和歌と俳句

桂信子

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鯉の音かそけしセリの香に佇てば

夫の脊に噴水の音かはりけり

藤の花ほつりと夫を待つ日暮

母子睦む緑蔭を過ぎ鶴の前

子なき吾をめぐり万緑しづかなり

夕月のかそけさ人の子を抱くも

花桐にまひる物縫ふこゝろ憂き

剃りあとの青き夫なり夏木立

秋の灯に夫が読む余白なき書物

子なき淋しさは言ふまじと秋の灯に坐る

わが袂かるし晩涼の橋灯る

秋あつし鏡の奥にある素顔

医師遅し臨終の夫をむせび抱く

握りしむ臨終の夫の掌のぬくみ

秋の星厳しき真夜を夫は逝けり

蟋蟀の鳴きつのる夜を夫は逝けり

夫逝きぬちちはは遠く知り給はず

われを置き夫は秋風とともに逝けり

秋天は常のごとあり夫逝くに

秋天に雲あり夫を焼く焼場

秋の夜のうつしゑ常にわれに向く

秋雨の昼のつめたき掌をかさね

天澄むに孤独の手足わが垂らす

思慕ふかく秋雲を四方にめぐらせり

秋の夜を笑ふひとなき淋しさよ

白菊にかなしさありて瞳を閉づる

菊の香に夫を想ひて昼しづけき

寂けさを欲りまた厭ひをつぐ

つぎつ昼はそのまま夜となんぬ

わが運命肯ひ寒き運河の辺

夫恋へば落葉音なくわが前に

針葉林しづかに出でて初日なる

喪にこもり元日の声を四方に聴く

喪にこもり元日の陽をわが膝に

元日の樹々あをあをと暮れにけり

髪重し白梅あまた朝を耀り

白梅のかゞよひふかくこゝろ病む

白梅の耀りまさりつゝ虚しき昼

昼の寡婦なほ白梅の照りに耐ゆ

上枝昏るゝ白梅に日の容なほ

白梅に穹ゆくひゞきうすれつゝ

一輪こぼせし風が眉にくる

喪の家にありきさらぎの藪濃ゆし

耐へがての日の竹青く陽に透けり

昼しづか寡婦の生けたる白し

きさらぎの簷に陽あたる陽の硬さ

きさらぎの水のひゞきを夜も昼も

きさらぎの夕月映る水ひゞく

山を視る山に陽あたり夫あらず

海を視る海は平らにたゞ青き