗し行く
閃々と雷火泥濘の道に燃ゆ
夜の雷雨沼なす道に立ち憩ふ
見出でたる緑蔭たゞに見て過ぐる
討伐に夏はもゆくか鰯雲
行軍に夜ぞ暁けきたる百日紅
語りゐし望に照らされ兵ねむる
栓取れば水筒に鳴る秋の風
風の野の大き入日や秋きたる
今日も亦曠野の夕焼秋の風
後の月今宵風なき戦野かな
夜寒さをめぐる星座とひた歩む
野の果や弦月船の如く出づ
寝て仰ぐ星天雁の声過ぐる