和歌と俳句

藤原定家

かぎりなくまだ見ぬ人の恋しきは昔やふかく契りおきけん

うつりにし心の色にみだれつつひとりしのぶのころもへにけり

跡もなき波ゆく舟にあらねども風をしるべにもの思ふころ

世々かけてつらき契りにあひそめてふかき思ひの色ぞかひなき

なげくとも恋ふとも逢はむ道やなき君かづらきの峰の白雲

あだし野の若葉の草に置く露の袖にたまらぬものをこそ思へ

わきかへり落つればこほる滝つ瀬の下にくだけて幾夜へぬらむ

かなしさのたぐひもあらじ神な月ねぬ夜の月のありあけの影

けふやさはへだてはてつる春霞はれぬ思ひはいつとわかねど

心からあくがれそめし花の香になほものおもふ春のあけぼの

われのみやのちもしのばむ梅の花にほふ軒端の春の夜の月

こひこひて逢うふともなしに燃えまさる胸の煙や空に見ゆらん

さてもなほ折らではやまじふさかたの月の桂の花と見るとも

ます鏡ふたり契りしかねごとの逢はでややがてかけはなれなん

いかにせん捨ててし秋を慕ふとて身も惜しからず惜しき別れを

恨めしや今日しもかふる衣手に入りにし玉の道まどふらん

逢坂は君がゆききとききしよりまだ見ぬ山にふみもかよはず

あらはれて霜よりのちの色ながらさすがにかれぬ白菊の花

変はる色をたが朝露にかこちても中の契りぞつきくさの花

ふみかよふ道もかりばのおのれのみ恋はまされる歎きをぞする

あぢきなく何と身にそふおもかげぞそれとも見えぬ闇のうつつに

ありあけのあかつきよりも憂かりけり星のまぎれの宵のわかれは

いかにせんさすが夜な夜なみねれ棹しづくににごる宇治の川長

しのぶとも恋ふとも知らぬつれなさにわれのみ幾夜なげきてか寝む

堰きわびぬ今はたおなじ名取川あらはれはてね瀬々のむもれ木

思ひやれ里のしるべもとひかねてわが身のかたにくゆる煙を

越え越えず心をかくる浪もなし人も思ひぞ末の松山

時のまもいかに心をなぐさめてまた逢ふまでの契り待ち見む

かきやりしその黒髪のすぢごとにうちふすほどは面影ぞたつ(新古今集

別れての思ひをさぞと知りながら誰かは解きしよはの下紐

きてなれしにほひを色にうつしもてしほるも惜しき花染めの袖

心をばそなたの雲にたぐへてもなほ恋しさのやるかたぞなき

あな恋し吹きかふ風もことづてよ思ひわびぬる暮のながめを

思ひ出づる心ぞやがてつきはつる契りし空の入相の鐘

人目もりへだつる道を思ふよりやがても胸にとづる関かな

たれもこのあはれみじかき玉の緒にみだれてものを思はずもがな(新勅撰集

むすびおく名のみながるる渡り川わが手にかけん浪とやは見し

おのづからあはれとかけんひとことも誰かはつてむ八重の白雲

けふまでは人も忘れずとばかりもうつつにしらぬ中ぞかなしき

契りおきし音をたのみに偲ぶともおなじ風だに吹かずやあるらん

うらうらにただかきすつる藻塩草見るよりいとどたつ煙かな

さぞ歎く恋をするがの宇津の山うつつの夢のまたし見えねば(続後撰集

おのづからそれとばかりをよそに見て胸にせかるる水茎の跡

いかがせむありし別れをかぎりにてこの世ながらの心変はらば(続後撰集)

かぎりあらん命もさらにながらへじこれよりまさる月日へだてば

身をつくしいざ身にかへて沈みみむおなじ難波の浦の波風

涙せくむなしき床のうき枕くちはてぬまの逢ふこともがな

恋しさを思ひしづめむ方ぞなき逢ひ見しほどにふくる夜ごとは

よしさらばおなじ涙にくれなゐの色にを恋ひむ人は知るとも

山の端に待たれて出づる月影のはつかに見えしよはの恋しさ

なほざりにたのめし程も過ぎはてば何にかくべき命なるらん

いかさまに恋も歎きもなぐさめんこの世ながらのあらぬ世もがな

明日しらぬ世のはかなさを思ふにもなれぬ日数ぞいとどかなしき

はかなしな夢にかよはむ夜な夜なを形見にそれと思ひなすとも

おのづから人も涙やしるからん袖よりあまるうたたねの夢

おもかげの身にそふ袖のにほひゆゑただその色にしむ心かな

思ひ出づる春の衣のかたみまでいはぬ色にぞちしほ染めてし

身にかへて人を思はで恋ひ見ばやなきになしても逢ふ夜ありやと

待つらむと契りしほどを忘れずは誰とながめて火を暮らすらん

かく知らば緒絶の橋のふみまどひ渡らでただにあらましものを

惜しからぬ命も今はながらへておなじ世をだに別れずもがな