和歌と俳句

夏目漱石

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孔孟の道貧ならず稲の花

古ぼけし油絵をかけ秋の蝶

赤き物少しは参れ蕃椒

かしこまる膝のあたりやそぞろ寒

朝寒の顔を揃へし机かな

先生の疎髯を吹くや秋の風

本名は頓とわからず草の花

苔青く末枯るるべきものもなし

南窓に写真を焼くや赤蜻蛉

暗室や心得たりときりぎりす

化学とは花火を造る術ならん

玻璃瓶に糸瓜の水や二升程

剥製の鵙鳴かなくに昼淋し

魚も祭らず獺老いて秋の風

大食を上座に栗の飯黄なり

就中うましと思ふ柿と栗

稲妻の目にも留らぬ勝負哉

容赦なく瓢を叩く糸瓜かな

靡けども芒を倒し能はざる

むつとして口を開かぬ桔梗かな

さらさらと護謨の合羽に秋の雨

渋柿や長者と見えて岡の家

門前に琴弾く家やの寺

釣鐘をすかして見るや秋の海

菊に猫沈南蘋を招きけり

蛤とならざるをいたみ菊の露

神垣や紅葉を翳す巫女の袖

白菊に酌むべき酒も候はず

白菊に黄菊に心定まらず

旅の秋高きに上る日もあらん

秋風や茶壺を直す袋棚

醸し得たる一斗の酒や家二軒

京の菓子は唐紅の紅葉哉

秋風の一人をふくや海の上

稲妻の砕けて青し海の上

絵所を栗焼く人に尋ねけり

礎に砂吹きあつる野分かな

栗を焼く伊太利人や道の傍

はねて失せるを灰に求め得ず

渋柿やにくき庄屋の門構

筒袖や秋の柩にしたがはず

手向くべき線香もなくて暮の秋

黄なる市に動くや影法師

きりぎりすの昔を忍び帰るべし

招かざるに帰り来る人ぞ

伏すの風情にそれと覚りてよ

白菊にしばし逡巡らふ鋏かな

女郎花を男郎花とや思ひけん