源俊頼朝臣
最上川 瀬々の岩角 湧きかへり 思ふ心は 多かれど 行く方もなく せかれつつ 底の藻屑と なることは
藻にすむ虫の われからと 思ひ知らずは なけれども いはではえこそ 渚なる かたわれ舟の うづもれて
ひく人もなき なげきすと 浪のたちゐに 仰げども むなしき空は みどりにて いふこともなき かなしさに
ねをのみなけば から衣 おさふる袖も 朽ちはてぬ なにごとにかは あはれとも 思はん人に 近江なる
打出の浜の 打ち出でて いふとも誰か ささがにの いかさまにても かきつかむ ことをば軒に 吹く風の
はげしき頃と 知りながら うはの空にも をしふべき 梓の杣に 宮木ひき 御垣が原に 芹摘みし 昔をよそに
聞きしかど わが身の上に なりはてぬ さすかに御代の はじめより 雲の上には 通へども 難波のことも 久かたの
月の桂し 折られねば うけらが花の 咲きながら 開けぬことの いぶせさに よもの山辺に あくがれて
このもかのもに 立ちまじり うつぶし染めめの 麻衣 花のたもとに 脱ぎかへて 後の世をだにと 思へども
おもふ人々 ほだしにて 行くべき方も まどはれぬ かかる憂き身の つれもなく へにける年を かぞふれば
五の十に なりにけり いま行末は 稲妻の 光のまにも 定めなし
たとへばひとり ながらへて 過ぎにしばかり 過ぐすとも 夢に夢みる 心地して ひまゆく駒に 異ならじ
さらにもいはじ 冬枯れの 尾花が末の 露なれば 嵐をだにも 待たずして もとの雫と なりはてん
ほどをばいつと 知りてかは 暮にとだにも 沈むべき かくのみ常に あらそひて なほふるさとに 住の江の
潮にただよふ うつせ貝 うつし心も 失せはてて あるにもあらぬ 世の中に 又なにことを み熊野の
浦のはまゆふ 重ねつつ 憂きにたヘたる ためしには 鳴尾の松の つれづれと いたづらどとを かきつめて
あはれ知れらん 行末の 人のためには おのづから しのばれぬべき 身なれども はかなきことも 雲とりの
あやに叶はぬ くせなれば これもさこそは みなし栗 朽ち葉か下に 埋もれてめ
それにつけても 津の国の 生田の杜の いくたびか あまのたく縄 くり返し 心にそはぬ 身をうらむらん
反歌 源俊頼朝臣
世の中は憂き身にそへる影なれや思ひ捨つれど離れざりけり
崇徳院御製
敷島や 大和の歌の 伝はりを 聞けばはるかに 久方の 天つ神世に はじまりて みそもじあまり ひともじは
出雲の宮の 八雲より 起こりけるとぞ しるすなる それよりのちは ももくさの 言の葉しげく ちりぢりに
風につけつつ きこゆれど 近きためしに 堀河の 流れを汲みて さざ波の 寄りくる人に あつらへて
つたなきことは 浜千鳥 跡を末まで とどめじと おもひながらも 津の国の 難波の浦の なにとなく 舟のさすがに
このことを 忍びならひし なごりにて よの人ききは はづかしの もりもやせんと 思へども 心にもあらず 書きつらねつる
待賢門院堀河
時知らぬ 谷の埋れ木 朽ちはてて むかしの春の 恋しさに 何のあやめも わかずのみ かはらぬ月の 影みても
しぐれに濡るる 袖の浦に 潮たれまさる 海人衣 あはれをかけて とふ人も 波にただよふ つり舟の 漕ぎ離れにし 世なれども
君に心を かけしより しげきうれへも 忘れ草 忘れがほにて 住の江の 松の千歳の はるばると 梢はるかに さかゆべき
ときはのかげを 頼むにも 名草の浜の なぐさみて 布留の社の そのかみに 色深からで 忘れにし もみぢの下葉 残るやと
老蘇の杜に たづぬれど 今はあらしに たぐひつつ 霜枯れがれに おとろへて かきあつめたる 水くきに
浅き心の 隠れなく 流れての名を 鴛鴦の 憂きためしにや ならんとすらん