和歌と俳句

山口誓子

晩刻

寒星を見に出かならず充ち帰る

星恋のまたひととせのはじめの夜

かざしては復も春著の袖を見る

初春といひていつもの天の星

もとの世にもどる証か初写真

降るを照らし汽缶車動きそむ

焚火の辺大工の釘の散乱す

海人の子と思ひ焚火のとびかかる

見る者のかぎりとんどのあかりさし

燃ゆる中とんどの竹の穂の傾ぎ

名を知りて後星の春立ちにけり

火星なほ燃えて春天明けゐたり

薄明に降りゐしごとく春の雪

往診のゆくとき川に春の雪

春の雪消えずこよひも夜を更かす

往診の燈に春雪を降らしけり

七星のうすれてかゝる春の霜

残雪の硬きを踏めば去り難し

あたたかき昼岳上に雪残る

蘆原の雪消えやがて道乾き

海苔粗朶を又あらはして海哀れ

海苔粗朶を浪の出で来るかぎりなし

海苔粗朶のやうやく海に古びけり

低木にて地を真紅に落椿

昨日句会ありし畳や二月尽

老が見る春の日なたに遊ぶ子を

海中の潟むらさきに春の昼

同じ字を砂に書きつゝ春の昼

駅燈の青きを提げて遅日暮る

春の暮水辺に焚きし火ののこり

やゝ高く火の見のともる春の暮

娵どりし家と見て過ぐ春の暮

春の夜や後添が来し燈を洩らし

娵の燈がおなじ村より春の夜

猫の恋昴は天にのぼりつめ

この月夜いつか見たりき猫の恋

星はみな西へ下りゆく猫の恋

月の出の夜々におくるゝ猫の恋

激つ瀬は又猫柳光るところ

猫柳水の激ちに数知れず

東風強くして踏切の天鳴れり

春の星馥郁たるも遠からじ

名ある星春星としてみなうるむ

家の燈のごとくに懸る春の星

構内のおぼろに鉄軌岐れゆき

春月の鼠を照らす鼠捕り

別るべき家や春月幹にさす

春月の下にかはほり集ひつつ

春月の照らせるときに琴さらふ

かげろふの中に来りて遊びけり

かげろふを見て風邪の身をなぐさまず

街道につくりてやめし燕の巣

巣燕や眼見えざるこゑごゑに

せまき巣にひらく燕の翼見ゆ

ゆふべの燈机上照らせば雀巣

巣の雀家居の吾を又覗く

巣つくりの藁空中に曳いてとぶ

うしろより見る春水の去りゆくを

春水のしぶきし岩にこゝろ触る

石材を置く江岸の春の潮

春の風邪眉毛吹かれてうらがなし

砂浜に日あたれば憂き春の風邪

かりそめの種痘のときも医にたよる

鋭きものゝこちら向きなる種痘かな

春眠のわが身をくゞる浪の音

春眠を貪る若さ羨まし

卒業や畳しづけく思ほゆる

都より来りて蝌蚪に執着す

なほ黄蝶たりや食はれて翅ばかり

真紅なる蜂や頭上を越え去れり

蜂の巣を見るや旱の簷端にて

村びとの君もたやすく蚕つかむ

春蝉を聞いて仰臥の手足かな

この家を去る日近きに春の蝉

約婚の日は昔にて春の蝉

ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き

八重桜日輪すこしあつきかな

鵜が過ぎぬいまをさかりのの上

浪荒く天とぶ落花ひんぷんと

自転車の過ぎし落花のにはたづみ

鉄橋のとどろきてやむ雪柳

木蓮を花舗に見かけて歩み来し

娵どりの暮やどこかに藤が咲き

山の見て来て鉄路跨ぐかな

を見て来しが電燈黄に点る

藤の房しばらく赤き西日さす

はるかなる約婚の日や藤も褪せ

藍亭の木瓜を瓶花としても見る

この家とも別れや松の花終る

あひびきや枳殻のとげ青きころ

麦青し眼ゆがめて洟をかむ

若草にやうやく午後の蔭多く

栴檀の嫩葉のゆふべ星ともる

あひびきのほとりを過ぎぬ苜蓿

苜蓿は丘となりゆく恋の丘

晩春の瀬々のしろきをあはれとす